2012年01月08日

資産フライト 「増税日本」から脱出する方法 山田順

オビが煽った感じで興味をひきます。

「セレブもOLも高齢者も、せっせと預金を海外口座に移している。その驚くべき方法とは?」

いまや富裕層に限らず、資産数億円程度の小金持ちや、一般のOLまでがお金を日本から脱出させている。それは、破綻の近づく日本経済への危機感や、国内に有利な投資先の見当たらない現実を背景とし、サービスの悪い日本の金融機関や金持ちに懲罰的な日本の税制への無言の抗議行動だ・・という趣旨で、資産の「さよならニッポン」現象をレポートしています。

ただし、著者はジャーナリストなので、経済の専門家が著した本のような深みはありません。後半で、日本のガラパゴス状況や金融機関のサービスの悪さを批判し、グローバル資本主義に適応できない愚民化教育を国家が意図的に行っている・・等と糾弾していますが、まあまあそうかもしれませんが、論拠に説得力が足りなかったり、解決策やアイデアが提示されているわけでもなく「これについて我々はもっと考える必要がある」で終わっていたりで、あまり括目すべき点がないのは残念です。
それから、具体的な海外投資の方法を解説した本でもないので、そういう情報が読みたい人は、橘玲さんの著作などのほうが良いでしょう。

やはり面白いのはジャーナリストらしく取材に基づいた部分です。

いきなり第一章「成田発香港便」で、旅行鞄に500万円づつを詰めて香港に現金を運ぶ資産家夫婦に同行します。
空港のセキュリティチェックは、金属や液体は感知するが、手荷物の中に札束が入っていても気にしない。もちろん、100万円以上の現金を持ち出すのは違法ですが、なんなくスルーした二人は、現地に着くと香港上海銀行に直行して現金を預け入れる・・
こうして、この夫婦は、将来の香港在住も視野に入れ、せっせと日本からお金を脱出させています。「日本が元気で心配ないなら、こんなことはしない。日本にいるほうが幸せに決まっているんだから」と。

古くから富豪・大資産家は、海外にも資産を分散することを当然のように行っています。最近ではそれがもっと下層まで一般化しつつある・・というのが本書のレポートです。実際にどの程度までひろがっているのか本書には明確な数値や統計がないため判断できませんが、まあそうだとしても不思議はありません。
ややジャーナリスティックに過ぎる印象はありますが、共感できる部分もありますので以下メモ。

・所得5000万円超の人は全体の0.6%だが納税額では27%。対して年収300万円以下の人たちの納税額は3.1%。富裕層を大切にしないと、国家の税収は立ち行かなくなる。

・単純化して考えれば、日本の借金は国が借り手で国民が貸し手。借りた側が、経費節約も人員(政治家や公務員)削減も、資産売却もせずに、貸し手に対して増税をするというのは筋違い。

・自民党だろうと民主党だろうと、けっきょく政策をつくっているのは財務省であり、増税路線は変わらない。

・政治が混乱し、官僚たちが作る政策で日本が動かされている。改革は骨抜きになり鎖国状態のガラパゴス化が進んでいる。これで良いわけがない。

・資産逃避は政府に対する抗議。日本を愛することと、政府を愛することは別。

・日本人のDNAは、ほんらい海外に飛び出してゆく冒険心を持っているのではないか?戦前も戦後も、世界にチャレンジしつづけてきた。昨今の「内向き」志向のほうが不思議。外からも見ないと健全な愛国心は育たない。

全体的に、少々日本に対する批判ばかりが目立ちますが、まあ何くれと批判するのがジャーナリストの仕事と考えている人も多いので、そのように読んでおけばよいと思います。

ただ、個人的には本書で言われていることの多くがそうかもしれないとしても、それでもまだ相当に、日本は恵まれて住みやすい国だと思います。
願わくば日本から脱出を考えるのではなく、立て直して成長軌道にのせる方策を生み出したい。時間はあまり多くありませんが、大阪での選挙結果や、あいかわらず頑張っている日本企業を見れば、絶望するのは早いと信じています。

読むべし!





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2011年12月18日

金融が乗っ取る世界経済 ロナルド・ドーア

著者は知日派として知られる英国の社会学者。
日独vs英米の、社会システム・資本主義の比較研究で有名。ロンドン大学名誉教授、同志社大学名誉文化博士。

本書では、経済の血液としての健全な働きから逸脱した金融業が、ギャンブルとしか言いようのない派生商品を生み出したり、貢献度合いに釣り合わない法外な儲けを強奪した結果、社会をゆがめている実態を批判します。

ほんらい構造が違っていたはずの日本やドイツの資本主義が、英米の「アングロサクソン型」資本主義に席巻されている危険性も指摘します。以下メモ。

・・・

●ステークホルダー論と株主主権論

日本やドイツなどと、英・米を中心とするアングロサクソン諸国の資本主義は同じものではなかった。日・独では企業を「社会の公器」と考え、事業の目的は利益の追求だけでなく社会への貢献をも含むとするいわゆる「ステークホルダー」型が中心だった。

それに対して、英米の「株主主権」型では、会社は株主のものであり、事業の目的は利益の最大化であるとする。米国でも、かつては「ステークホルダー」的な考え方が多かったが、いつしか株主主権論が主流となり、いまやその潮流は他国にも及び、日本も「アングロサクソン化」している。しかしこの考えには多くの欠陥があり社会を歪める。


●金融業の肥大化

現実の国際貿易に利用される為替取引の100倍にのぼる金額が為替市場で取引されている。

ある会社が債務不履行になるリスクをヘッジするための派生商品が、対象の会社となんの取引関係もない第3者に膨大に売られる(本来は保険であるが、第3者に売られれば単なるギャンブルである)。


●法外な報酬がもたらす弊害

金融業では、成果を挙げたディーラーなどに常識外の報酬を出す。
法外な報酬に釣られて優秀な人材が金融業に吸収されてしまう。その結果、法律・科学・行政・教育などにも配分されるべき人材が枯渇する。これは社会全体に歪みをもたらす。


●法外なボーナスは懐に 失敗のツケは庶民に

大きすぎる金融機関は、潰れると社会に与えるダメージが大きい。そのため金融危機が起きれば、国家が借金をしても救済するが、その借金は国民への増税や福祉のカットとなる。

つまり金融業者は、景気が良いときには法外なボーナスを手中にし、つまづいた場合のツケは一般市民にまわす。

これを是正するためには、金融業をある程度の大きさに規制する必要がある。
しかし、グローバル化する世界では自国の金融業を優位に導くため各国ともその規制を緩めがちである。
銀行業と証券業、投資銀行とリテールバンクは、かつて分離が命じられていたが、徐々に統合され巨大化している。そして巨大化すれば潰せなくなる。


●骨抜きにされる規制

2008年の金融危機後には、金融機関への規制や全世界的な監督組織についての議論が沸騰したが、2011年現在、それらの議論は下火であり、何も決定されず、決まった法律は骨抜きにされつつある。


●あるべき姿

「株式会社は、理念的には企業価値を可能な限り最大化してそれを株主に分配するための営利組織であるが、同時にそのような株式会社も、単独で営利追及活動ができるわけではなく、一個の社会的組織であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係者(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、もっぱら株主利益のみを考慮すれば足りるという考え方には限界があり採用することはできない。」(ブルドックソース事件東京高裁判決)


●リスクが国家から個人へ移し替えられている

社会の金融化は、国家の社会保障能力の衰退とも関係している。
賦課方式による年金(現役世代が引退世代を支える)では、経済や人口の規模が拡大している場合は良くても、経済成長の停滞や少子化が進行すると行き詰まる。これを解決する方法は

・税(掛け金)を上げる
・足りない分を消費税などで埋める
・国家共同体での助け合いから個人の責任へと移行する

の3つで、日本ではこのところ3番目のいわゆる「自己責任論」が幅を利かせ、個人年金「日本版401K」などが普及している。すると年金基金、医療保険基金などが膨張し、これらが運用のため巨額な資金を投資するようになる。

・・・

「真に目指すべきは、競争力がある社会ではなく、よき社会」
筆者のこの言葉が胸に残ります。

近年、各地で巻き起こった「ウォール街を占拠せよ」運動も、一部はこういった「金融業だけが社会的に不公正な利益を独占する」あり方に対する抗議と見てよいでしょう。
しかし歯がゆいことに、たとえ市民がウォール街でデモをしても、それで事態が変わるとは思えません。金融業や銀行家の暴走を食い止めるには具体的な法的規制、すなわち政治的な決断が必要です。しかも、金融はいまや国家の枠を超えて広がり、国家よりもはるかに自在な活動をしています。ジャック・アタリなどが指摘するように、国際的な規制の枠組みが必要です。(→金融危機後の世界 ジャック・アタリ

しかし、本書でロナルド・ドーアが指摘している通り、リーマンショック後の危機で声高に叫ばれた様々な規制のアイデアは一向に実現する兆しを見せません。

それから、ドーアは「あとがき」に気になることを書いています。

「日本経済のアングロサクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある」とし、しかし遠からず「西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう」と予見します。

そして、きたるべき米中対決時代に「日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのか」と結んでいます。

はたして人類は、金融の膨張に歯止めを掛けられるのか?それとも決定的な悲劇に遭遇しないと、自らの行動を改めることができないでしょうか?

読むべし!



posted by 武道JAPAN at 10:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

博士の愛した数式 小川洋子

「猫を抱いて象と泳ぐ」「人質の朗読会」と読んで、すっかり小川洋子さんのファンになった私。今さらでスミマセンなどといいつつ本書を手に取った。

「今さらで」というのも、一般には、本書「博士の愛した数式」が代表作とされているだろうからだ。映画化されたことによって、小川さんの読者以外にも本書のタイトルはひろく知られているし、もし代表作でないとしても小川作品では最も有名な一冊、という位置づけに間違いない。
そこを飛ばし「猫を抱いて象と泳ぐ」から入って、その後も(なんと実は人から貰って自宅にあったのに)「博士」をスルーして「人質の朗読会」を先に読んだ・・というのは、入門の仕方としては少々迂回ルートであったように思う。

しかし、と敢えて言いたい。

いやまだ3冊しか読んでいない立場でなにか言うのは、あまりにも口幅ったいが、しかしそれでも、「これでよかった」と言いたいし、「博士の愛した数式」が代表作という位置づけには少々反対、とも申し上げたい。

本書「博士の愛した数式」は、代表作と呼ぶにふさわしい珠玉の一遍である。
もし小川作品を一冊だけ図書館に収蔵するから選べ・・といわれたら本書を推す。(繰り返すが、いまだ3冊しか読んでいないおまえが言うか、とは思いつつ)
小川作品のファンかどうかに関わらず、普段は読書にあまり縁がないという方にでも、本書は自信を持ってお奨めできる名作である。作品の完成度、透明感、無駄のなさ、物語に満ち溢れてこぼれそうになっている愛と優しさ、絶妙にやってくる大小さまざまなハプニングで飽きさせない展開・・もうもうなんというか・・一級品である。自分が読んだ前2作と較べても、本書がアタマひとつか、少なくとも半分は抜きん出ている。

それなのに何を文句言うかといえば、前2作を読んで、自分がひそかに「これが小川ワールドを構成する必須重要元素」と理解したものが、この「博士の・・」には入っていない(あるいは、ほとんど入っていない)からだ。
例えが俗で申し訳ないが、唐辛子抜きの韓国料理を食べて、それが仮にものすごく美味しくても、今日食べたのはハタシテ韓国料理だったのか?という微妙な疑問が残ると思う。そんな感じなのである。

「必須重要元素」が何かを明かさねば話は進まない。
自分が思うところ、それは「異形」とか「残酷」といった、ダーク味のスパイスである。

「猫を抱いて象と泳ぐ」には、11歳で成長することをやめ、窮屈な人形の中に閉じこもってチェスをさす主人公が登場する。もうこれだけで十分に異形であるが、彼を取り巻く登場人物たち〜いつも肩に鳩を乗せている少女「ミイラ」や、バスのドアを通り抜けられないほど太った男「マスター」〜も輪を掛けて異形である。彼らが活躍する舞台も、かつてホテルの地下プールだった秘密クラブや、ロープウェイでしか行くことのできない老人ホームなど、実に奇妙な設定だ。

「人質の朗読会」は、物語そのものが、異国で反政府ゲリラに拉致されて死んだ人々の朗読会・・という暗い設定に置かれている。

ところが、「博士」には、こういったダークなスパイスがほとんど入っていないのである。

無論、80分しか記憶が持続しない元・数学博士という設定には、そこはかとない哀しさや運命の残酷のようなものがただよっている。
しかし、物語を通して読者が味わうのは、あふれてこぼれそうな愛と優しさである。光であり、慈しみであり、感謝であり、恵みである。透明な幸福が、完全な形に結晶した人生という時間である。
前2作は16歳未満にはあまり積極的に読ませたくないような、読んでも面白みがわからんやろ・・という気がするが、本作は小学生から読んでもらってもOK!と言いたい一冊である。

でもだからこそ、ここから入ってしまうと後で小川洋子の異形や残酷に気づいて「なんか最初の印象と違う」とか・・ もっと悪いケースでは、この一冊だけでよしとして小川ワールドの魅力であるダークテイストを知らないまま通り過ぎてしまうとか・・ の危惧を感じる。
したがって、拙文を読んで小川作品にご興味を持たれた向きも、他を2冊か3冊読んだのちに「さて」などといいつつメインディッシュに取り掛かる舌なめずりと共に本書「博士」に手を伸ばしていただくのが宜しいかと思いますよ。

マ要するにだな。小川作品はすごくいいから「博士」だけでなく他もどんどん読んでほしいというファンの戯言だな俺が言いたいのはナ。

読んでね。



posted by 武道JAPAN at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月08日

「通貨」を知れば世界が読める 浜 矩子

著者は、同志社大学大学院ビジネス研究科長・教授。
一橋大経済学部卒業後、三菱総研を経て現職。政府の金融審議会、国税審議会、産業構造審議会の委員でもある。しばしばTVにも登場する。

軽く読める新書だし、大学教授が著した専門書というよりも、元・三菱総研のエコノミストが書いた解説書といった趣きで読みやすい。基軸通貨をめぐる攻防の歴史や、ドルの基軸通貨としての寿命はとっくに終わっていたのにもかかわらず、延命を願う力の働きが世界経済をここまでの事態に引きずってきてしまった状況が理解できます。

以下メモ

・特定域内で、「これを持っていけば必要な商品やサービスと交換できる」と認識されているものが貨幣。貨幣に足が生えて遠くまで通用するようになると通貨。(世界中で決済に使われる通貨が基軸通貨)

・基軸通貨には価値の保持と大量に幅広く流通されねばならないという矛盾する役割が求められる。

・現在の基軸通貨であるドルは、自らそのポジションを放棄し始めている。

・成熟し、世界最大の債権国となった日本が、いつまでも輸出産業だのみで円安を願うなど大人げない。

・円は「隠れ基軸通貨」である。日本の低金利が円キャリートレードを生み、アジアのバブルを引き起こした。日本のもつ巨額の資金は、強大な力を持っていることを自覚すべき。

・中国は次の基軸通貨を狙うかのような素振りを演出しているが、「とてもそんな余裕はない」のが実情。

・オバマの輸出倍増計画=ドル安志向により、今後はますます円高。1ドル50円時代の到来を想定して対策せよ。(管理人:そう考えるとアメリカ主導のTPPは「アメリカの輸出を伸ばすため」の戦略に見えます。自分は基本的に国を開き貿易を促進するのに賛成ですが、日本がお金を毟られないよう注意が必要。)

・ユーロは各国ごとの経済財政事情の違いを適正に調整する仕組みが欠けており、今後も難しい運営が続く。最悪の場合、崩壊もあり得る。

・ドル基軸通貨亡き後の世界に考えられるのは

1)金本位制の復活
2)世界共通通貨の創設

だが、どちらも望みは薄い。共通通貨+各国通貨をさらに下から地域通貨が支える構造が望ましいのではないか。

・・・と、ヤヤコシイ世界経済を大づかみに判りやすく整理してくれます。

通貨の近代史をざっと俯瞰できますし、ドルという基軸通貨が終幕を迎えている現時点の位相をあらためて確認できます。

ただ、1ドル50円時代が来るという予想の確からしさは、今一つ納得できなかったし、基軸通貨亡き後の世界予想も「う〜ん・・」といったところ。それでも、簡単にさあっと読み通せるわりに視野が展開する割合は大きく、読んでみる価値は感じました。店頭で見ると、なんだか売れているらしいです。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 15:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

日本再占領−「消えた統治能力」と「第三の敗戦」 中田安彦

タイトルが面白くて買ってきたが、あとで気づいたら「ジャパン・ハンドラーズ」の著者だった。「ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち」は、何年も前に読んだがブログにも書かず内容もあらかた忘れていた。

著者の中田氏は、大手新聞社に勤務後、SNSI(副島国家戦略研究所)で研究員・・という経歴から、副島隆彦の弟子?という位置づけのようで、よって一部からは「陰謀論者」と見られているらしいが、本書の内容は、ウィキリークスから流出した公電をきちんと読んで官僚の行状を暴くなど、実証的な面が見られ十分に説得力があります。

霞ヶ関官僚が隠然と日本を支配している実態や、小沢一郎・鳩山由紀夫がいかにして官僚に陥れられていったか・・などの舞台裏が見えて面白い。小沢一郎に対する評価が興味深く、官僚支配を打破し日本の管理システムそのものを変更しようとしている「制度改革者」と見ています。

官僚による支配を律令制にまで遡って解説するくだりは少々無理を感じますが、官僚制度改革がこの国の最重要課題である点は間違いないことと思います。

以下メモ

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ウィキリークスから流出した公電を読むと、日米の官僚(事務方談合同盟)が、政治の意向を無視したり、妨害したり、情報漏えいを行っている。

米国は、日本の政・官分裂、官僚主導を理解しており、官僚の危機意識の低さから、国家的危機の際に日本が事態収拾能力を失う可能性を見抜いていた。シーファー元駐日大使は、公電の中で日本の官僚制度に触れ、融通の利かなさから「複合的な災害に対応できない可能性がある」と警告している。(東日本大震災であらわになった通り)

米国は東日本大震災(および福島原発事故)発生の一週間後には、日本に対して「国家危機における統治能力なし」「軽度の破綻国家」という判断を下し、首相官邸に数十人の軍人や各専門家からなる「進駐軍」が入って危機対応にあたった。

日本の官僚は「政治主導」を掲げて登場した民主党を嫌悪し、米国は小沢一郎に「反米の疑いあり」と見た。利害の一致した両者は、共謀して民主党を潰しにかかった。かつてアメリカ(占領軍)によって作られた「東京地検特捜部」が小沢一郎を強制捜査し、外務官僚は鳩山由紀夫の弱点を米国側にリークした。

官直人は財務大臣時代、完全に官僚に取り込まれた。「逆さにしても鼻血もでないほど無駄をなくしてから」と言っていた消費税を選挙であっさり言い出し、大敗して衆参ねじれを作り出し、与野党の足の引っ張り合いになった。

鳩山一郎も、孫の由紀夫も「官僚主導から政治主導へ」「議会制重視」「政権交代可能な二大政党制」「対等な日米関係」「アジア重視」を目指していたが、外交交渉が拙劣なうえ身内への根回しも不十分であった。しかも、こういった世界観は米国の利益に反する→米国は自国の国益に反することは容赦なく潰す。

官僚は選挙での入れ替えがないうえ、組織の中での「申し送り」がある。中には親子二代の世襲官僚もいる。政治家が選挙でブームを巻き起こして、長期政権を維持してもせいぜい数年。官僚機構の継続性には勝てない。

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●小沢一郎の視点(2004年に「中央公論」に掲載されたものの要約)

日本はアメリカの占領体制に身をゆだね、難しい政治課題はアメリカ任せで経済的な繁栄に専心した。(管理人:いわゆる「吉田ドクトリン」)
政治課題を丸投げしてきたため、本当の「政治」が存在せず、儲けた金の配分だけをやってきた。その中で、徴税権と、税を配分する官僚の支配が強まった。
実質的な支配権を官僚が握り、政治家は富の配分によって立場を守る。業界はその体制の中で金儲けするという政官業癒着のもたれあいでやってきた。
本当は「アメリカからの自立」「官僚主導からの政治の自立」「日本人の個の自立」が重要。国家の主人は、選挙で選ばれた政治家であって、官僚ではない。

※小沢一郎は、官僚の国から国民の国へと、制度を変えようとしており、総理の椅子はどうでもよい。

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世界中に展開する基地がアメリカのスーパーパワーの重要な源泉。米軍基地の維持にとって、最も交渉しやすい相手は「独裁国家」(指導者とだけ交渉すればすむ)、次が「中央集権的民主主義国家」で、霞ヶ関主導の日本がまさにコレ。最もやっかいなのが「地方分権的民主主義国家」で、地方の自治独立や道州制の議論が進まないのは「アメリカが望まないから」という理由がある。

今後、米国の力は相対的に落ちてゆく。経済力を維持できなくなると世界中に展開する米軍基地も維持できなくなる可能性が高い。その場合、米国は「日米同盟の深化」という名のもとで日本に軍事的な負担を求めてくる。

日本で総理大臣になる一番低コストなやり方は、アメリカの顔色を窺いつつ、外務官僚の敷いたレールに乗ること(中曽根康弘に代表される自民党の首相経験者や、民主党では前原誠司に代表される松下政経塾出身者など)。戦後の長い日米関係の中でもっとも発展してきた「型」。

歴史に鑑みれば、属国が帝国と戦って勝利した例はない。アメリカ帝国が属国ニッポンを放棄するのは、帝国が内部から崩壊する場合である。

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日本の国家体制は、実は近代以前から進化していない。次のような段階の「接木状態」。一定の基盤となる理念が通っておらず、無思想で無規範。

1)部族社会
2)拡大部族社会+律令制
3)2)+イギリス+プロシャ型(明治維新・大日本帝国憲法)
4)3)+アメリカ型(戦後民主主義)

近代憲法では、自立した個人の集合を社会と考え、社会を構成する国民と権力者が契約を結び、権力者は憲法を守る責任を負う、と考える。これは西洋の個人思想を基にしている。

明治に輸入された「大日本帝国憲法」では、権力者と国民ではなく、天皇と皇祖(神々)との契約になってしまっている。日本には、真の自立した個人は育っておらず、正しい民主主義も、近代憲法も定着していない。

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・・と、日本社会の仕組みを様々な方面から分析しています。

西洋の個人主義に基づく社会契約説(社会は個人の集合であり、憲法は権力者の暴走を制御するための枷であると考える)と、そこから発展した近代憲法を骨格とする社会制度は、天皇を中心とする一大家族国家的な世界観を今も保ち続けている日本にはそもそも定着するはずがないのでは?と思います。

日本では個人が自立していない、本当には民主主義が行われていない、等と言われますが、根っこは民族独自の世界観設定にある気がします。例えて言えば、民族としてのOS(基本ソフト)の違いです。

天孫降臨神話と直結した皇室をもつ日本では、神話世界と現実世界が一続きになっていて、人間は神の子・自然の一部で、日本民族は同じルーツを持つ家族・親戚ですが、神と個人が契約を結ぶキリスト教的世界観では、社会は個人の集合であり、個人同士は権利を奪い合う可能性がある他人のように見えます。これは、普段は意識しなくても、我々の社会の底の底を流れているイメージです。

日本的世界観の良さが出れば「和をもって尊しとなす」「助け合い、ゆずり合い」「お互い様、おかげ様」の世界ですが、悪く出れば、個人が自分の足で立ち、頭で考えない「お上まかせ」で、誰も「決断できない日本」ですね。

我々は、日本社会の持つ美点を保持しつつも、オカミマカセにせず自分の頭で考える習慣を身につけるべきと思います。幸か不幸か、東日本大震災後、「国や政府は頼りにならない」「自分(と家族)は、自分で守らねば」と考える人が増えたそうです。大新聞やマスメディアに流れない情報もきちんと集め、世界を見通す眼を養いましょう。

読むべし!


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