2011年10月01日

日本再占領−「消えた統治能力」と「第三の敗戦」 中田安彦

タイトルが面白くて買ってきたが、あとで気づいたら「ジャパン・ハンドラーズ」の著者だった。「ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち」は、何年も前に読んだがブログにも書かず内容もあらかた忘れていた。

著者の中田氏は、大手新聞社に勤務後、SNSI(副島国家戦略研究所)で研究員・・という経歴から、副島隆彦の弟子?という位置づけのようで、よって一部からは「陰謀論者」と見られているらしいが、本書の内容は、ウィキリークスから流出した公電をきちんと読んで官僚の行状を暴くなど、実証的な面が見られ十分に説得力があります。

霞ヶ関官僚が隠然と日本を支配している実態や、小沢一郎・鳩山由紀夫がいかにして官僚に陥れられていったか・・などの舞台裏が見えて面白い。小沢一郎に対する評価が興味深く、官僚支配を打破し日本の管理システムそのものを変更しようとしている「制度改革者」と見ています。

官僚による支配を律令制にまで遡って解説するくだりは少々無理を感じますが、官僚制度改革がこの国の最重要課題である点は間違いないことと思います。

以下メモ

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ウィキリークスから流出した公電を読むと、日米の官僚(事務方談合同盟)が、政治の意向を無視したり、妨害したり、情報漏えいを行っている。

米国は、日本の政・官分裂、官僚主導を理解しており、官僚の危機意識の低さから、国家的危機の際に日本が事態収拾能力を失う可能性を見抜いていた。シーファー元駐日大使は、公電の中で日本の官僚制度に触れ、融通の利かなさから「複合的な災害に対応できない可能性がある」と警告している。(東日本大震災であらわになった通り)

米国は東日本大震災(および福島原発事故)発生の一週間後には、日本に対して「国家危機における統治能力なし」「軽度の破綻国家」という判断を下し、首相官邸に数十人の軍人や各専門家からなる「進駐軍」が入って危機対応にあたった。

日本の官僚は「政治主導」を掲げて登場した民主党を嫌悪し、米国は小沢一郎に「反米の疑いあり」と見た。利害の一致した両者は、共謀して民主党を潰しにかかった。かつてアメリカ(占領軍)によって作られた「東京地検特捜部」が小沢一郎を強制捜査し、外務官僚は鳩山由紀夫の弱点を米国側にリークした。

官直人は財務大臣時代、完全に官僚に取り込まれた。「逆さにしても鼻血もでないほど無駄をなくしてから」と言っていた消費税を選挙であっさり言い出し、大敗して衆参ねじれを作り出し、与野党の足の引っ張り合いになった。

鳩山一郎も、孫の由紀夫も「官僚主導から政治主導へ」「議会制重視」「政権交代可能な二大政党制」「対等な日米関係」「アジア重視」を目指していたが、外交交渉が拙劣なうえ身内への根回しも不十分であった。しかも、こういった世界観は米国の利益に反する→米国は自国の国益に反することは容赦なく潰す。

官僚は選挙での入れ替えがないうえ、組織の中での「申し送り」がある。中には親子二代の世襲官僚もいる。政治家が選挙でブームを巻き起こして、長期政権を維持してもせいぜい数年。官僚機構の継続性には勝てない。

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●小沢一郎の視点(2004年に「中央公論」に掲載されたものの要約)

日本はアメリカの占領体制に身をゆだね、難しい政治課題はアメリカ任せで経済的な繁栄に専心した。(管理人:いわゆる「吉田ドクトリン」)
政治課題を丸投げしてきたため、本当の「政治」が存在せず、儲けた金の配分だけをやってきた。その中で、徴税権と、税を配分する官僚の支配が強まった。
実質的な支配権を官僚が握り、政治家は富の配分によって立場を守る。業界はその体制の中で金儲けするという政官業癒着のもたれあいでやってきた。
本当は「アメリカからの自立」「官僚主導からの政治の自立」「日本人の個の自立」が重要。国家の主人は、選挙で選ばれた政治家であって、官僚ではない。

※小沢一郎は、官僚の国から国民の国へと、制度を変えようとしており、総理の椅子はどうでもよい。

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世界中に展開する基地がアメリカのスーパーパワーの重要な源泉。米軍基地の維持にとって、最も交渉しやすい相手は「独裁国家」(指導者とだけ交渉すればすむ)、次が「中央集権的民主主義国家」で、霞ヶ関主導の日本がまさにコレ。最もやっかいなのが「地方分権的民主主義国家」で、地方の自治独立や道州制の議論が進まないのは「アメリカが望まないから」という理由がある。

今後、米国の力は相対的に落ちてゆく。経済力を維持できなくなると世界中に展開する米軍基地も維持できなくなる可能性が高い。その場合、米国は「日米同盟の深化」という名のもとで日本に軍事的な負担を求めてくる。

日本で総理大臣になる一番低コストなやり方は、アメリカの顔色を窺いつつ、外務官僚の敷いたレールに乗ること(中曽根康弘に代表される自民党の首相経験者や、民主党では前原誠司に代表される松下政経塾出身者など)。戦後の長い日米関係の中でもっとも発展してきた「型」。

歴史に鑑みれば、属国が帝国と戦って勝利した例はない。アメリカ帝国が属国ニッポンを放棄するのは、帝国が内部から崩壊する場合である。

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日本の国家体制は、実は近代以前から進化していない。次のような段階の「接木状態」。一定の基盤となる理念が通っておらず、無思想で無規範。

1)部族社会
2)拡大部族社会+律令制
3)2)+イギリス+プロシャ型(明治維新・大日本帝国憲法)
4)3)+アメリカ型(戦後民主主義)

近代憲法では、自立した個人の集合を社会と考え、社会を構成する国民と権力者が契約を結び、権力者は憲法を守る責任を負う、と考える。これは西洋の個人思想を基にしている。

明治に輸入された「大日本帝国憲法」では、権力者と国民ではなく、天皇と皇祖(神々)との契約になってしまっている。日本には、真の自立した個人は育っておらず、正しい民主主義も、近代憲法も定着していない。

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・・と、日本社会の仕組みを様々な方面から分析しています。

西洋の個人主義に基づく社会契約説(社会は個人の集合であり、憲法は権力者の暴走を制御するための枷であると考える)と、そこから発展した近代憲法を骨格とする社会制度は、天皇を中心とする一大家族国家的な世界観を今も保ち続けている日本にはそもそも定着するはずがないのでは?と思います。

日本では個人が自立していない、本当には民主主義が行われていない、等と言われますが、根っこは民族独自の世界観設定にある気がします。例えて言えば、民族としてのOS(基本ソフト)の違いです。

天孫降臨神話と直結した皇室をもつ日本では、神話世界と現実世界が一続きになっていて、人間は神の子・自然の一部で、日本民族は同じルーツを持つ家族・親戚ですが、神と個人が契約を結ぶキリスト教的世界観では、社会は個人の集合であり、個人同士は権利を奪い合う可能性がある他人のように見えます。これは、普段は意識しなくても、我々の社会の底の底を流れているイメージです。

日本的世界観の良さが出れば「和をもって尊しとなす」「助け合い、ゆずり合い」「お互い様、おかげ様」の世界ですが、悪く出れば、個人が自分の足で立ち、頭で考えない「お上まかせ」で、誰も「決断できない日本」ですね。

我々は、日本社会の持つ美点を保持しつつも、オカミマカセにせず自分の頭で考える習慣を身につけるべきと思います。幸か不幸か、東日本大震災後、「国や政府は頼りにならない」「自分(と家族)は、自分で守らねば」と考える人が増えたそうです。大新聞やマスメディアに流れない情報もきちんと集め、世界を見通す眼を養いましょう。

読むべし!




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2011年09月04日

最終講義−生き延びるための六講 内田樹

本を開いた瞬間に、あ、ちょっと失敗したかな、と思った。
著者は今春、20年勤めた神戸女学院大学を退任されたばかりなので、「最終講義」というタイトルにもっとこう「20年の集大成」的な重厚な内容を期待して買ってきたのだけれど、実は講義・講演録でした。まあ中身をよく検めなかった自分の責任ですね。

したがって、話し言葉で書かれているため読みやすい、という良い点と、その分、じっくりと煮詰めた濃密な文章になっておらず薄味・・という残念な点があります。まあ、そう理解して読むならそれはそれでよいです。

学びの本質について語る「ミッションスクールのミッション」では「下流志向」で展開された「市場の論理が教育現場に持ち込まれている弊害」など、内田氏の著作やブログの読者にとっては既知の内容も多いです。それでもやはり新しい視点がどんと降ってきて開眼の瞬間が多々あります。
以下メモ。

・・・
●北方領土問題が解決しないのは、現状維持を命じる勢力があるから
北方領土の不法占拠を問題にすれば、南方領土も問題になる。つまり沖縄に基地がある米国の立場が難しくなる。よって、北方領土については米国と米国に追従する政治家・官僚が強硬に4島一括返還にこだわり、事態を膠着させて現状維持が図られている。EUは2005年にロシアの北方領土占拠を不法とし、日本へと返還を求める決議をしたが日本のマスコミはどこも報道しなかった。

●日本が変わらない事から受益するのは誰かを考えよ
アメリカ・霞ヶ関・マスメディアである

●自民党vs民主党は(まだ)真の2大政党ではない
自民党内の福田派・田中派の2大派閥が2政党に変わっただけ。
福田派 都市層中心 アメリカ寄り 自由競争 ケ小平的
田中派 農村重視 冨を分配 対米従属脱却 毛沢東的

●ヴォーリズ建築の妙
明治38年に来日したウィリアム・ヴォーリズは、全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼる建物を設計した。神戸女学院の学舎もヴォーリズによるが、この建物は各階が同じデザインではなく、隠し部屋や廊下、思いがけない場所に明媚な風光を楽しめる窓などがある。これは、「好奇心をもって自ら多くの扉を開けた者だけに見える風景がある」という「学び」の本質を具現化している。

●教育の基本「六芸」−礼楽射御書数
礼(礼儀、祭礼、儀式、死者や人を超えたものとの対話)
楽(音楽、今ここに無い時間との対話)
射(武芸とくに弓、己の肉体〜強ばりや無理、力み、と精神との対話)
御(騎馬、人間以外とのコミュニケーション)
書(よみかき)
数(そろばん)
「礼」が最初にきて読み書きそろばんが後。なのに現代の学校では最後のふたつしか教えない。

●自身の利益を超えたもののために自己を投じるような人でないと突出した業績は見込めない
明治期の学者たちは「日本の知力を底上げする」という使命を負って勉強した。最近の(人文系の)学者は自分の能力をアピールして良いポジションを得るような事しか考えていない人が多くつまらない。

●日ユ同祖論の正体
日本人はユダヤの失われた士族・・というまことしやかな嘘が度々現れる背景には、欧米文明に圧倒された劣等感の補償を、宗教的・霊的に欧米文明を睥睨できるポジションにあるユダヤに自分を重ねたいという欲望ではないだろうか。

●社会が豊かになると競争が起こる
社会全体が底上げされ、敗者でも死ぬことは無い、生きてゆけるようになると、より良い条件を求めて競争が起こる。社会が貧しくなり、本気で戦ったら敗者は生きのびられない・・となってくると、競争をやめ共生的になる。
日本は右肩下がりに貧しくなりつつあり、若い女性がもっとも鋭敏にこの傾向を察知し変わりつつある。20年前はキャリアウーマンを目指し、10年前には結婚志向となり、現在は「農業をやりたい」と普通に言う。

・・・

この国には資本も、技術も、インフラも、優秀な国民も、何もかも揃っているのに希望だけがない、と言われます。なぜかといえば、耐用年数の過ぎた古いやり方、古いシステムを、変えたくない、温存したい・・という勢力が居て、若い世代の希望を摘むからです。

いま日本に必要なのは21世紀に向けたビジョンだ、とも言われます。でも「今のままが良い」「変えたくない」「俺の人生が終わるまでは、このままで逃げ切りたい」とひそかに思っている人がたくさん居る。原発の問題にも、官僚機構にも、大企業にも、至る所に事例があります。社会が高齢化してくればこの傾向は強まる一方でしょう。

しかし、変革すべき潮目で守旧派が勝つと、その国家は衰退します。企業でも同じです。
失われた20年を過ぎて、なおデフレに苦しむニッポン。いまが変革の必要な時期だ・・というのは誰しも判っているでしょう。だからこそ、先の衆議院選では民主党に「変化」を期待した。(見事に裏切られましたが)

それでも、日本人が、あるとき極端にドラスティックな変化を引き起こすことは歴史が証明しています。いまはまだ爆発的な変化の過程だと思われます。

本書に「自民党vs民主党は、自民党内の福田派・田中派の2大派閥が2政党に変わっただけ」という指摘があります。おそらく日本は、真の民主主義国への過程にあるのでしょう。真の民主主義国とは、2つ以上の政党が互いに政策(マニフェスト)を提示して選挙で国民の信を問い、国民の負託を受けて選ばれた方が政治を行う・・という仕組みです。官僚組織はその手足となって働く。

自民党時代には、そうではありませんでした。対立する政党がなく、政策も総理大臣も自民党内部の勢力争いによって決定されましたから、国民には国家のリーダーを自分達が選挙で選んでいる意識がなかったはずです。その間に、肥大した官僚機構が内閣に代わって政策を立案するようになりました。国の方針や仕組みを、国民が選んだ政治家ではなく、公務員試験に合格した役人が動かすようになったのです。政治家も怠慢で、法案や政策の組み立てを官僚任せにし、大臣の椅子に座って「センセイ」と呼ばれておれば事足れりとしたわけです。まあ右肩上がりで順調な時代はそれでも良かった。
しかし、旧来のやり方が通用しなくなったら、官僚ではどうにもなりません。ヤクショというところは縦割り組織ですから、自分の管轄する役所の外に出て国家全体の趨勢をカジ取りする・・などという視点はありませんし、そんな権限もありません。

いまほど、国家の大計を持って横断的なリーダーシップが政治家に求められている時はないのですが、新しい野田内閣は、総理自らが官僚組織の操り人形にしか見えません。
2大政党制から真の国民主権による民主主義国へ・・という道筋は、真の国民主権を望まない守旧派によって阻まれつつあります。(※日本が変わらない事から受益するのは誰かを考えよ。アメリカ・霞ヶ関・マスメディアである)

しかし、年寄りにも、原子力ムラにも、官僚機構にも、大企業にも、「このままではダメだ!変えよう」という志のある人は居るはずです。改革派官僚として知られる、古賀茂明さんの「日本中枢の崩壊」がベストセラーになるくらいですから間違いない。
そういう人たちがいる限りチャンスはあります。明治維新だって、ごく少数の志士達が立ち上がって引き起こしたのですから。

しかもインターネットを中心に、マスメディアに流れない正しい情報が流通し始めています。我々が置かれた状況を正しく認識し正しく行動できる人が増えれば、さらにチャンスは増大します(微力ながら、本ブログもそのために書かれています)。

示唆に富む一冊。

読むべし!



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2011年08月23日

人質の朗読会 小川 洋子

最近はあまり小説を読まないのだけれど、「猫を抱いて象と泳ぐ」が、あまりにも良かったため、本作を書店で見かけたとき速攻で購入してしまった。そしてまた、期待を裏切らないクオリティをしみじみと堪能したのでありました。
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地球の裏側で反政府ゲリラの人質になった8人の日本人旅行客。100日を超える拘束期間の果てに、救出作戦は失敗し全員が爆死する。
それから2年後、遺族に録音テープが届けられた。記録されていたのは、8人の人質による朗読会。ゲリラの基地を盗聴していた特殊部隊によって録音されたものだった。

という舞台設定の上で、9つの物語が展開される。朗読されるのは、人質一人一人が書きしるした、それぞれの人生の「断片」とでもいうべきストーリー。それは囚われの日々の退屈と不安をまぎらわせるためのちょっとした遊びで、けして遺言のような悲愴なメッセージではない。各々の物語は、華やかでもスペクタクルでもなく、むしろささやかな、あるいは淡々とした、ほんのちょっとした日常を描き出してゆく。

異国でゲリラに拉致される、という極端に非日常的な設定と、その中で紡ぎだされた、ささやかで日常的な物語・・しかも読者は、その語り手たちがすでに死んだことを知っている。だから一遍一遍の物語が、黒い背景に置かれた真珠のように静かに輝きます。

端的に言えば9編からなる短編集なわけですが、「死んだ人質たちの、誰に届けられる予定もなかった物語」という糸で”ひとつらなり”にされ、一粒一粒の真珠が首飾りに完成するような、見事な全体像を創り出します。

素晴らしいのは、それだけではありません。人質は8人なのに、物語は9つあり、最後の物語が、それまでの8編を上手にひきとっています。
9編目の物語には、葉っぱを運ぶ昆虫の話が出てきます。自分の体より大きな緑の葉っぱを抱え、列をなしてせっせと運ぶ様子は、森を流れる小さな川のようです。その姿が、8編のストーリーを語る8人に重なってきます。

特別な栄誉も名声もないけれど、ひとりひとり、ひとりぶんの人生を、せいいっぱいに抱えて黙々と歩いていた人たち。そして、思いもかけぬ展開で突然この世からいなくなってしまった人たち。それは、この8人に限らず、我々を含めたすべての人間たちが「生きる」ということ、そのもののように見えます。

一日一日を生きてゆく、祈りにも似たその営みを神の目から優しく見下ろしたら、こんな物語が書けるのでしょうか。

特別な時間を過ごせる、と保証します。

読んでください。



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2011年08月20日

われ日本海の橋とならん 加藤 嘉一

著者は、英フィナンシャルタイムズ中国版コラムニスト、北京大学研究員、慶応義塾大学SFC研究所上席所員、香港フェニックステレビコメンテーター。

少年の頃から「日本を飛び出したい」と英語を猛勉強していた彼だったが、とある縁で北京大学に招かれる。19歳で単身中国に渡った彼は、大学在学中に反日暴動を目撃。それがきっかけでTV番組に出演しインタビューを受けたことから取材が殺到し、中国に「加藤現象」を巻き起こした。いまや年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書き、ブログやツイッターで多くの読者を持つ「中国でもっとも有名な日本人」。

「内から見た中国、外から見た日本」という副題がついていますが、現地に入り込んで現地の言葉で実際に生活してみないと分からない中国の姿を紹介。「中国に自由はあるのか?」「人々は民主化を求めているのか?」など、日本人が持つ数多くの疑問に答えます。また180度視点を変え、外に出てみて初めて明確になる日本の姿も描きます。以下面白かった点をメモ。

・・・

・中国人は民主化を求めているか?
今のままで続けられるとは、上も下も思っていない。ただ、自分や自分の家族が豊かで幸せでありさえすれば他のことはどうでも良い、という実利的な傾向が強く、それを邪魔されない(サポートしてくれる)なら、政治体制がどうでもこだわらない。

・意外に言論の自由はある
「天安門」などのタブーワードに触れない限り、言論は自由。人々の政治意識は高く、学生でもタクシー運転手でも、驚くほどさかんに政治や外交について議論する。
むしろ日本のほうが「空気」としてのタブーが多く、言論空間が狭いのではないか?日本では政治を熱く語る学生などは「ウザい」と敬遠される。
インターネットは普及しており、カフェで無料のネット接続は当たり前。日本より便利。学生や農民工も、TVは持たずともPCは保有し、食いつくように最新情報を集めるのに必死。

・中国政府の最重要懸案事項は、「統一の維持・分裂の回避」
尖閣諸島などで対外的に強硬に出る動機も、多くはこれ。13億人の巨大国家を統治するのは至難の業。歴史的にも「分裂・戦乱」と「皇帝による一極統治」の繰り返し。今は皇帝ではなく共産党が何とか統治しているが、常に分裂の危険と隣り合わせ。

・日本だけがもつチャイナリスク「反日感情」
中国共産党の建国神話として、軍国日本と戦い人民を解放した・・というストーリーがあるため、ことさら「反日」を強調せず愛国教育を志向しても、容易に反日と結びついてしまう。日本だけが抱えるチャイナリスク。

・反日はじつは「反・自分」
うまくいかない事が多いと、反日デモに名を借りた「反・自分」行動が出る。これはすぐ反体制、反政府に転化するため、中国政府が最も警戒する。日本にとってのチャイナリスクは、中国政府にとってのジャパンリスクで、これは表裏一体。
日本が中国に対して強硬に出ると、中国国内の不安定化を促すことになる。ここの理解は重要。時には外交カードに切ってもよい。

・日中の利害は一致する
今後のアジアにおいて、中国とは付き合わないでおこう・・という選択肢はあり得ない。中国から見ても、日本と敵対して良いことなど一つもない。実は両国の利害は一致している。

「東アジアの将来の平和と幸福は、日中両国が共に生き、共に進む道を見つける事に掛かっている。」(→文明の衝突と21世紀の日本/サミュエル・ハンチントン

「日本と中国は、しばしば永遠の敵対関係と見られがちだが実際にはアジアの政治経済にとって車の両輪である。」
(→「三つの帝国」の時代―アメリカ・EU・中国のどこが世界を制覇するか/パラグ・カンナ

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その他、著者独自の視点として、ほとんど仕事をしないで昼間から公園で将棋などをしている「暇人」に注目しています。これはよく取り上げられる「農民工」とは違い、出稼ぎでない労働者(半失業者?)ですが、筆者の推計ではおよそ3億人。中国世論を動かす陰の存在と見ています。
また、貨幣のように流通する「面子」の話など、中国人理解に参考になる情報が詰まっています。

「中国でもっとも有名な日本人」を目指したわけではないはずの彼が、時代に選ばれて時代を駆け抜けている疾走感が伝わってきて心地よいです。1984年生まれというから、まだ27歳だ。素晴らしい!龍馬が脱藩したのも27歳だった。関係ないけど。

最終章では、同年代の日本の若者に、日本を飛び出し世界を見よ!と熱いエールを投げています。いま日本は大胆に変化すべき時。日本は震災で時計の針が10年進んだ。猶予はない、と。

読むべし!読むべし!




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2011年08月17日

武道的思考 内田 樹

信用できる友人に勧められた本。

内田氏の本は、すでに「日本辺境論」「下流志向」などを面白く読ませていただいていたので、今回も期待して購入。書店で発見したとき、や、なかなか分厚い本だなと一瞬ひるんだものの、どうやらブログなどを再編集したものらしく、一文一文は短いため楽に読めました。・・楽に読めた、といっても内容の充実ぶりは素晴らしく、ページを繰る手が止まらぬ面白さです。

著者は神戸女学院大学名誉教授。今年大学を定年退職し、まもなくご自分の道場を開かれるとのこと。「武道家」というイカツイイメージをさらっと裏切る独特な文体の軽さが小気味良いです。深刻になりがちなテーマを語っているときでも、ふっとリキミを抜く。
批判や批評を加えるときに、この「緊張感を高めきらずにかわす、そこはかとない軽み」はとても有効だなと感じます。反対意見も衝突を感じずに受けとめやすくなりますね。さすが合気道六段。以下ランダムにメモ。

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・身体能力にリミットをかけているのは大半が脳内ファクター。道場に出ないときにも武道の身体運用について考え続けていると技術は向上する。

・自己利益の追求と同じくらい熱心に公共の福利を考えることのできる「公民」を育成することは共同体にとって死活的に重要で、それこそが教育の意味。

・武術修行を通して開発されるべきは「生きる力」。わずかな予兆から危険を察知して避けることや、他者と共生し同化する・・ひいては集団をまとめる能力。

・ほんとうの身体能力は、ある時間上の点から次の点まで移動するときに、どれだけ細かくその時間を割れるかという事。(管理人:こんなこと武道をやっている人以外に通じるかしら)

・身体で考えることの重要性
近代は自然を都市の外へと排除した。人間に残った自然=身体も排除され、心が主体で肉体は従とされた。近代文学では心の動きや心理の葛藤、愛憎などばかりがクローズアップされた。軍事までもが兵站というリアルを無視して「大和魂」などという精神論に走った。

・葬式の儀礼をなくしたら人間社会ではない
葬儀のような「存在しないものとの対話」を行うのは人間だけ。葬儀だけでなく、例えば音楽も「今、ここ」に存在しないものとの対話。音楽は前の音と今の音と次に来る音が連なっているから音楽になる。つまり、すでにもう今ここにはない音と、今聞こえている音を同時に感じ取れなくては音楽は成立しない。今ではない時間や、ここではない場所をリアルに想像できる能力が大事。

・身体の中でリラックスできている部分が多いほど自由度は高まり、武術における殺傷力も高まる。100%リラックスしている状態が一番強い。相手を不自由な緊張状態に置き、こちらが自由にふるまうのは単なる虐殺。相手の質量も取り込んで相手もリラックスさせたまま一緒に扱えば、さらに大きな運動ができる。(管理人:これ合気道ですね)

・子供を「型」に嵌めることの効用
お遊戯や起立、礼など、定型的な身体運用は必要。他者と同一の動きをまねることにより脳内の「ミラー・ニューロン」が養われる。これを通じて、他者との共鳴や共感が得られるようになり、そのあとで、やっと「他者とは違う自分」という主体がつかめる。
個性尊重とかいって各人勝手なことをさせ、他者との回路を育てないと、「自分」も確立できない。

・近代国民国家というものは人間が勝手につくりあげた想像の共同体であるが、しかしこれを公道とみたててやせ我慢してでも維持する以外に我々の生きる道はない。

・日本人はパイが拡大しているときはナショナリズムを忘れる。パイが縮みはじめると尊王攘夷が出てくる。

・帰属する集団がないものはナショナリストになりやすい。何らかの集団に帰属し、人々と共働し、役に立って必要とされ、敬意と愛情を得ていればパトリオットになる。

・日本にテロを仕掛けることは容易。しかし、もし日本に攻撃を仕掛けた場合、かつての戦争における自暴自棄な戦いぶりからすれば、この国民は一丸となって「復讐国家」となり、憲法を改定し、増税を受け入れ、軍備を増強し、米国でさえ躊躇するような冒険的な行動に出る可能性が高い。そんなことをしても誰も利益を得ない。

・豊臣秀吉の朝鮮侵略は「華夷秩序」コスモロジーで見ないとダメ。当時のアジア世界の常識では、周辺蛮族は地域を平定したら、中央に討って出るのが筋だった。匈奴もモンゴルも満州族もそうした。秀吉も朝鮮を斬り従えて中原に攻めのぼり王朝を立てるつもりだった(が、失敗した)。
日本と朝鮮という関係だけでとらえても判らない。

・安保闘争の時に国民が苛立ったのは、私たちは戦争に負けたのだからアメリカの軍事的属国になる以外の選択肢がないという悲しい現実と恥を受け入れよう、という本当のことを右翼も左翼も言わなかったから。その弱さを認められないほど当時の日本は弱っていた。

・利害対立したときは、実力者が一歩引いて「三方一両損」が最上策。しかし世界一の実力者であるアメリカはこれができない。調停能力に関しては最低で、アメリカが絡んで上手くいった調停はない。

・日本が本当に親米的な国なら、アメリカが世界中で尊敬され敬愛され末永く安泰であり続けるように協力するはず。ところが、そんなことにはこれまで指一本動かさなかった。戦争の後押しをし、「それをするとアメリカの敵が増える」ことは熱心に支持した。特に小泉元首相は積極的にやった。
これは征服された元王家が、仕えた新しい王の没落を願う「従者の復讐」ではないのか?

・・・

話題は武道論にとどまらず、日米安保や核武装にまで及びます。

思いがけない視点や言語化できていなかった実感などが「なるほど」とやってきて実に刺激的です。武道に親しんでいない人にも得るところ多いと思われます。

読むべし!

●ブログ 内田樹の研究室


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2011年08月14日

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 松岡 正剛

日本には日本を論じる書が多い・・と言われますが、一番力が抜けてて包括的に本質を言い当てている一冊ではないかと思います。(良い意味で)脱力系日本論。

著者は、稀代の本読み、あの「千夜千冊」の松岡正剛氏。
さすがに幅広い見識から導き出された論は、武士道とか、禅とか、明治維新とか、日本の歴史文化の特定一部をクローズアップして勇ましくNIPPONを称揚する、よく見かける言説とはレベル違いの豊かさです。

のっけから「最近、日本は自信を失っている。もっと自信を取り戻そう」との言説に対し、「そもそも日本の自信って何?明治維新で得たもの?芭蕉のサビや近松の浄瑠璃?NYにビルを買ったこと?」と問い直し、「日本は、自信や強さにつながるナショナル・アイデンティティなんて確立したことはない」と説きます。

タイトルが本書の主張をすんなりと表しています。日本には「これが日本だ」という主題はなく、多様性を包含する「日本という方法」〜様々な情報を「編集する」手法〜だけがあるのだと。「『無常』や『バサラ』や『侘び』や『伊達』を、また、人麻呂や一休や・・・夢野久作や三島由紀夫やサザン・オールスターズや椎名林檎を、一様なアイデンティカルな文化や様式で説明することは無理ですし、したくもありません」と。

以下メモ。

・・・

●「一途で多様な国」
日本は一途なところがあるが、多重的で多層的。多神多仏。実際は単一民族ではない。違うものが共存する。対比や対立があっても、その一軸だけを選択せず、両方あるいはいくつかの特色を残す。中心がひとつではない。天皇と将軍がいる。関東と関西では文化が違う。和漢が並ぶ。静と動、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)、アマテラスとスサノオ。
普通なら分裂し、弱体化する。なのに統一を保っている。日本を日本ならしめている「方法」がある。

○風土と宗教
砂漠では判断を間違えると全員死ぬため、そこで生まれた一神教では唯一絶対の存在を置き対立意見を認めない。温暖で多様な森林では様々な選択肢があり拙速や浅慮はタブーで意見調整が必要。

●「おもかげ」と「うつろい」
受け入れる、取り込む、換骨奪胎する、オイシイところを抜き取る。「おもかげ」を写し取りながら「うつろい」変化させてゆく。

30年前にはスパゲティといえば真っ赤な「ナポリタン」だったのに、いつの間にか本格的なパスタを食べ、タラコスバゲティまで創作している。その割りに、いくら生活が洋風化しても家に上がるときに靴を脱ぐ習慣は変わらない。

外部から来たものをどんどん取り込み、やがて自分たちに都合のよいように変える。しかし変わらないものは全く変わらない。

●「ウツとウツツ」
中に空洞があるものが「ウツ(虚、空)」そこに何かが宿り、次第に姿を現して「ウツツ(現実)」へと「ウツロイ」ゆく・・・無常観。

●「絶対矛盾的自己同一」
論理で世界を分別しない。一は即ち多であり、逆もまた然り。Aと非Aというように区別しない。二項(多項)は同時に存在する。

●「アワセ、カサネ、キソイ」・・様々な日本的情報編集手法

●すべてを完成させないで想像力で補う。水を感じさせるため庭園から敢えて水を抜く。

・・・

今回は、あまり多くをメモしません。
しようとすれば、ほとんど全ページをメモする事になりそうなくらい、内容が充実しています。手元において何度も読むのが正解です。万葉仮名から徳川社会、日米同盟と憲法九条まで縦横無尽に論じます。読んでもらったほうがよい。価値がある。「編集工学」というものを提唱してきた著者ならではの「情報編集国家ニッポン」論。痛快です。

読むべし読むべし読むべし!




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2011年07月31日

「官僚は犯罪者」は世界の常識 高山正之

著者は辛口かつ切れ味鋭い評論で知られるジャーナリストの高山正之氏。元産経新聞記者。「アメリカ依存ではない保守」という立場と見えます。そして、この立ち位置がもっとも正しい姿勢と思う。

本書でも、日本は素晴らしい国で国民は一流だが国を蝕む勢力が3つある、として官僚・学者・マスメディアを痛烈に批判。特に官僚の成り立ちについての論がとても面白い。以下メモ。

・・・

官僚は明治期に生まれた。それ以前は、高い徳育を受けたサムライ達がその任に当たっており、私利よりも徳義が重んじられた。明治維新と共に足軽(一般人)が官僚に登用されると、他の国と同じように役人の腐敗が始まった。
明治政府のモラルの低さに愛想をつかした西郷隆盛や江藤新平は下野し、最後は殺されてしまった。明治20年頃には、それまで不要だった「官吏服務紀律」ができたが、ここには官僚の腐敗を戒める条文が並んでいる。

官僚というものは社会を維持する必要悪であり、ほうっておけば腐敗し、国に寄生するようになる。働かず、私欲に走る。だから米国では役人は最低賃金に据え置き優遇しない。優秀な者は民間企業で活躍する。

官僚機構をのさばらせると国力が衰退する。それを理解していたマッカーサーは、戦後、元老院・宮家を廃止したのに、官僚機構はそのまま残した。日本から力を削ぐための仕掛けだった。抑えるものが消えて権力のトップに浮上した官僚機構はそのまま肥え太って日本社会にタカリ続けている。

日本には「官僚は優秀で潔白」という虚妄があるが、日本の官僚が優秀だった実績はない。戦後の復興も民間の活躍によるもので、護送船団方式などは嘘。
レーダーやステルス、光ファイバー、パソコンのCPUなど、日本の技術で発明されたのに他国に技術を盗まれ特許を簒奪され、ノーベル賞まで持っていかれた事例は枚挙に暇がない。それに対し、特許庁も外務官僚も日本の成果が奪われるままに放置し何もしない。

官僚にとって日本国家は寄生する対象。宿主が死んでは困るので揉め事を起こさぬよう何でも穏便に図る。国家の威信などどうでも良い。尖閣諸島でも拉致問題でも、日本が毅然とした行動を取れないのは国家の寄生虫が蔓延っているから。
北京あたりで賄賂を受け取って豪勢な暮らしができればよいので、相手方の言うことは言いなりに聞く。どうせ自分の金ではないから、金で解決できるなら出す。

犯罪多発地区を抱える人口400万のロスアンゼルス市議会は議員15人で運営している。東京は人口比で言えば45人で足りるはずだが127人もいる。さらに区議も入れると2500人。区議の報酬は新人でも企業の部長級だが、たいした仕事はない。いかに国力を吸い取るか。

・・・

身分が低く教養のない足軽が明治政府の要職に就くと、当時の知識人であった(元)武士階級は新聞を作り「この無教養で下劣な足軽どもめが」と政府を批判した。この、政府を見下す新聞の伝統が、変形して現在まで残っている。
朝日新聞は、日本は非道な国でアジアでたくさんの罪を犯した・・という立場を常にとり、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」など、捏造記事を量産しバレても訂正しない。

その朝日新聞とタッグを組んで自虐史観の蔓延に手を貸した御用学者の家永三郎、吉見義明、後藤乾一や、日本の歴史をゆがめた南原繁、網野善彦、藤原彰など、日本を嫌い、日本を貶めることに血道をあげる学者たちがある。

NHKは報道機関というより官僚。国民から徴収したお金で贅沢な取材用車両や豪勢な弁当をまかない短い記事を書くだけ。報道内容について中韓から抗議があると事実関係そっちのけで事なかれ主義に徹する。ジャーナリズムとはいえない。
(参考→NHKの正体―情報統制で国民に銃を向ける、報道テロリズム

・・・

と、官僚支配・学者・マスメディアに痛烈な批判を加えています。「舌鋒鋭い」とはこのこと・・という調子でバッサバッサと斬ります。痛快です。官僚に国家の運営を任せる危険がよく判ります。

最近の政治状況を見ると、震災復興を増税の口実にしたい財務省に対し、政治の側から反攻が起こってきつつあるようです。我々は、この国のコントロール権を官僚たちの支配から国民に選ばれた政治家に戻さなくてはなりません。
なぜなら、現在のような危機(震災だけでなく、国家財政・少子高齢化・東アジアの勢力図変化など)の際には強いリーダーシップによる変革が必要ですが、官僚は仕組み(省庁タテワリ=天下国家の視点がない)から言っても、立場(そもそも官僚は国家の行方を左右する権利はない。選挙で選ばれ、失敗したら次の選挙で落とされる政治家と違い、国民からは顔も名前を見えないところでうごめき、失敗しても責任を取らずクビにならない)からいっても、国家運営のハンドルを握るべき存在ではありません。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 14:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

この国の「問題点」 〜続・上杉隆の40字で答えなさい〜 上杉 隆

先月(?)の「朝まで生テレビ」に出演していた著者の、醒めた、しかし適確な物言いが面白くて本書を買ってみた。

著者の上杉氏は、NHK記者→鳩山邦夫の秘書→NYタイムス日本支社を経てフリーとなり、自由報道協会を設立。ツイッターやネットメディアでの発信が多い。

タイトル通り、フリージャーナリストである著者が、この国(および若干、世界)の「問題点」に一問一答形式で答えてゆく。なぜ40字なのかは不明だが、一見ややこしいヨノナカの問題を短くまとめてズバリ言い切るところは痛快。思わず笑う回答もあります。

さまざまな「問題点」を取り上げていますが、特に記者クラブに対して強い批判を展開します。

・大企業や政府・官公庁の記者会見に必ず参加できるのは大手マスコミで構成される記者クラブに限定される。これは日本にしかない特殊な慣行。原発事故などの重要な政府広報も独占し、フリージャーナリストや海外メディアを排除する。

・だがその記者クラブは、情報の発信側(大企業や官僚組織)との癒着が強く(公的機関が光熱費持ちで記者室を提供したり、記者を接待したりする)不都合な記事は書かない。書くとクラブからはずされる。またサラリーマンであるゆえに所属する会社の意向に沿わない記事は書けない。

・つまり本来のジャーナリズムからは掛け離れた、権力側の単なる広報機関に成りさがっているのが実態。しかし日頃TVや新聞というメジャーなメディアから流れるのはこういった「大本営発表」のような情報ばかり。記者クラブ制度、およびそれに代表される「健全な現場の若い声を、老朽化した組織システムが阻害してしまう」仕組みが、この国の根源的な「問題点」。

また、NYタイムスの記者であった経験からか、他国で流通しているニュースと日本のそれに格差を見いだしています。

ロシア政経ジャーナル」の北野氏によると、世界にはいくつかの情報ピラミッド(米英・欧州・クレムリン・イスラム・中国情報ピラミッド)があり、日本は英米ピラミッドの末端に位置しているとのこと。なるほど例えば次のような上杉氏の指摘と符合します。

・日本(と米国)では、アルジャジーラはイスラムテロ組織のプロパガンダ機関のように思われているが、世界では最もフリーで公平な報道機関のひとつと見られており、中東のCNNとも呼ばれている。

・ウィキリークスも日本(と米国)では批判的に見られるが、世界では創始者のジュリアン・アサンジをノーベル賞に推す動きもある。

・格付け機関は米国の一私企業に過ぎず、格付けの基準は概ね恣意的なもの。マジレスするのは日本だけ。

・今後、世界は水資源をめぐる激烈な競争に突入するが、日本は森林と水に恵まれており政府も市民も気づいてない。気づいていないうちに外国資本が森林を買い占めている。

それから、国家を運営する「予算」がいかに組み立てられるのか、なぜ「政治主導」が機能しないのか・・・についても、40字の簡潔な説明から、様々な問題が解けてきます。

・予算はタワーを建てるように各省庁でボトムアップ式に作られる。役所は、自分たちに必要な予算を積上げるため、規模は年々大きくなる。
1年がかりで編成された予算が閣議に上がってくる段階では、もはや本当に必要かどうかを判断する機会はない。「事業仕分け」で多少切ってみても枝葉のこと(ただし役人を公開の場に引き出すことは意味がある)。予算編成権(および人事権)を政治の手に戻さないと本質は変えられない。

・政策もボトムアップ式にあがってくる。その過程で調整を経て、事務次官会議(役所のトップ同士の話し合い)で決定され、閣議では承認されるだけ。つまり、政府ではなく役人が作り、役人が決めている。
民主党は、いったんは事務次官会議を廃止し、あがってきた政策に政治家が注文を付ける「政治主導」を行おうとしたが、手間隙かけて調整した内容がオシャカになるため役人が抵抗し、けっきょく元に戻されてしまった。

・・と、日本では議院内閣制の仕組みが正しく運用されず、議論の場であるはずの国会が、役人の作った法案を承認する儀式と化している実態を指摘します。

本来は、国民によって選ばれた政治家が政策を立案し、法案を作って審議し、そこで決まったものを役人が手足となって実行する・・この役割が逆転しています。これでは、国民のための政治が行われるはずはない。役人のための、役人に都合の良い政治が行われて当然です。「日本の統治構造」の著者、飯尾潤氏は、これを「官僚内閣制」と呼んで批判しています。


たくさんある話題の中からごく一部を取り上げましたが、簡潔に読めるわりに本質を突いた指摘が多く面白いです。政財界と癒着してしまい、ジャーナリズム本来の切れ味を発揮できない大手マスコミ以外の視点として参考にしておいて良いと思います。

読むべし!


posted by 武道JAPAN at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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