2012年02月12日

政治家の殺し方 中田 宏

著者は、元横浜市長。
週刊誌の暴露(いや捏造)記事で「ハレンチ市長」と叩かれ、「愛人」なる人物が横浜市役所で記者会見したりして騒動になった。

自分はその時期に横浜市民だったのですが、週刊誌など年に3冊くらいしか読まないし、TVのワイドショーも見ないので、実際のところ上記の騒動についてほとんど知りません。むしろ横浜競技場のネーミングライツ(命名権)を日産に売ったり、「G30」キャンペーンでゴミ削減に取り組んだりと、新しい施策をいろいろ実行していた市長・・という記憶が強いです。まあ結果として、暴露記事も愛人問題もひとつ残らず捏造だったようです。

本書では、なぜそういう根拠のないスキャンダルが現れてくるのか、その温床となっている利権や既得権益集団の仕組みと、政治家が改革を志向した場合に出てくる抵抗の実例を紹介しています。「バカ」「死ね」というメールが市役所職員から続々と届く(しかも部署名・実名を堂々とさらしたままで!)という実態に呆れ果てます。
辛口な点を申し上げれば、文章がやや稚拙な感は否めません。が、「体験者は語る」内容のおもしろさがそれを補うでしょう。

以下メモ。

・・・

政治家を殺すのに刃物はいらない。スキャンダルを捏造すればよい。事実無根のスキャンダルは、「ない」事を証明するのが難しいため解決に時間がかかる。その間に支援者の離反等で政治的パワーを削げば目的は達する。

政治家が改革を志すと、改革によって今現在手にしている利権を奪われる側は抵抗する。横浜市の場合、代表的な利権集団として、建設業界・公務員組織・風俗業界がらみの暴力団が挙げられる。

談合を禁ずれば建設業界から、定数削減や特殊手当の廃止を行えば公務員組織から憎まれる。風俗店の一掃に取り掛かれば暴力団が怒る。自分たちに理がない場合、スキャンダルをでっち上げてでも攻撃する。

マスコミのレベルは低劣。週刊誌の捏造記事をろくに調べもせず新聞がそのまま記事にしたりする。根拠薄弱な記事を1000行も載せておいて、訂正記事は10行ほど。報道されていることが真実だと無邪気に信じてはダメ。

行政の体質として、公表義務のある情報と、知らせたいことは発表するが、聞いてほしくない事は調査されて初めて最低限の情報をやっと出す。

公務員は法律で守られているため、明確な犯罪でも犯さない限りクビにならない。それを知っているため、市長に実名で「死ね」とメールを送ってくる者もいる。

ただし、大半の公務員は世の中が考えている以上に真面目に奉公しているし、横浜市政の改革に協力してくれた。”政治主導”という言葉は良いが、政治家一人では問題解決できない。政治家による「課題提起(イニシアチブ)」と「最終決定(ディシジョン)」、役人による「選択肢提供(オプション)」と「執行管理(オペレーション)」という役割分担と互いの責務の全うが大事。

政治家が現実を語らないことが日本の問題。増税でも将来展望でも、国民に本当のことを話し理解を求めるべき。

今後の日本では「不自然を改める」ことが大事。日本は破綻するとか、まだ大丈夫という議論があるが、税収より支出が多くて借金が膨れ上がり続けている状態は「不自然」であり改めるべき。

全国一律の規制を撤廃し、自由度を増して創意工夫の生まれる余地をつくるべきだし、自由と比例する責任を持たせるべき。つまりは、地方でも個人でも国自身も「自立」ということが大事。今の日本は依存社会。地方は国に、国はアメリカに依存している。よく言われる「平和ボケ」とはアメリカによる「保護ボケ」ではないか。

・・・

と、後半は中田氏の政治信条が語られていて、個人的にはスキャンダルの顛末よりこちらの方が共感できました。

大阪の橋本知事が市長選に立候補した際の異常なスキャンダル報道を見ても、現在ある既得権益構造を大きく改革しようとする政治家には、利権集団・役人・マスコミがグルになって攻撃を仕掛けます。

国民は、真実を見きわめる目と知性を養いましょう。本当は、それが民主主義を実現する基礎要件のはずです。

読むべし!





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2012年02月05日

決断できない日本 ケビン・メア

著者は元・米国務省日本部長。
日本に19年間在住し日本人の妻を持つ国務省きっての日本通だったのだが、基地問題に絡み「沖縄はゆすりの名人」と発言したとの報道により更迭され職を辞した。

本書は、その問題発言の真相や、東日本大震災でのトモダチ作戦の舞台裏〜日本政府が機能不全に陥っていた実態、また日米同盟や日本の政権に対する米国側の見方など、「元外交官」のホンネが満載された楽しい一冊です。

「ゆすり発言」にもメア氏本人にも、さして興味はなかったので本書が売れているのは知っていても読んでみようとも思わず、古書店で100円だったのを何の気なしに買ったというのが本当のところです。その割には、よく言われる事でもあり判っている事でもあるが実際まあ確かにその通りだよね〜、と頷ける部分が多々あり、意外に楽しく読みました。

ちなみに、「ゆすり発言」問題自体は、共同通信の記者と、その背後にいる基地反対派の左翼弁護士による捏造記事・・というのが概ねの真相らしいですが、そんな事より更迭の真因は「憲法9条を改正すると米軍が日本の土地を自由に使えなくなるし、日本から召し上げている膨大なお金も手に入らなくなるので、改憲は米国の国益にならない」(要するに米国は日本を軍事的に自立できない状態に押さえ込んでおくことで延々と自国の国益=基地の保有と金=を吸い上げている)というホンネを漏らしたために国務省が慌てて事態の収拾を図ろうとした・・という事のようです。まあメア本人はこの本ではもっとキレイゴトを書いてますが。

・・

社会的コンセンサス(合意)を重視する「和をもって尊しとなす」は、本来は熟議の末に果敢に決断するものであるはずだが、最近の日本の政治家はコンセンサスが得られないことを理由に決断を先延ばしする悪しき習慣がある。

米国では失敗しても再チャレンジすればよいと考えるが、日本では一度でも失敗してはならないという風潮があり、失敗して責任を取らされることを恐れるあまり決断せず物事が進まない。

例えば、東日本大震災のとき、米国は提供できる支援物資のリストを日本政府に送ったが、長々とした質問が返ってきただけで、何を送ればよいのかいつまでも決まらなかった。

日本の官僚機構のお役所仕事は最低。付き合っていて本当に嫌になる。

震災後、東電は米軍に対し真水を運べる方法がないか打診してきた。日本政府自身は原発の状況について、ほとんど重要な情報を把握していなかったようだ。(このとき、日本という国家は機能していなかったと言えます・・)

沖縄には補助金づけという問題がある。基地が移転してしまえば補助金がもらえなくなる・・という事実が、基地の移転を阻害している。これは補助金システムという構造の問題であって、沖縄の人々の品行性情の問題ではない。

民主党の「政治主導」は理念としては立派だし、そうあるべきであるが、官僚機構を敵に回したのは失敗。どの国も、官僚組織の助けなしに国家の運営は出来ない。

・・・

日米同盟、世界の軍事バランス、中国の台頭・・などについて、プラグマティック(現実的、実利的)なアメリカ人の、良い意味での単純明快さが出ていて読みやすいです。瑣末な雑音を排して、物事の肝心な部分を見ればこんな感じ、というところでしょうか。

もちろん、米国は様々な影響力を行使して日本を陰に日向に操っていますが、そういう「ウラ」の部分をさて置いて、わかりやすく「オモテ」の議論をすればこんなところでしょう。陰謀論の好きな人にはもっと別の意見があるでしょうが、モノゴトの「ウラ」の部分が「オモテ」に比して、それほど膨大であるとは思えません。

さてこの機会に自分の見方を整理しておくとこうなりましょうか。

・今後も当分の間、日本にとって最も重要な国は米国である。また、米国は今後も、世界で最も有力な国のひとつであり続ける。

・中国は異文化国家だという事をよく認識し、適度な距離を保ちつつ関係を良くして行くべきであって「米国も落ち目だから中国につこう」などと妄動してはならない。

・ただし、米国も自国の国益を最優先に考えて動くので、日本から吸い取れるものは吸い取ろうとする。「トモダチ」も日本人が純真に考える個人間の友情とは訳が違うのだから、それを「ずるい」とか「汚い」とか「陰謀」とか言うのはナイーブ過ぎる。双方が利のある部分を出来るだけうまく取り合うのが大人の付き合い(外交)。

・米国にとっても日本は重要な国。米国のスーパーパワーの源泉のひとつは、世界の軍事費の半分近くを一国で消費する圧倒的な軍事力にあり、全地球に展開する米軍にとって、ちょうど地球の反対側で米国本土と同じくらいの武器弾薬を安心して置いておける同盟国など日本以外に見つからない。日本人はそのポジションをもっとよく認識したほうがよい。台頭する中国との対峙というテーマだけでも、日米同盟は重要性を増すばかりである。

・ありていに言えば日本は米国の属国か、よく言っても天領。でも、どこかの国の家来でいるなら米国が一番マシで、中国の支配下に置かれたら終わり(チベットとか、東トルキスタンとかを見れば明白)。
日本は独立自尊の国家に成熟すべきだが、あまりにも物を考えていなくて戦略性がないため、自立には程遠い。もっと国民が自分の頭で考えないとダメ。(参考:日本人はこうして奴隷になった 林秀彦

・日本にも無数の問題はあるが、日本の国柄と社会の安定度、人間の質は世界最高水準。(参考:私は日本のここが好き! ― 外国人54人が語る 加藤恭子
この点では、世界中が日本のようになればよい。ただ、繰り返すが国民がもっと世界の情報を知り、自分の頭で考え自立しないとダメ。

で、そのための一助となればいいな・・というのが、このブログの目的でもあるわけですね。

読むべし!


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2012年01月29日

ワイルド・ソウル 垣根 涼介

第六回大藪春彦賞・第二十五回吉川英治文学新人賞・第五十七回日本推理作家協会賞の三冠同時受賞作品。

小説のエントリーが続いて恐縮ではありますが、やはり面白い本は紹介しないと勿体ない。

信用できる人からの推薦があって購入。最近は人のオススメを素直に聞くという態度が出来てきて、おかげで良い本に会える機会が増えている。ニンゲン、素直が大事だね。

で、今度はこうしてブログで紹介するわけですが、予定のない連休の前、とかに読み始めるのをお奨めしたい。なぜか?想像がつくと思うけど、途中でやめられなくなるからです。

この国には昔から性根の腐った部分があります。国民の命を守らず、むしろゴミのように無駄遣いして捨てる。最たる例が「特攻」であり、最近では原発事故における政府・官僚の不作為でしょう。SPEEDIのデータを公開しなかったために、どれほどの市民が無用な被爆をしたのだろう。

元外交官の佐藤優氏が喝破するところによれば、こういうことです。
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明治憲法以来、官僚は政府ではなく天皇に忠誠を誓う組織であったが、敗戦後、天皇は権力中枢から降りてしまった。その後、官僚機構は漠然と「日本国」のために働き、彼らが集合意識的に志向する「正義」によって動いている。
官僚達にとっての「正義」とは、日本国&エリートとしての自分達であり、国民などは有象無象・・何も考えず手足として黙って働いて税を収め、国家の都合によっては簡単に打ち捨ててよい存在・・でしかない。(「小沢革命政権で日本を救え」より管理人が要約)
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本書は、日本政府・外務省が行った戦後最悪の「棄民政策」を追って始まる。

「ブラジルでは家付きの農地が支給され、努力次第で必ず成功できる。」政府の口車に騙され、親戚から借りたなけなしの金で船に乗った貧しい移民たち。だが彼らは移民ではなく、口減らしのための棄民だった。すべてが嘘だった。故郷に戻る術もない彼らが送り込まれたのは、農地どころか野生のままのジャングルだった。地獄のはじまりだった。

わかりますよね?もうこれ、途中で読むのをやめられないです。

彼らの運命、慟哭、怒り、哀しみ、蕩尽されてゆく命。
文明から隔絶された入植地。そこから徐々に消えてゆく家族。あるものは病に倒れ、あるものは獰猛な自然との格闘に絶望して逃亡する。しかし逃亡した先にも、異国で社会の最底辺を乞食同然に這いずり回る運命しかない・・

しかし、一人の男が細い蜘蛛の糸を辿るようにそこから這い上がり、すべての家族が死に絶えた入植地に戻ったとき、ある運命が待っていた。

後半は、彼ら移民たちが日本政府と「ケリをつける」話に盛り上がってゆきます。入念に準備された日本国、政府・官僚機構との対決・・ますます読むのをやめられないです。

前半の重苦しさを、後半の痛快さがうまく中和しています。主人公ケイの底の抜けた明るさが、物語全体のトーンを救っています。彼に絡んでくる脇役たちも、一人ひとり顔が見えるほど明確な個性があります。

ずばり男性向けです。過激なエロシーンもありますので、大人の方だけ読んで下さい。

読むべし!




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2012年01月22日

本格小説 水村美苗

2002年読売文学賞受賞。

最近はあまり小説を読まない・・と以前のエントリーに書きましたが、それは比率が減っているという意味であって、まったく読まないわけでも興味がないわけでもありません。それに、比率が減った割には「当たり」の確率は高くなっていると感じます。

本書も「当たり」の一冊。いや「大当たり」の一冊です。

著者は、以前UPした「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(すごい本だった・・)の水村美苗氏。「日本語が・・」は評論だったわけですが、それ以前の著作はすべて小説で、「数年に一度、実に読み応えのある小説を発表する作家」との情報もあったので、試しに読んでみるか!と購入。

いや、試しに・・という気軽な調子には相応しくないかもしれません。なにしろ上下巻1000ページ。装丁も麗々しい。なによりタイトルが「本格小説」です。
このタイトルは冗談でつけるか、でなければ相当の内容が伴っていないとつけられないと思いますが、「日本語が亡びるとき」で知った著者の力量を考えれば、とても冗談とは思えない・・などと思いつつ読み始めたのですが、やはりその日は予定外の夜更かしをする羽目になり、翌日からは10分間だけ電車に乗る間も、昼飯を食う間も、待ち合わせの隙間も惜しんで読みふけりました。

本格的な小説でした。

どうせ読むならこういう本を読んだほうがよい。1000ページが全然長くない、どころか、残りページが少なくなるにつれ、終わるのが惜しくなってくる。著者の、日本語表現力の高さが読みやすさを後押ししています。

恋愛小説でした。

それも一途で、せつなくて、生涯を捧げた、大人の男が読んでも引き込まれる、大恋愛小説でした。

・・・

戦後、まだ日本に「階級」が厳然と残っていた社会で、裕福な家庭に生まれた娘・よう子と、中国から乞食同然に逃げ帰ってきた貧しい家の子・太郎が出会う。

階級があり、生まれつき持てるものと持たざるものの絶望的なまでの落差があり、だからこそ、その落差を攀じ登ろうとする飢餓感があった社会。

太郎はアメリカに渡り、実力で大富豪にのし上がり伝説の男となる。いっぽう、華やかだったよう子の一族は凋落の一途を辿ってゆく。

この二人の、運命や階級を乗り越えようとする大恋愛を核とし、彼らを取り巻く多彩な登場人物たち、その一族の物語を、多重構造の語り手たちが「軽井沢」という舞台を中心に紡いでゆく。

・・・

太郎の子供時代から青年期の運命にハラハラし、世代を経るに従って光と力を失って行くよう子の一族に、明治維新をピークとして小粒化して行くばかりの日本の近代を重ねてイメージし、最後に明かされる物語の主要な語り手である冨美子と太郎の関係にあっ!と驚き納得します。

「日本は軽薄、というより稀薄な国になってしまった」

太郎の言葉に、かつて階級・大家族というものが厳と存在していた重厚な社会が、なんだか拠り所のないフワフワした世界に変わってしまった虚無感を感じます。

自由と平等を無条件に「良きもの」として進んできた戦後日本ですが、フラットな水面が静かで美しくはあっても活力に欠けるように、落差がない社会には流れも勢いも生まれないでしょう。きれいごとを抜きにして言えば、階級というものは現実に存在しますし、悪平等で覆い隠すのではなく、むしろそれが目に見える必要があると思います。大事なのは、階級を固定させないこと、努力や才覚で格差にチャレンジできることであり、それこそが社会のダイナミズムを生む原動力となるはずです。特に、(偏差値エリートではなく)天下国家の行く末を我が事として考えられる、真の意味でのエリート階級が求められます。
見えにくい階級化がひそかに進み、若い世代に「チャンスがない。努力しても報われない」という無言の絶望感が広がるのは最もいけません。

日本に階級があったころを舞台にしてこそ描けた”本格小説”。

堪能してください。

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2012年01月08日

資産フライト 「増税日本」から脱出する方法 山田順

オビが煽った感じで興味をひきます。

「セレブもOLも高齢者も、せっせと預金を海外口座に移している。その驚くべき方法とは?」

いまや富裕層に限らず、資産数億円程度の小金持ちや、一般のOLまでがお金を日本から脱出させている。それは、破綻の近づく日本経済への危機感や、国内に有利な投資先の見当たらない現実を背景とし、サービスの悪い日本の金融機関や金持ちに懲罰的な日本の税制への無言の抗議行動だ・・という趣旨で、資産の「さよならニッポン」現象をレポートしています。

ただし、著者はジャーナリストなので、経済の専門家が著した本のような深みはありません。後半で、日本のガラパゴス状況や金融機関のサービスの悪さを批判し、グローバル資本主義に適応できない愚民化教育を国家が意図的に行っている・・等と糾弾していますが、まあまあそうかもしれませんが、論拠に説得力が足りなかったり、解決策やアイデアが提示されているわけでもなく「これについて我々はもっと考える必要がある」で終わっていたりで、あまり括目すべき点がないのは残念です。
それから、具体的な海外投資の方法を解説した本でもないので、そういう情報が読みたい人は、橘玲さんの著作などのほうが良いでしょう。

やはり面白いのはジャーナリストらしく取材に基づいた部分です。

いきなり第一章「成田発香港便」で、旅行鞄に500万円づつを詰めて香港に現金を運ぶ資産家夫婦に同行します。
空港のセキュリティチェックは、金属や液体は感知するが、手荷物の中に札束が入っていても気にしない。もちろん、100万円以上の現金を持ち出すのは違法ですが、なんなくスルーした二人は、現地に着くと香港上海銀行に直行して現金を預け入れる・・
こうして、この夫婦は、将来の香港在住も視野に入れ、せっせと日本からお金を脱出させています。「日本が元気で心配ないなら、こんなことはしない。日本にいるほうが幸せに決まっているんだから」と。

古くから富豪・大資産家は、海外にも資産を分散することを当然のように行っています。最近ではそれがもっと下層まで一般化しつつある・・というのが本書のレポートです。実際にどの程度までひろがっているのか本書には明確な数値や統計がないため判断できませんが、まあそうだとしても不思議はありません。
ややジャーナリスティックに過ぎる印象はありますが、共感できる部分もありますので以下メモ。

・所得5000万円超の人は全体の0.6%だが納税額では27%。対して年収300万円以下の人たちの納税額は3.1%。富裕層を大切にしないと、国家の税収は立ち行かなくなる。

・単純化して考えれば、日本の借金は国が借り手で国民が貸し手。借りた側が、経費節約も人員(政治家や公務員)削減も、資産売却もせずに、貸し手に対して増税をするというのは筋違い。

・自民党だろうと民主党だろうと、けっきょく政策をつくっているのは財務省であり、増税路線は変わらない。

・政治が混乱し、官僚たちが作る政策で日本が動かされている。改革は骨抜きになり鎖国状態のガラパゴス化が進んでいる。これで良いわけがない。

・資産逃避は政府に対する抗議。日本を愛することと、政府を愛することは別。

・日本人のDNAは、ほんらい海外に飛び出してゆく冒険心を持っているのではないか?戦前も戦後も、世界にチャレンジしつづけてきた。昨今の「内向き」志向のほうが不思議。外からも見ないと健全な愛国心は育たない。

全体的に、少々日本に対する批判ばかりが目立ちますが、まあ何くれと批判するのがジャーナリストの仕事と考えている人も多いので、そのように読んでおけばよいと思います。

ただ、個人的には本書で言われていることの多くがそうかもしれないとしても、それでもまだ相当に、日本は恵まれて住みやすい国だと思います。
願わくば日本から脱出を考えるのではなく、立て直して成長軌道にのせる方策を生み出したい。時間はあまり多くありませんが、大阪での選挙結果や、あいかわらず頑張っている日本企業を見れば、絶望するのは早いと信じています。

読むべし!



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2011年12月18日

金融が乗っ取る世界経済 ロナルド・ドーア

著者は知日派として知られる英国の社会学者。
日独vs英米の、社会システム・資本主義の比較研究で有名。ロンドン大学名誉教授、同志社大学名誉文化博士。

本書では、経済の血液としての健全な働きから逸脱した金融業が、ギャンブルとしか言いようのない派生商品を生み出したり、貢献度合いに釣り合わない法外な儲けを強奪した結果、社会をゆがめている実態を批判します。

ほんらい構造が違っていたはずの日本やドイツの資本主義が、英米の「アングロサクソン型」資本主義に席巻されている危険性も指摘します。以下メモ。

・・・

●ステークホルダー論と株主主権論

日本やドイツなどと、英・米を中心とするアングロサクソン諸国の資本主義は同じものではなかった。日・独では企業を「社会の公器」と考え、事業の目的は利益の追求だけでなく社会への貢献をも含むとするいわゆる「ステークホルダー」型が中心だった。

それに対して、英米の「株主主権」型では、会社は株主のものであり、事業の目的は利益の最大化であるとする。米国でも、かつては「ステークホルダー」的な考え方が多かったが、いつしか株主主権論が主流となり、いまやその潮流は他国にも及び、日本も「アングロサクソン化」している。しかしこの考えには多くの欠陥があり社会を歪める。


●金融業の肥大化

現実の国際貿易に利用される為替取引の100倍にのぼる金額が為替市場で取引されている。

ある会社が債務不履行になるリスクをヘッジするための派生商品が、対象の会社となんの取引関係もない第3者に膨大に売られる(本来は保険であるが、第3者に売られれば単なるギャンブルである)。


●法外な報酬がもたらす弊害

金融業では、成果を挙げたディーラーなどに常識外の報酬を出す。
法外な報酬に釣られて優秀な人材が金融業に吸収されてしまう。その結果、法律・科学・行政・教育などにも配分されるべき人材が枯渇する。これは社会全体に歪みをもたらす。


●法外なボーナスは懐に 失敗のツケは庶民に

大きすぎる金融機関は、潰れると社会に与えるダメージが大きい。そのため金融危機が起きれば、国家が借金をしても救済するが、その借金は国民への増税や福祉のカットとなる。

つまり金融業者は、景気が良いときには法外なボーナスを手中にし、つまづいた場合のツケは一般市民にまわす。

これを是正するためには、金融業をある程度の大きさに規制する必要がある。
しかし、グローバル化する世界では自国の金融業を優位に導くため各国ともその規制を緩めがちである。
銀行業と証券業、投資銀行とリテールバンクは、かつて分離が命じられていたが、徐々に統合され巨大化している。そして巨大化すれば潰せなくなる。


●骨抜きにされる規制

2008年の金融危機後には、金融機関への規制や全世界的な監督組織についての議論が沸騰したが、2011年現在、それらの議論は下火であり、何も決定されず、決まった法律は骨抜きにされつつある。


●あるべき姿

「株式会社は、理念的には企業価値を可能な限り最大化してそれを株主に分配するための営利組織であるが、同時にそのような株式会社も、単独で営利追及活動ができるわけではなく、一個の社会的組織であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係者(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、もっぱら株主利益のみを考慮すれば足りるという考え方には限界があり採用することはできない。」(ブルドックソース事件東京高裁判決)


●リスクが国家から個人へ移し替えられている

社会の金融化は、国家の社会保障能力の衰退とも関係している。
賦課方式による年金(現役世代が引退世代を支える)では、経済や人口の規模が拡大している場合は良くても、経済成長の停滞や少子化が進行すると行き詰まる。これを解決する方法は

・税(掛け金)を上げる
・足りない分を消費税などで埋める
・国家共同体での助け合いから個人の責任へと移行する

の3つで、日本ではこのところ3番目のいわゆる「自己責任論」が幅を利かせ、個人年金「日本版401K」などが普及している。すると年金基金、医療保険基金などが膨張し、これらが運用のため巨額な資金を投資するようになる。

・・・

「真に目指すべきは、競争力がある社会ではなく、よき社会」
筆者のこの言葉が胸に残ります。

近年、各地で巻き起こった「ウォール街を占拠せよ」運動も、一部はこういった「金融業だけが社会的に不公正な利益を独占する」あり方に対する抗議と見てよいでしょう。
しかし歯がゆいことに、たとえ市民がウォール街でデモをしても、それで事態が変わるとは思えません。金融業や銀行家の暴走を食い止めるには具体的な法的規制、すなわち政治的な決断が必要です。しかも、金融はいまや国家の枠を超えて広がり、国家よりもはるかに自在な活動をしています。ジャック・アタリなどが指摘するように、国際的な規制の枠組みが必要です。(→金融危機後の世界 ジャック・アタリ

しかし、本書でロナルド・ドーアが指摘している通り、リーマンショック後の危機で声高に叫ばれた様々な規制のアイデアは一向に実現する兆しを見せません。

それから、ドーアは「あとがき」に気になることを書いています。

「日本経済のアングロサクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある」とし、しかし遠からず「西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう」と予見します。

そして、きたるべき米中対決時代に「日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのか」と結んでいます。

はたして人類は、金融の膨張に歯止めを掛けられるのか?それとも決定的な悲劇に遭遇しないと、自らの行動を改めることができないでしょうか?

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2011年10月30日

博士の愛した数式 小川洋子

「猫を抱いて象と泳ぐ」「人質の朗読会」と読んで、すっかり小川洋子さんのファンになった私。今さらでスミマセンなどといいつつ本書を手に取った。

「今さらで」というのも、一般には、本書「博士の愛した数式」が代表作とされているだろうからだ。映画化されたことによって、小川さんの読者以外にも本書のタイトルはひろく知られているし、もし代表作でないとしても小川作品では最も有名な一冊、という位置づけに間違いない。
そこを飛ばし「猫を抱いて象と泳ぐ」から入って、その後も(なんと実は人から貰って自宅にあったのに)「博士」をスルーして「人質の朗読会」を先に読んだ・・というのは、入門の仕方としては少々迂回ルートであったように思う。

しかし、と敢えて言いたい。

いやまだ3冊しか読んでいない立場でなにか言うのは、あまりにも口幅ったいが、しかしそれでも、「これでよかった」と言いたいし、「博士の愛した数式」が代表作という位置づけには少々反対、とも申し上げたい。

本書「博士の愛した数式」は、代表作と呼ぶにふさわしい珠玉の一遍である。
もし小川作品を一冊だけ図書館に収蔵するから選べ・・といわれたら本書を推す。(繰り返すが、いまだ3冊しか読んでいないおまえが言うか、とは思いつつ)
小川作品のファンかどうかに関わらず、普段は読書にあまり縁がないという方にでも、本書は自信を持ってお奨めできる名作である。作品の完成度、透明感、無駄のなさ、物語に満ち溢れてこぼれそうになっている愛と優しさ、絶妙にやってくる大小さまざまなハプニングで飽きさせない展開・・もうもうなんというか・・一級品である。自分が読んだ前2作と較べても、本書がアタマひとつか、少なくとも半分は抜きん出ている。

それなのに何を文句言うかといえば、前2作を読んで、自分がひそかに「これが小川ワールドを構成する必須重要元素」と理解したものが、この「博士の・・」には入っていない(あるいは、ほとんど入っていない)からだ。
例えが俗で申し訳ないが、唐辛子抜きの韓国料理を食べて、それが仮にものすごく美味しくても、今日食べたのはハタシテ韓国料理だったのか?という微妙な疑問が残ると思う。そんな感じなのである。

「必須重要元素」が何かを明かさねば話は進まない。
自分が思うところ、それは「異形」とか「残酷」といった、ダーク味のスパイスである。

「猫を抱いて象と泳ぐ」には、11歳で成長することをやめ、窮屈な人形の中に閉じこもってチェスをさす主人公が登場する。もうこれだけで十分に異形であるが、彼を取り巻く登場人物たち〜いつも肩に鳩を乗せている少女「ミイラ」や、バスのドアを通り抜けられないほど太った男「マスター」〜も輪を掛けて異形である。彼らが活躍する舞台も、かつてホテルの地下プールだった秘密クラブや、ロープウェイでしか行くことのできない老人ホームなど、実に奇妙な設定だ。

「人質の朗読会」は、物語そのものが、異国で反政府ゲリラに拉致されて死んだ人々の朗読会・・という暗い設定に置かれている。

ところが、「博士」には、こういったダークなスパイスがほとんど入っていないのである。

無論、80分しか記憶が持続しない元・数学博士という設定には、そこはかとない哀しさや運命の残酷のようなものがただよっている。
しかし、物語を通して読者が味わうのは、あふれてこぼれそうな愛と優しさである。光であり、慈しみであり、感謝であり、恵みである。透明な幸福が、完全な形に結晶した人生という時間である。
前2作は16歳未満にはあまり積極的に読ませたくないような、読んでも面白みがわからんやろ・・という気がするが、本作は小学生から読んでもらってもOK!と言いたい一冊である。

でもだからこそ、ここから入ってしまうと後で小川洋子の異形や残酷に気づいて「なんか最初の印象と違う」とか・・ もっと悪いケースでは、この一冊だけでよしとして小川ワールドの魅力であるダークテイストを知らないまま通り過ぎてしまうとか・・ の危惧を感じる。
したがって、拙文を読んで小川作品にご興味を持たれた向きも、他を2冊か3冊読んだのちに「さて」などといいつつメインディッシュに取り掛かる舌なめずりと共に本書「博士」に手を伸ばしていただくのが宜しいかと思いますよ。

マ要するにだな。小川作品はすごくいいから「博士」だけでなく他もどんどん読んでほしいというファンの戯言だな俺が言いたいのはナ。

読んでね。



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2011年10月08日

「通貨」を知れば世界が読める 浜 矩子

著者は、同志社大学大学院ビジネス研究科長・教授。
一橋大経済学部卒業後、三菱総研を経て現職。政府の金融審議会、国税審議会、産業構造審議会の委員でもある。しばしばTVにも登場する。

軽く読める新書だし、大学教授が著した専門書というよりも、元・三菱総研のエコノミストが書いた解説書といった趣きで読みやすい。基軸通貨をめぐる攻防の歴史や、ドルの基軸通貨としての寿命はとっくに終わっていたのにもかかわらず、延命を願う力の働きが世界経済をここまでの事態に引きずってきてしまった状況が理解できます。

以下メモ

・特定域内で、「これを持っていけば必要な商品やサービスと交換できる」と認識されているものが貨幣。貨幣に足が生えて遠くまで通用するようになると通貨。(世界中で決済に使われる通貨が基軸通貨)

・基軸通貨には価値の保持と大量に幅広く流通されねばならないという矛盾する役割が求められる。

・現在の基軸通貨であるドルは、自らそのポジションを放棄し始めている。

・成熟し、世界最大の債権国となった日本が、いつまでも輸出産業だのみで円安を願うなど大人げない。

・円は「隠れ基軸通貨」である。日本の低金利が円キャリートレードを生み、アジアのバブルを引き起こした。日本のもつ巨額の資金は、強大な力を持っていることを自覚すべき。

・中国は次の基軸通貨を狙うかのような素振りを演出しているが、「とてもそんな余裕はない」のが実情。

・オバマの輸出倍増計画=ドル安志向により、今後はますます円高。1ドル50円時代の到来を想定して対策せよ。(管理人:そう考えるとアメリカ主導のTPPは「アメリカの輸出を伸ばすため」の戦略に見えます。自分は基本的に国を開き貿易を促進するのに賛成ですが、日本がお金を毟られないよう注意が必要。)

・ユーロは各国ごとの経済財政事情の違いを適正に調整する仕組みが欠けており、今後も難しい運営が続く。最悪の場合、崩壊もあり得る。

・ドル基軸通貨亡き後の世界に考えられるのは

1)金本位制の復活
2)世界共通通貨の創設

だが、どちらも望みは薄い。共通通貨+各国通貨をさらに下から地域通貨が支える構造が望ましいのではないか。

・・・と、ヤヤコシイ世界経済を大づかみに判りやすく整理してくれます。

通貨の近代史をざっと俯瞰できますし、ドルという基軸通貨が終幕を迎えている現時点の位相をあらためて確認できます。

ただ、1ドル50円時代が来るという予想の確からしさは、今一つ納得できなかったし、基軸通貨亡き後の世界予想も「う〜ん・・」といったところ。それでも、簡単にさあっと読み通せるわりに視野が展開する割合は大きく、読んでみる価値は感じました。店頭で見ると、なんだか売れているらしいです。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 15:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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