2012年07月29日

この国のかたち1 司馬遼太郎

タイトルが見事に内容を表している作品というのがあって、そういう書物に出会うと実にすっきり腑に落ちて感心します。

本書は、1986年から1996年にかけて「文藝春秋」の巻頭随筆に連載された司馬遼太郎のエッセイ集。晩年になり、それまで避けてきた小説以外の表現方法で「この国のかたち」を表現しようとしたものです。

「日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。」

博識に支えられて、長い時間軸で歴史を見通す目線が、魅力的な文体とともに展開されます。著者急逝のため全6巻で終わっています。
本書はその第1巻ですが、のっけから日本と日本人と、その歴史に対する的確な洞察が続きます。エッセイなので話題はあちこちの時代に飛びます。

この中で、特に重要な部分は、1905年(日露戦争以後)から1945年(敗戦)までの40年間に関する記述です。
参謀本部が天皇の統帥権(軍を統率する権利)を都合よく利用し、国家を誤った方向へ引きずって行った時代。これを、日本史における「異胎」と呼んで批判します。

・「参謀」という得体のしれぬ組織が自己肥大し、謀略を計っては国家に追認させてきたのが昭和初期の日本。参謀本部の将校という、いわば秘密クラブのメンバーが、憲法に定められた統帥権を勝手に拡大解釈し私物化して自らの権能を増大させて弄んだ。
・隠然たる権力を握った官僚と、マスコミに煽られて日露戦争の講和条約反対集会に集まった大群衆が、その後の40年を調子の狂ったものにしたのではないか。


薩長土肥が「天皇」という最高の権威を担ぎ出して明治維新を成功させたとき、言ってみれば天皇をうまく利用したわけですが、昭和の参謀本部も天皇の統帥権という権力を自分たちの都合の良いように利用しました。
天皇の統帥権は三権に超越する、と勝手な解釈を与え、その強大なパワーの陰に隠れてやりたい放題をした参謀本部=官僚たち。無限とも言える権能をふるいながら責任はいっさい取らなかった。
司馬遼太郎が「異胎」と呼んだその時代の中心構造は、現在も原子力ムラなどに復活してはいないでしょうか?

宋学に傾倒した後醍醐天皇が、日本的伝統を破り、まるで中華皇帝のような絶対権力を掌握しようと動いた挙句に南北朝の大騒乱になったり(※前のエントリー「中国化する日本」でも指摘されていますが、日本式統治構造と中華式社会システムを半端に混ぜるとろくな事になりません)、やはり中国式の中央集権や郡県制を構想したらしい織田信長が本能寺で討たれたり・・独裁的な絶対権力が一極に集中する仕組みをこの国は好まない・・というように、国のかたちや歴史の流れが、意味をもった流れとして理解できます。

・13世紀に自衛する農民である「武士」が生まれ、律令制をたてとする貴族階級から「田を耕すものが土地の所有者である」という素朴なリアリズムに基づいた権利を勝ち取って政権を樹立した(鎌倉幕府の誕生)。以降、日本史は中国や朝鮮と違う歴史をたどり始めた。

総じて、日本と日本の歴史に対する愛情が感じられますが、だからといって「この国」を礼賛し、なんでも持ち上げるわけではありません。客観的にバッサリ切るところは切ります。

・思想を求め書物を読むのが好きなくせに、思想を血肉として社会化させることを好まない。
・あの明治維新にしても、植民地になりたくないという切迫感から尊王攘夷(王を尊べ外国を打ち払え)と叫んだが、言ってみればそれだけのことで、ここにはフランス革命などに見られる「人類に普遍のテーマ」などは含まれていない。
・しかも維新が叶った後は、あっさり開国してしまった。


・工業化が進展すると、資本と商品供給が国内の需要を上回る。すると、対外的に打って出て新たな市場を獲得しようとする。これが帝国主義の原型。
日本は、昭和の時代に帝国主義的ふるまいで朝鮮半島を併合し子孫代々に残るうらみをかったが、当時の日本には供給する商品など無く、タオルや日本酒を輸出しただけだった。雑貨を売るために他国を侵略するとは、なぜこんな馬鹿げたことを国家ぐるみで行ったか?


個人的に面白いと思ったのは、「若衆宿」の風俗に関する記述。近代以前の集落で、未婚男子が実家を離れて寝起きを共にし、地域の警備などの共同作業にあたった風習ですが、これは雲南などの、漢民族とは違う古代タイ語系を話す民族にもあった風習ではないかとの事。
それで思い出したのは稲作の由来です。実は稲作は大陸から朝鮮半島を経て伝わったのではなく、雲南省あたりで発祥し、そこから海を通って直接日本列島に来たらしい(半島にはない稲のDNAが、雲南と日本だけにある)。
我々の先祖は稲と共に船で南から列島にたどり着いたのかなあと思います。そういえば、地理的には近いけれど大陸や半島の人々とはどうも分かり合えず、タイやフィリピンあたりのほうが付き合いやすい気もしますし。

日本と、日本史を巨視的につかむ目線を与えてくれる良書。

読むべし。




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2012年06月30日

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史 與那覇 潤

近代はヨーロッパから始まった。近代化とはすなわち西洋化であり、議会制民主主義や法の統治を備えることだ・・という常識をひっくり返して新しい視点を導入する書。

著者は、東大教養学部卒、愛知県立大准教授。日本近現代史・東アジア地域研究が専門。まだ32歳との事ですが、本書は非常に「切れ」ます。つまり、ナルホドそれで社会と歴史が確かに説明できる・・と納得させる力があります。以下メモ。

・・・
中国では、宋の時代に

・権力は皇帝に一極集中
・優秀な人材を全国から試験によって登用し(科挙)、皇帝に忠誠を誓わせる
・官僚が中央から地方に派遣されて管理する(郡県制)
・政治的には規制があるが、経済的には自由競争で何でもアリ
・政府はほとんど何もしてくれない

という社会システムが確立した。

本書で「中国化」と呼ぶものは、この(現代でいう「新自由主義」のような)システムが世界を覆ってゆくことを指します。
そして、「中国化」と対比する概念として「江戸時代化」を置きます。こちらは

・権力は権威や富と一体ではなく一極集中「させない」
・身分や職業など、社会経済的にさまざまな規制がある。土地から離れて移動も禁止。(要するに封建制)
・その代り、自分の持ち分(身分や家業)を守っていれば子孫代々食べていける

という、日本で独自に発達した社会システムです。
(管理人:共産中国が実は新自由主義のようで、日本が社会主義的なのが興味深いです。そういえば、かつて日本を「最も成功した社会主義国」と評する向きもありました。)

日中は「混ぜるな危険」で、双方のシステムを中途半端に交換導入するとロクなことにならない。

著者は、どの国でも16世紀ごろに確立したシステムが現代でも社会のベースになっている、と説きます。(米国など移民国家は別)
日本では、何度もグローバル化(本書では「中国化」)の波が起こりつつも(清盛の日宋貿易や明治維新や小泉改革)、その度に「江戸」への揺り戻しが起こって、現在まで「長い江戸」が続いてきたものの、いよいよ江戸システムも終焉が近づいている、と見ます。
(管理人:確かに、小泉改革後に格差社会が叫ばれ・・小泉改革と格差社会は実は関係ありませんが・・「三丁目の夕日」的なあの時代に帰りたいよ、みたいな動きはありますね。もうそれはできないのですが、人々の意識の底には、セーフティネットのない未知の世界への怖れがあるのではないかと思います)
反対に、中国でも「江戸化」が起こった時代が何度もあり(毛沢東時代など)、結局それはうまく機能してこなかった、としています。

中国システムでは、政府はほとんど(福祉的なことは)何もしてくれない上に自由競争=負けたら死ね、の社会なので、民衆は父系血縁の「宗族ネットワーク」を構築。女性は結婚しても姓を変えず、同姓の血族をできるだけあちこちにバラまいて、どこかで誰かが成功したらそこを頼る・・というセーフティネットを発達させた。宗族血縁が大事で、他人の子を養子にとるなどは論外。

その他、面白い知見として

機械化されておらずビニールハウスすらない中世では、人口増加が早いと食糧増産が追いつかない。食っていくだけで必死で、すぐ飢饉や内戦になる。ここを脱せないと近代化しない。(アフリカなどでは今もこの状態)
英国では家庭内労働を職業化して(執事やメイド)結婚しない(子供を作らない)層を生み出し、日本では長男だけに跡を継がせる「イエ制度」を作って人口増加に歯止めをかけたおかげで、この二国が近代化に一番乗りできた。中国では、宗族ネットワークが頼りだから可能な限り血縁を増やそうとして人口増加に歯止めがかからず近代化の遅れを招いた。
ただしイエ制度の弊害として、次男以降は生涯結婚もできず、飼い殺しか、都市へ丁稚奉公に出されて多くは野垂れ死んだ。「姥捨て」伝説と違い、「若者切り捨て」が常態化しており、それは現代も続いている。(高齢者の年金のために消費税を上げるが、職のない若者がネットカフェ難民になっている)
・・・

非常に面白い視点を提供してくれます。納得性も高いです。

ただ、タイトルがちょっと残念な気がします。「中国化」というキーワードが刺激的で、本の販促的には良いのでしょうが、世界標準の究極的な社会システムは中国で発明された・・中国は最も進んだ文明の体現者だ・・みたいな部分はもう少し検証が必要と思います。また、著者自身、「(中国と江戸時代)どちらの制度も良し悪しがある」と言いながら、随所に「中国のほうが進んでいる」というニュアンスを押し出す傾向が感じられます。

ヨーロッパなど本来は世界の田舎だった・・という説はその通りですが、かの地で産業革命がおこり、過去200年にわたって確かに世界をリードした背景にある、知的・物的所有権を保護する概念や、法の支配、株式会社という仕組みの発明などを掘り下げたうえで、次の世紀に目指すべき全世界的な社会システムは何か・・という問いにまで持っていかずに中国を礼賛するようでは十分ではないと思います。といっても、著者は歴史学者であって政治・社会学者ではないのでそれは専門外ということかもしれませんが。

とはいえ、「不自由でも我慢すれば皆で生きて行ける」江戸システムにいくら郷愁を感じても、グローバリズムの流れは簡単に止まらないのだから、「どう乗ってゆくか」を考えねばなりません。特に東アジアにおいては、台頭する中国にどう対するか。
著者は、中国の弱点である「世界に提示できる普遍的な価値観を持たない(今のところ、「中華こそ世界一」という独善的で誰も受け入れない概念しか持たない)」点を突いてはどうか、と提案しています。例えば、憲法9条の理念を前面に出し、「武ではなく徳を持って治める儒教道徳はそちらが本家だが今や日本にしか見当たらないようだ。かくなるうえはこちらが文化の中心」として、東アジア共同体は日本の規範をベースに・・となれば面白いのではないかと。(秀吉も朝鮮へ出兵したのは、最終的に中原まで攻め上って東アジア全土を手中にする計画だったわけだし)

内容は充実していますが、文体は口語でとても読みやすい。

読むべし、読むべし!



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2012年04月25日

プーチン最後の聖戦 北野幸伯

著者の北野さんはモスクワ在住。
卒業生の半数は外交官に、残りはKGBに行くと言われたモスクワ国際関係大学(MGIMO)を日本人として初めて卒業。驚くべき洞察力で国際情勢を鋭く、しかも判りやすく分析してみせる殿堂入りメルマガ「ロシア政経ジャーナル」の発行人でもある。

彼の著作(本書で4冊目+電子書籍1冊)はすべて読んでいますが、ややこしい世界情勢を実にスッキリと判りやすく、キレイゴト抜きで的確に描き出してくれます。

本書のタイトルには「プーチン」が掲げられていますが、彼を中心にしたロシア(およびかつてのソビエト圏)の政治状況はむろんの事、世界全体の国際情勢が見事に俯瞰されています。これまでに起こった事が証拠つきで明示され、今後の世界で何が起こるかもハッキリと書かれています。
経営や投資に携わる人はもちろん、ひとりでも多くの日本人に読んで欲しい一冊です。なぜなら、次のような地殻変動には、すべての人が巻き込まれるからです。

●いままで

・日本はアメリカの天領
・世界では国家間の絶え間ない闘争
・しかし天領ニッポンはアメリカの庇護の下で何も知らず平和ボケ

●今後10年程度のうちに

・米中二国の覇権争いが進む
・じょじょにアメリカは没落し、世界の覇権国から地域の一大国へ
・日本はアメリカの庇護を失い、強大化した中国と自ら対峙!?

日本を取り巻く環境がなぜ上記のように変化するかは本書を読めばわかります。本当にそうなるのかは、読んだ後で自分でも考えてみてください。ただ断言できるのは、このような変化が「来るか、来ないか」の議論は無効で、「来た場合」を考えて備える必要があるという事です。それが安全保障というものであって、「想定外でした」ではすみません。
個人的には、アメリカが21世紀の成長センターであるアジア地域への関与を手放して南北アメリカ大陸経済圏に隠遁する・・という状況は近未来にはありえないだろうと思いますが、日本に軍事的な庇護を与え続け(られ)るかはまた別の話です。

ほとんどの日本人は、自分たちの乗っているタイタニック号がどこを目指しているのか、どういう理屈で時々航路を変えているのか、外では何が起こっているのか、進んでいく先に何が待ち構えているのか・・を、よく知らない3等船客のように見えます。アメリカが「自由と民主主義のため」と言えば、素直に「そうだよね〜」と信じてイラク戦争を支持してしまう。そんなキレイゴトに騙されるのは日本人だけで、美辞麗句の裏で自国の国益のみを追求するアメリカを、世界の国々はなんとか引きずりおろそうと画策してきました。その経緯も、本書に詳しく書かれています。知らない人には驚天動地の事実でしょう。
日本人がこういった事情に疎いのは、けして知性がないからではなく、上記のように日本がアメリカの天領であり、英米は支配下においた国の面倒見はわりといいほうなので、難しい国際情勢をアメリカ任せにして経済だけやっていればよかった・・というシアワセな時代が長く続いたからです。以前のエントリーにも書きましたが、どこかの国の家来でいるなら、まあアメリカが一番マシで、しかしもう、その時代が終わりつつあるという事です。

これからもアメリカは世界の最強国のひとつでありつづけるでしょうし、日本にとって最も重要な国のひとつでしょう。また、アメリカ後の世界は中国の天下になるのか・・といえば、これはそう単純ではありません。そのあたりも、本書から読み取って頂きたいところです。ただいずれにしろ、私たち日本人には過去数十年とはレベルの違う国際情勢に対するシャープな感覚と、多極化した世界を生き抜いてゆく知恵が求められます。

目覚めよ!既に我々は変化の中にある。


読むべし!!



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2012年04月22日

銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎 ジャレド・ダイアモンド

壮大な規模で人類史の謎を解いてゆく書。

なぜ世界には持てる国と持たざる国があるのか? なぜヨーロッパ人がアメリカ大陸(のインカ帝国など)を滅ぼし、その逆は起こらなかったのか? といった、非常に根源的な人類史の問いに答を出してゆきます。
根源的な回答を先にバラしてしまうと、ヨーロッパ(を含むユーラシア大陸)が東西に長かったから、です。なんのことでしょう??

むろん、直接的なヨーロッパ人の強さの秘密は、

・銃という圧倒的な火力
・鎧兜や剣といった鉄器
・馬を飼いならしたこと(白兵戦における騎馬は圧倒的な戦力差になる)
・海を越えて侵攻できる船と航海術
・それらを可能にする集権的な政治社会機構
・情報伝達を可能にした文字の発明

に求められるわけですが、本書では、それらを可能にした更なる根本原因を掘り下げてゆきます。
人類には優秀な民族とそうでないものが居る、という迷信を切り捨て、寒冷地における生存の困難さが各種の技術を発展させたという俗説も否定します。キーワードは、食糧生産を可能にする環境要因です。 以下少しだけメモ。

・・・

ポリネシアにおいて同じ民族が異なる環境の島に移り住んだ後に別種の社会を発展させ、最終的に一方が他方を征服し滅ぼしてしまった例がある。
一方は農耕に適した条件が整っていたため多くの人口を養うことができ、結果として食糧生産に携わらない余剰人員(工芸品を生み出す技術者や軍人)を持つことが可能となった。規模の大きくなった社会においては、集権的な政治機構も発達し統率のとれた征服行動も可能になった。しかし他方は、農耕不能な島に住んだため小集団での狩猟採取生活から抜け出せなかった。
集団がどのような社会を構成し、どのような発達段階を踏むかは環境による部分が大きい。

特に、栽培できる植物や飼育できる動物を入手できたかどうかが運命を分けた。
例えば現在世界中で栽培されている野菜の原種は主にユーラシア大陸に存在する。アフリカ大陸やアメリカ大陸には有望な原種が少ない。
動物も同様で、アフリカには多くの動物がいるが、家畜に適した種は少ない。例えばウマは飼いならせるがシマウマは人間に順応しない。アメリカ大陸で家畜化できたのはラマやアルパカくらい。牛・馬・豚・鶏・羊・ロバ・ラクダなど主要な家畜はほとんどすべてユーラシア産。

●食べられる作物の栽培が成功すると
狩猟採集に比して同一面積辺りの収穫量が増大し→食糧増産→食糧貯蔵→定住生活→子供が増える(遊牧民の移動生活では連れて歩ける乳児は一人だけ)→人口増加→複雑な政治機構を持つ社会の発達(狩猟採集民の社会は全員がほとんどの時間を食料採集にあてるため比較的平等で小規模な社会。高度な政治機構を持つに至らない)→余剰人員の確保(王族・官僚・職業軍人・宗教戦争に正当性を与える僧侶・武器を生み出す職人・情報を蓄積する書記など)
→文字の発達
独自に文字を発明した地域は数少ない。当初は、限られた人間(宮廷にいる書記など)だけが使った。そのような「直接に食料生産に携わらない人間」を養えるだけの社会規模があることが、文字を所有する条件。
文字を所有すれば情報が伝達できる。情報の差は社会集団の能力差につながる。

●家畜の保有が成功すると
→繊維や毛皮を得る→暖を取れる・綱や網を作れる・動物の骨や皮で道具ができる
→輸送能力が激増(馬・ロバ・ラクダ・犬ぞりなど)
また、馬は第一次大戦前まで長らく最強の軍事手段だった。
→継続的な乳や卵の採取ができ、家畜による耕作地の増大が可能となり、これも食糧増産につながる

→病原菌の保有(家畜がくれた病原菌という兵器)
多くの疫病は人間と動物の間を行き来することで変異し、強力な菌になる。家畜から人間にうつった病原菌は最初は甚大な被害をもたらすが、やがて免疫ができる。免疫のある集団がない集団と接触した場合、ひどい場合には後者の99%が死んでいる。
例えば、スペイン人がアメリカ大陸に持ち込んだ疫病がインカ帝国を滅ぼした。ユーラシア大陸には家畜化できる動物種が多く、アメリカ大陸にはほとんどなかった。この差が病原菌と免疫に対する差を生んだ。

●大陸が南北に長かったか東西に長かったか
南北に長い大陸(アメリカ・アフリカ大陸)では、北と南で気候条件が変わるため、作物や家畜化できる動物の伝播が制限される。(特に南北アメリカ大陸は中間地点で狭まっており急峻な山岳や密林地帯によって北米と南米大陸は隔てられている)
ユーラシア大陸だけが東西に長く、有望な作物が横に広がって行けた。これが、人類集団の運命を分けた最も根源的な要因。

数千年前に特定の条件が整って食料生産を始めることができ、その結果、多くの人口を養って複雑な社会機構を持つことができた民族(や、その子孫)が現代においても世界で支配的な地位を占めている。今後も、アフリカのサハラ以南や北米先住民の子孫がこのレースを逆転することはほぼ考えられない。
・・・

すう〜ごく 読みごたえがあって面白いです。
新しい技術を独自に開発できる社会は限られており、多くの社会はそれを参考にしてまねたり取り入れたりするが、それができない社会は他の社会に滅ぼされるか取って代わられてしまう・・という人類史の教訓は今も生きていると感じます。
ただ、上下巻750ページはちょっと長いかな?途中、概ね重複する部分もあるので、要約版があっても良いかと思います。しかし、読む価値という点では圧倒的に「あり!」です。世界と人類の成り立ちを俯瞰する、巨視的な目線を獲得できる一冊です。

読むべし!



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2012年03月11日

被災地からの手紙 被災地への手紙 忘れない。 西條剛央+ふんばろう東日本支援プロジェクトおたより班 (著)

東日本大震災から1年が経過しました。

1年も経ったのに、被災地の復興は順調に進んでいるようには見えません。
多くの方が送った義捐金も、被災者の方々ひとりひとりにきちんと渡っているのか、定かに見えないもどかしさがあります。

しかし、この一年で新たに生まれたものもあります。
いまや日本最大級の被災地支援団体に成長した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」も、そのひとつです。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、被災者の就職支援につながる「重機免許取得プロジェクト」や、被災者が必要としているものをAmazonの「ほしいものリスト」でマッチングするなどの秀逸なアイデアによって支援活動をしている団体です。

早稲田大学大学院講師の西條さんが、ボランティア経験ゼロの状態からまたたく間に作り上げたその発想と行動には舌を巻きます。私も、ここから被災地の商店で支援物資を購入し被災地へ届ける「復興市場」というショッピングサイトを知り、物資を送りました。

本書は、物を届けるだけでなく、心の支えとなる手紙を届ける「おたよりプロジェクト」に全国から寄せられたメッセージや、それがきっかけで始まった往復書簡、被災者からプロジェクトに送られた手紙などを収録した一冊です。

これを読むと、被災地の現実は我々が何となく考えていたような甘いものではないことが今さらながら判ります。
特に、仮設住宅に入居した人に与えられる支援が、借上げ住宅の入居者や半壊した自宅で頑張っている人には全く与えられない、情報すらない、などの状況や、公平に行きわたることを優先しすぎて、数の少ない物資は配らず倉庫に置いたままにしている・・などの実態を知ると、赤十字に義捐金を送ってあとは行政が何とかするだろうと高をくくっていてはならない!と気づかされます。


「忘れられることが一番怖い」


被災者が書いてきた手紙に散見される言葉だそうです。

被災地の復興はまだまだこれから。多くの経済的・物質的支援とともに「あなたたちのことを思っている」という気持ちを保ち続ける必要があるはずです。

「忘れない」「支援をし続ける」

そのことを、今日はもう一度決意しました。

読むべし。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」ウェブサイト




posted by 武道JAPAN at 17:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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