2017年08月31日

閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 水野和夫

長い時間軸の視点を与えてくれる本。
著者は、経済学博士、法政大学教授。仙谷由人の経済ブレーンとして、民主党政権下で内閣官房審議官などを務めたとのこと。経済・金融を歴史的な視野から論じています。

この本では、800年前から始まった資本主義と、500年前から始まり国民国家のベースとなった近代システムが歴史的終焉を迎えていると説きます。
英国のEU離脱やトランプ大統領誕生など、グローバリゼーションに対する「No」の声は、資本主義の末期症状の発露であり歴史的な大変化の現れであるが、国民国家を再強化し回帰する方法ではこの変化に対処できず21世紀の新しい社会システムを模索すべきと論じます。以下メモ。

・・・

●資本主義の始まりと終焉

資本主義は、コペルニクスらによる世界観の転換を決起として始まった。
それまでの中世的な宇宙(コスモス)において、地球は特別な(不動の)場所であり、神の掌る世界として有限に閉じられていた。科学的な発見により、地球は惑星の一つに過ぎず、宇宙は無限に開かれた空間であることが認識されると人々の宇宙観、世界観が変化した。

閉じられた宇宙での定常状態から、広がる世界の開拓へと意識が変化し、これが無限の拡大を求める資本主義と結びついて近代が始まった。近代主権国家・国民国家システムは、一部支配者の満足ではなく広く国民のニーズを満たす必要がある。以前なら王侯貴族にしかできなかった豊かな生活が国民に行き渡ってゆく近代の資本主義と国民国家システムはうまく結婚し、足並みをそろえて機能した。

しかし、資本は永遠の拡大と冨の蒐集を欲し、中心に対する周辺(利潤を齎してくれるフロンティア)を必要とする。大航海時代の植民地からサイバー空間まで、あらゆるフロンティアを開拓し尽くし、さらに冨の蒐集を求める資本は、いまや国家を従えて国民と離婚した。かつて先進国が後進国(の資源)を搾取していた構造は、国・地域に関わらず資本側vs搾取される一般国民という構図に変化した。大企業や支配層のみが潤って一般市民に分配がなされず、上位1%に冨が集中する現象は、資本主義の末期状態である。

このままでは民主主義も崩壊し、国民の生命・財産・安全を守るべき社会の基盤が維持できない。

●21世紀に残るのは閉じた帝国

低成長、ゼロ金利は資本の拡大が限界に達したシグナルである。限界まで拡大した世界は、収縮するしかない。ポスト近代のモデルは「新中世」というべき閉じた帝国が有効ではないか?

ヨーロッパでは独主導でポスト近代モデルとしてのEUという実験が行われている。
露も、ユーラシア同盟を構想し、中国は一帯一路やAIIBで新シルクロードを囲い込もうとしている。20世紀は大航海時代に象徴される「海の帝国」が覇権を握った(蘭→英→米)が、21世紀には、これら「陸の帝国」の巻き返しが起こる。歴史は常に海と陸との攻防の連続である。

対して米は、金融資本帝国を築き、イノベーション、フロンティアの拡張による近代システムの延命を図っている。日本はそれに追従し、捨て駒に使われそうになっている。

歴史的な大変化にあたって、最もしてはならないのは現状の維持・強化である。

●日本の取るべき進路

21世紀には、閉じた地域帝国が生き残る。定常状態・成長しない経済を目指し、近代システムとゆっくり決別し、新しい社会モデルを構想するべき。

どこの国と帝国を創るかは重要な課題。国民国家を強化し、単独で閉じこもってはダメだが、まだ近代化を始めたばかりの中国ではポスト近代を模索するパートナーにはならない。今後起きてくる、あらゆる可能性に対処できるよう態勢を整え、試み続けるしかない。

・・・

と、非常に大きな視点で世界の趨勢を描き出しています。なかなかここまで大きな視座に出会うことは少なく、目の開かれる思いでした。

世界的なテロの蔓延や、グローバリズムに対する抗議行動、ゼロ金利やマイナス金利などの異常事態(の常態化)など、一個人の肌感覚としても「おかしい」と思える現象は、これほど超長期の歴史的転換点のうねりが表出したものだった・・と考えればすべて整合するように思われます。そもそも永遠に拡大し続けることを宿命付けられた資本主義というシステム自体、自然の法則を無視した胡散臭さを感じます。

果たして我々は新しい21世紀の社会モデルを構想できるでしょうか?
世界観を基にしたコンセプトメーキングの下手くそな日本人には荷が重い気がしますが、太平のゼロ成長・循環型社会であった江戸時代というモデルがヒントになるのかもしれません。

読むべし!



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2017年07月06日

世界を変えた10冊の本 池上彰

皆さんご存知の池上彰氏が「現代社会に顕著な影響を与えた本」というテーマで雑誌CREAに連載したものをまとめた一冊。やはり宗教と経済のふたつが影響力大と見えて、この分野に関する書籍が10冊中7冊を占める。

特に面白かったのは、最初にアンネの日記〜聖書〜コーランと続けて取り上げることで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を横断的に解説する部分。イスラエル、中東、パレスチナ問題、イスラム教原理主義など、世界を揺るがす課題の中心にこの3つの一神教がある。2011年出版の本であるが、もう少し後で連載されれば新興国の台頭に関する本も入ったかもしれない。以下メモ。

・・・

●アンネの日記(ユダヤ教)
ナチスの蛮行を告発し、イスラエルに対する反発の防波堤となった本。ただしアラブ世界では知られていない。

●聖書
旧約は、天地創造を始め、モーセの十戒・出エジプト記など、神話上の出来事を綴ったものが多い。新約は、イエスの死後、彼の言行録を「福音書」としてまとめたもの。
ちなみに、旧約・新約は契「約」の事で翻「訳」ではない。イエスの死により、神と人とに新しい契約が結ばれたと考え、従来の聖書を「旧約」とし、新しい契約の書として「新約」と呼んだ。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、同じ経典に拠っているが最重要とするものは違う。
ユダヤ教=旧約聖書(ただし「旧約」はキリスト教徒からの呼び名で、ユダヤ教徒はそう呼ばない)特に「律法(トゥーラー)」。
キリスト教(主にプロテスタント)=新約聖書(旧約聖書も使う)
イスラム教=コーラン+新約・旧約聖書

●コーラン
キリスト教では主イエスは神の子だが、イスラム教ではムハンマドを始めとする多くの預言者の一人。(ちなみに「預言」は神の言葉を預かる事で、未来を言い当てる「予言」ではない)

新約・旧約聖書で伝えられた神の言葉を、堕落した人間は守れず、最終でもっとも偉大な預言者ムハンマドによって新たな神の言葉(コーランの内容)がもたらされたと考える。

イスラム教徒が守るべき「五行」を説く。五行とは信仰告白・礼拝(サラート)・喜捨(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)。本来は穏やかな宗教である。

●プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 マックス・ウェーバー
19世紀カトリック教会が支配的であったヨーロッパにおいて資本主義は牧歌的であった。人は食べるに十分なお金があれば、それ以上は働かない。ところがプロテスタンティズムの国(特にアメリカ)では、勤労を「神の栄光を示すための行為」「終末の日の救いを得るための行い」として捉え、寸暇を惜しんでひたすらお金儲けに励んだ。これが資本主義と結びついて発展し、やがて際限のない利益追求、資本主義のゲームが止まらずリーマンショックの遠因になったとする。

●資本論 カール・マルクス
社会主義運動・共産主義革命の基になった一冊。
資本主義はやがて労働者の反抗から革命を引き起こし崩壊すると説くが、その後の来るべき世界像は描かれていない。

●イスラーム原理主義の「道しるべ」 サイイド・クトゥブ
イスラム原理主義過激派のバイブルとなった本。
著者は留学時にアメリカの物質文明に失望し、ムスリム同胞団を敵視する米英人を知ることで却って同胞団を支持する様になったという。
主権は人になく神のみにあると考え、民主主義を否定し 、神の言葉を伝えたコーランに基づく社会を実現すべきと説く。

●沈黙の春 レイチェル・カーソン
放射能、農薬など、環境汚染・複合汚染という概念を世界に提示した最初の書。

●種の起源 チャールズ・ダーウィン
現代では常識となった「進化論」を初めて問うた書。
旧約聖書の「神は自身の姿に似せて人を創った」とする概念を否定するため、発表当時は議論を巻き起こし、現代でも(特に米国に)進化論を学校で教えようとしない地域がある。

●雇用、利子および貨幣の一般理論 ジョン・M・ケインズ
不況になったら政府が財政支出をすることで消費・雇用を促進し、景気が加熱したら金利を上下することで景気をコントロールする・・という、現代資本主義社会における景気操作の基本的な処方箋を提供している本。

面白かった概念:利子率と利潤率〜投資することで得られる利潤率が借金の利子率を上回ると考えれば、経営者は金を借りてでも事業をする。

●資本主義と自由 ミルトン・フリードマン
「自由」「市場主義」「小さな政府」を良しとし、変動相場制、夜警国家、教育バウチャー(学校選択の自由)などを主張。本書では「過激な強者の論理」として批判的であるが、論旨は一貫しており傾聴に値する価値はあると思われる。

・・・

だいぶメモを端折りました。300ページに満たない薄い文庫本の割に内容は充実しています。オトナとして最低限押さえておきたい常識を、また世界共通語としての教養を(本来は原書を読むべきとしても)ざっと頭に入れるのに有用と思われます。

読むべし!


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2012年12月02日

静かなる大恐慌 柴山桂太

著者は京都大学経済学部卒。滋賀大学経済学部社会システム学科准教授。専門は政治・社会思想史、現代社会論、リスク社会論。

本書を読むまでは、「グローバリズムは止まらないものだから、その中で如何に身を処すべきか」と考えていました。
しかし、この著者は「グローバル化は歴史上何度も起こっては崩壊した」と説きます。特に前回のそれが二度の世界大戦という結末に行きついて終焉した事実を明らかにし、ごく近い未来に、反グローバリズムの動きが出てくる可能性を指摘しています。
相当に現状認識を変えてくれた内容であり、まさに今、読むべき一冊と言えます。以下メモ。

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世界はすでに「静かなる大恐慌」に突入した。1930年代のような混乱に陥らないのは、各国政府が過去に学んで対処のための知恵を保有していたからであり、実体としては「大恐慌」と呼ぶにふさわしい状態。

グローバル化は歴史上何度も起きては崩れた。今回が初めてでも、歴史の必然でも、永遠に続くものでもない。

経済が好調に拡大している時期はグローバル化も歓迎される。各国は相互貿易から恩恵を多く受ける。
しかし資本主義は消費も生産も借金を基にして拡大する仕組みであり、必然的にバブルを生む。バブルは必ず終焉するので、経済の後退局面は断続的に訪れるし、甚だしいバブルの後は恐慌となる。
こうなると、各国は自国の利益を最優先せざるをえなくなり、国家間の軋轢を生む。また、行きすぎたグローバル化は国内に格差を生む。新興国に雇用を奪われた労働者層は社会保障を求め、国内は不安定化する。このような経緯をたどってグローバリズムはある時点で反転し、保護主義や大きな政府への要求を連れてくる。

新興国の台頭も地政学的な不安定要因になる。前回のグローバル化時代には、恐慌後のブロック経済から締め出された新興国(日本やドイツ)が戦争の引き金を引いた。今回は経済発展した中国が軍備を増強し、周辺国に脅威を与え始めている。この局面で経済が崩壊すれば何が起こるか?
現代で戦争という帰結に結びつくことは考えにくいが、前回も「グローバル化は各国の経済的結びつきをより強固にし、戦争の可能性を低減する」と、同じように考えられていた。しかし戦争は起こった。

現在はWTOなどの機構もあり、あからさまな保護主義は取りにくい。各国も、保護主義が世界の安定にとって危険であるのは理解している。しかし現代の保護主義はより巧妙になっている。関税障壁をかけなくても、相手国製品の検査に時間を掛けたり、反ダンピング法のような新手が生み出されている。通貨安への誘導によって自国を有利に導くことも行われている。

グローバル化・国家主権・民主政治のうち、同時に実行できるのは二つだけ。

国家なしに節度のある資本主義は機能しない。

どこかで反グローバリズムの巻き返しが起こる可能性に備えよ。日本企業は世界に飛び出していくが、各国で国内産業の保護や外国資本の締め出し、政府による財産接収など、極端な事態が起こりうることを想定すべき。
中国での反日暴動など、繁栄から取り残された民衆による政府への抗議行動が直接的な日本企業への攻撃に出るケースだけでなく、民主的なデモや選挙によって政府への圧力が高まり、海外企業の締め出しが起こる場合すらある。
特に、日本はGDPに占める輸出依存度が上がってきており、海外のショックから影響を受けやすい。これが日本経済の脆弱性要因になっている。

各国が内需を拡大し、国民資本を充実させる事。輸出競争や通貨戦争によって他国の利益を奪い合えば、最終的には世界は不安定化する。しかし当面はグローバリズムは止められない。知恵の結集が求められる。

「資本」という概念を金銭以外にも拡大すべきではないか。共同体の人間関係や組織の信頼感、長年蓄積されてきた技術や知識の伝統など、現在の経済学がうまく扱えずに捨象している概念を取り込んだ新しい社会経済の在り方が必要。

・・・

・・と、新書でこの内容充実度はあり得ないほどすごいです。
グローバル化の進展による世界システムの不安定化という現在の世界が直面する問題をガバッと包含しています。これを読めば、リーマンショック後の不況も、ジャスミン革命も、尖閣問題も、すべてが同じ根を持つ「ひとつながり」の事象と見えてきます。

特に我が国においては、企業もエコノミストも、「今後も世界経済の一体化は直線的に進むし、縮小する国内を見限って発展著しい新興国に打って出るしかない」という論調が一般的で、想定外のリスクを検討していないようです。
しかし、もし本書の視点が正しければ(十分に確からしいと思われます)、今後グローバル化への強い反動が巻き起こる可能性は否定できません。我々はいたずらに国外に戦線を拡大すべきではなく、国内にもっと目を向けて、金銭に換算できない資本・・社会の安定性や国民の忍耐強さなど・・をより高め、国民を幸せにする社会、我々日本人が本当に望む社会の実現に注力すべきかもしれません。昨年のベストセラーに借りて言えば「これからの日本の話をしよう」です。

運命の選挙直前!

読むべし!読むべし!



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2012年07月29日

この国のかたち1 司馬遼太郎

タイトルが見事に内容を表している作品というのがあって、そういう書物に出会うと実にすっきり腑に落ちて感心します。

本書は、1986年から1996年にかけて「文藝春秋」の巻頭随筆に連載された司馬遼太郎のエッセイ集。晩年になり、それまで避けてきた小説以外の表現方法で「この国のかたち」を表現しようとしたものです。

「日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。」

博識に支えられて、長い時間軸で歴史を見通す目線が、魅力的な文体とともに展開されます。著者急逝のため全6巻で終わっています。
本書はその第1巻ですが、のっけから日本と日本人と、その歴史に対する的確な洞察が続きます。エッセイなので話題はあちこちの時代に飛びます。

この中で、特に重要な部分は、1905年(日露戦争以後)から1945年(敗戦)までの40年間に関する記述です。
参謀本部が天皇の統帥権(軍を統率する権利)を都合よく利用し、国家を誤った方向へ引きずって行った時代。これを、日本史における「異胎」と呼んで批判します。

・「参謀」という得体のしれぬ組織が自己肥大し、謀略を計っては国家に追認させてきたのが昭和初期の日本。参謀本部の将校という、いわば秘密クラブのメンバーが、憲法に定められた統帥権を勝手に拡大解釈し私物化して自らの権能を増大させて弄んだ。
・隠然たる権力を握った官僚と、マスコミに煽られて日露戦争の講和条約反対集会に集まった大群衆が、その後の40年を調子の狂ったものにしたのではないか。


薩長土肥が「天皇」という最高の権威を担ぎ出して明治維新を成功させたとき、言ってみれば天皇をうまく利用したわけですが、昭和の参謀本部も天皇の統帥権という権力を自分たちの都合の良いように利用しました。
天皇の統帥権は三権に超越する、と勝手な解釈を与え、その強大なパワーの陰に隠れてやりたい放題をした参謀本部=官僚たち。無限とも言える権能をふるいながら責任はいっさい取らなかった。
司馬遼太郎が「異胎」と呼んだその時代の中心構造は、現在も原子力ムラなどに復活してはいないでしょうか?

宋学に傾倒した後醍醐天皇が、日本的伝統を破り、まるで中華皇帝のような絶対権力を掌握しようと動いた挙句に南北朝の大騒乱になったり(※前のエントリー「中国化する日本」でも指摘されていますが、日本式統治構造と中華式社会システムを半端に混ぜるとろくな事になりません)、やはり中国式の中央集権や郡県制を構想したらしい織田信長が本能寺で討たれたり・・独裁的な絶対権力が一極に集中する仕組みをこの国は好まない・・というように、国のかたちや歴史の流れが、意味をもった流れとして理解できます。

・13世紀に自衛する農民である「武士」が生まれ、律令制をたてとする貴族階級から「田を耕すものが土地の所有者である」という素朴なリアリズムに基づいた権利を勝ち取って政権を樹立した(鎌倉幕府の誕生)。以降、日本史は中国や朝鮮と違う歴史をたどり始めた。

総じて、日本と日本の歴史に対する愛情が感じられますが、だからといって「この国」を礼賛し、なんでも持ち上げるわけではありません。客観的にバッサリ切るところは切ります。

・思想を求め書物を読むのが好きなくせに、思想を血肉として社会化させることを好まない。
・あの明治維新にしても、植民地になりたくないという切迫感から尊王攘夷(王を尊べ外国を打ち払え)と叫んだが、言ってみればそれだけのことで、ここにはフランス革命などに見られる「人類に普遍のテーマ」などは含まれていない。
・しかも維新が叶った後は、あっさり開国してしまった。


・工業化が進展すると、資本と商品供給が国内の需要を上回る。すると、対外的に打って出て新たな市場を獲得しようとする。これが帝国主義の原型。
日本は、昭和の時代に帝国主義的ふるまいで朝鮮半島を併合し子孫代々に残るうらみをかったが、当時の日本には供給する商品など無く、タオルや日本酒を輸出しただけだった。雑貨を売るために他国を侵略するとは、なぜこんな馬鹿げたことを国家ぐるみで行ったか?


個人的に面白いと思ったのは、「若衆宿」の風俗に関する記述。近代以前の集落で、未婚男子が実家を離れて寝起きを共にし、地域の警備などの共同作業にあたった風習ですが、これは雲南などの、漢民族とは違う古代タイ語系を話す民族にもあった風習ではないかとの事。
それで思い出したのは稲作の由来です。実は稲作は大陸から朝鮮半島を経て伝わったのではなく、雲南省あたりで発祥し、そこから海を通って直接日本列島に来たらしい(半島にはない稲のDNAが、雲南と日本だけにある)。
我々の先祖は稲と共に船で南から列島にたどり着いたのかなあと思います。そういえば、地理的には近いけれど大陸や半島の人々とはどうも分かり合えず、タイやフィリピンあたりのほうが付き合いやすい気もしますし。

日本と、日本史を巨視的につかむ目線を与えてくれる良書。

読むべし。


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2012年06月30日

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史 與那覇 潤

近代はヨーロッパから始まった。近代化とはすなわち西洋化であり、議会制民主主義や法の統治を備えることだ・・という常識をひっくり返して新しい視点を導入する書。

著者は、東大教養学部卒、愛知県立大准教授。日本近現代史・東アジア地域研究が専門。まだ32歳との事ですが、本書は非常に「切れ」ます。つまり、ナルホドそれで社会と歴史が確かに説明できる・・と納得させる力があります。以下メモ。

・・・
中国では、宋の時代に

・権力は皇帝に一極集中
・優秀な人材を全国から試験によって登用し(科挙)、皇帝に忠誠を誓わせる
・官僚が中央から地方に派遣されて管理する(郡県制)
・政治的には規制があるが、経済的には自由競争で何でもアリ
・政府はほとんど何もしてくれない

という社会システムが確立した。

本書で「中国化」と呼ぶものは、この(現代でいう「新自由主義」のような)システムが世界を覆ってゆくことを指します。
そして、「中国化」と対比する概念として「江戸時代化」を置きます。こちらは

・権力は権威や富と一体ではなく一極集中「させない」
・身分や職業など、社会経済的にさまざまな規制がある。土地から離れて移動も禁止。(要するに封建制)
・その代り、自分の持ち分(身分や家業)を守っていれば子孫代々食べていける

という、日本で独自に発達した社会システムです。
(管理人:共産中国が実は新自由主義のようで、日本が社会主義的なのが興味深いです。そういえば、かつて日本を「最も成功した社会主義国」と評する向きもありました。)

日中は「混ぜるな危険」で、双方のシステムを中途半端に交換導入するとロクなことにならない。

著者は、どの国でも16世紀ごろに確立したシステムが現代でも社会のベースになっている、と説きます。(米国など移民国家は別)
日本では、何度もグローバル化(本書では「中国化」)の波が起こりつつも(清盛の日宋貿易や明治維新や小泉改革)、その度に「江戸」への揺り戻しが起こって、現在まで「長い江戸」が続いてきたものの、いよいよ江戸システムも終焉が近づいている、と見ます。
(管理人:確かに、小泉改革後に格差社会が叫ばれ・・小泉改革と格差社会は実は関係ありませんが・・「三丁目の夕日」的なあの時代に帰りたいよ、みたいな動きはありますね。もうそれはできないのですが、人々の意識の底には、セーフティネットのない未知の世界への怖れがあるのではないかと思います)
反対に、中国でも「江戸化」が起こった時代が何度もあり(毛沢東時代など)、結局それはうまく機能してこなかった、としています。

中国システムでは、政府はほとんど(福祉的なことは)何もしてくれない上に自由競争=負けたら死ね、の社会なので、民衆は父系血縁の「宗族ネットワーク」を構築。女性は結婚しても姓を変えず、同姓の血族をできるだけあちこちにバラまいて、どこかで誰かが成功したらそこを頼る・・というセーフティネットを発達させた。宗族血縁が大事で、他人の子を養子にとるなどは論外。

その他、面白い知見として

機械化されておらずビニールハウスすらない中世では、人口増加が早いと食糧増産が追いつかない。食っていくだけで必死で、すぐ飢饉や内戦になる。ここを脱せないと近代化しない。(アフリカなどでは今もこの状態)
英国では家庭内労働を職業化して(執事やメイド)結婚しない(子供を作らない)層を生み出し、日本では長男だけに跡を継がせる「イエ制度」を作って人口増加に歯止めをかけたおかげで、この二国が近代化に一番乗りできた。中国では、宗族ネットワークが頼りだから可能な限り血縁を増やそうとして人口増加に歯止めがかからず近代化の遅れを招いた。
ただしイエ制度の弊害として、次男以降は生涯結婚もできず、飼い殺しか、都市へ丁稚奉公に出されて多くは野垂れ死んだ。「姥捨て」伝説と違い、「若者切り捨て」が常態化しており、それは現代も続いている。(高齢者の年金のために消費税を上げるが、職のない若者がネットカフェ難民になっている)
・・・

非常に面白い視点を提供してくれます。納得性も高いです。

ただ、タイトルがちょっと残念な気がします。「中国化」というキーワードが刺激的で、本の販促的には良いのでしょうが、世界標準の究極的な社会システムは中国で発明された・・中国は最も進んだ文明の体現者だ・・みたいな部分はもう少し検証が必要と思います。また、著者自身、「(中国と江戸時代)どちらの制度も良し悪しがある」と言いながら、随所に「中国のほうが進んでいる」というニュアンスを押し出す傾向が感じられます。

ヨーロッパなど本来は世界の田舎だった・・という説はその通りですが、かの地で産業革命がおこり、過去200年にわたって確かに世界をリードした背景にある、知的・物的所有権を保護する概念や、法の支配、株式会社という仕組みの発明などを掘り下げたうえで、次の世紀に目指すべき全世界的な社会システムは何か・・という問いにまで持っていかずに中国を礼賛するようでは十分ではないと思います。といっても、著者は歴史学者であって政治・社会学者ではないのでそれは専門外ということかもしれませんが。

とはいえ、「不自由でも我慢すれば皆で生きて行ける」江戸システムにいくら郷愁を感じても、グローバリズムの流れは簡単に止まらないのだから、「どう乗ってゆくか」を考えねばなりません。特に東アジアにおいては、台頭する中国にどう対するか。
著者は、中国の弱点である「世界に提示できる普遍的な価値観を持たない(今のところ、「中華こそ世界一」という独善的で誰も受け入れない概念しか持たない)」点を突いてはどうか、と提案しています。例えば、憲法9条の理念を前面に出し、「武ではなく徳を持って治める儒教道徳はそちらが本家だが今や日本にしか見当たらないようだ。かくなるうえはこちらが文化の中心」として、東アジア共同体は日本の規範をベースに・・となれば面白いのではないかと。(秀吉も朝鮮へ出兵したのは、最終的に中原まで攻め上って東アジア全土を手中にする計画だったわけだし)

内容は充実していますが、文体は口語でとても読みやすい。

読むべし、読むべし!



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2012年04月22日

銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎 ジャレド・ダイアモンド

壮大な規模で人類史の謎を解いてゆく書。

なぜ世界には持てる国と持たざる国があるのか? なぜヨーロッパ人がアメリカ大陸(のインカ帝国など)を滅ぼし、その逆は起こらなかったのか? といった、非常に根源的な人類史の問いに答を出してゆきます。
根源的な回答を先にバラしてしまうと、ヨーロッパ(を含むユーラシア大陸)が東西に長かったから、です。なんのことでしょう??

むろん、直接的なヨーロッパ人の強さの秘密は、

・銃という圧倒的な火力
・鎧兜や剣といった鉄器
・馬を飼いならしたこと(白兵戦における騎馬は圧倒的な戦力差になる)
・海を越えて侵攻できる船と航海術
・それらを可能にする集権的な政治社会機構
・情報伝達を可能にした文字の発明

に求められるわけですが、本書では、それらを可能にした更なる根本原因を掘り下げてゆきます。
人類には優秀な民族とそうでないものが居る、という迷信を切り捨て、寒冷地における生存の困難さが各種の技術を発展させたという俗説も否定します。キーワードは、食糧生産を可能にする環境要因です。 以下少しだけメモ。

・・・

ポリネシアにおいて同じ民族が異なる環境の島に移り住んだ後に別種の社会を発展させ、最終的に一方が他方を征服し滅ぼしてしまった例がある。
一方は農耕に適した条件が整っていたため多くの人口を養うことができ、結果として食糧生産に携わらない余剰人員(工芸品を生み出す技術者や軍人)を持つことが可能となった。規模の大きくなった社会においては、集権的な政治機構も発達し統率のとれた征服行動も可能になった。しかし他方は、農耕不能な島に住んだため小集団での狩猟採取生活から抜け出せなかった。
集団がどのような社会を構成し、どのような発達段階を踏むかは環境による部分が大きい。

特に、栽培できる植物や飼育できる動物を入手できたかどうかが運命を分けた。
例えば現在世界中で栽培されている野菜の原種は主にユーラシア大陸に存在する。アフリカ大陸やアメリカ大陸には有望な原種が少ない。
動物も同様で、アフリカには多くの動物がいるが、家畜に適した種は少ない。例えばウマは飼いならせるがシマウマは人間に順応しない。アメリカ大陸で家畜化できたのはラマやアルパカくらい。牛・馬・豚・鶏・羊・ロバ・ラクダなど主要な家畜はほとんどすべてユーラシア産。

●食べられる作物の栽培が成功すると
狩猟採集に比して同一面積辺りの収穫量が増大し→食糧増産→食糧貯蔵→定住生活→子供が増える(遊牧民の移動生活では連れて歩ける乳児は一人だけ)→人口増加→複雑な政治機構を持つ社会の発達(狩猟採集民の社会は全員がほとんどの時間を食料採集にあてるため比較的平等で小規模な社会。高度な政治機構を持つに至らない)→余剰人員の確保(王族・官僚・職業軍人・宗教戦争に正当性を与える僧侶・武器を生み出す職人・情報を蓄積する書記など)
→文字の発達
独自に文字を発明した地域は数少ない。当初は、限られた人間(宮廷にいる書記など)だけが使った。そのような「直接に食料生産に携わらない人間」を養えるだけの社会規模があることが、文字を所有する条件。
文字を所有すれば情報が伝達できる。情報の差は社会集団の能力差につながる。

●家畜の保有が成功すると
→繊維や毛皮を得る→暖を取れる・綱や網を作れる・動物の骨や皮で道具ができる
→輸送能力が激増(馬・ロバ・ラクダ・犬ぞりなど)
また、馬は第一次大戦前まで長らく最強の軍事手段だった。
→継続的な乳や卵の採取ができ、家畜による耕作地の増大が可能となり、これも食糧増産につながる

→病原菌の保有(家畜がくれた病原菌という兵器)
多くの疫病は人間と動物の間を行き来することで変異し、強力な菌になる。家畜から人間にうつった病原菌は最初は甚大な被害をもたらすが、やがて免疫ができる。免疫のある集団がない集団と接触した場合、ひどい場合には後者の99%が死んでいる。
例えば、スペイン人がアメリカ大陸に持ち込んだ疫病がインカ帝国を滅ぼした。ユーラシア大陸には家畜化できる動物種が多く、アメリカ大陸にはほとんどなかった。この差が病原菌と免疫に対する差を生んだ。

●大陸が南北に長かったか東西に長かったか
南北に長い大陸(アメリカ・アフリカ大陸)では、北と南で気候条件が変わるため、作物や家畜化できる動物の伝播が制限される。(特に南北アメリカ大陸は中間地点で狭まっており急峻な山岳や密林地帯によって北米と南米大陸は隔てられている)
ユーラシア大陸だけが東西に長く、有望な作物が横に広がって行けた。これが、人類集団の運命を分けた最も根源的な要因。

数千年前に特定の条件が整って食料生産を始めることができ、その結果、多くの人口を養って複雑な社会機構を持つことができた民族(や、その子孫)が現代においても世界で支配的な地位を占めている。今後も、アフリカのサハラ以南や北米先住民の子孫がこのレースを逆転することはほぼ考えられない。
・・・

すう〜ごく 読みごたえがあって面白いです。
新しい技術を独自に開発できる社会は限られており、多くの社会はそれを参考にしてまねたり取り入れたりするが、それができない社会は他の社会に滅ぼされるか取って代わられてしまう・・という人類史の教訓は今も生きていると感じます。
ただ、上下巻750ページはちょっと長いかな?途中、概ね重複する部分もあるので、要約版があっても良いかと思います。しかし、読む価値という点では圧倒的に「あり!」です。世界と人類の成り立ちを俯瞰する、巨視的な目線を獲得できる一冊です。

読むべし!



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2012年03月11日

被災地からの手紙 被災地への手紙 忘れない。 西條剛央+ふんばろう東日本支援プロジェクトおたより班 (著)

東日本大震災から1年が経過しました。

1年も経ったのに、被災地の復興は順調に進んでいるようには見えません。
多くの方が送った義捐金も、被災者の方々ひとりひとりにきちんと渡っているのか、定かに見えないもどかしさがあります。

しかし、この一年で新たに生まれたものもあります。
いまや日本最大級の被災地支援団体に成長した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」も、そのひとつです。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、被災者の就職支援につながる「重機免許取得プロジェクト」や、被災者が必要としているものをAmazonの「ほしいものリスト」でマッチングするなどの秀逸なアイデアによって支援活動をしている団体です。

早稲田大学大学院講師の西條さんが、ボランティア経験ゼロの状態からまたたく間に作り上げたその発想と行動には舌を巻きます。私も、ここから被災地の商店で支援物資を購入し被災地へ届ける「復興市場」というショッピングサイトを知り、物資を送りました。

本書は、物を届けるだけでなく、心の支えとなる手紙を届ける「おたよりプロジェクト」に全国から寄せられたメッセージや、それがきっかけで始まった往復書簡、被災者からプロジェクトに送られた手紙などを収録した一冊です。

これを読むと、被災地の現実は我々が何となく考えていたような甘いものではないことが今さらながら判ります。
特に、仮設住宅に入居した人に与えられる支援が、借上げ住宅の入居者や半壊した自宅で頑張っている人には全く与えられない、情報すらない、などの状況や、公平に行きわたることを優先しすぎて、数の少ない物資は配らず倉庫に置いたままにしている・・などの実態を知ると、赤十字に義捐金を送ってあとは行政が何とかするだろうと高をくくっていてはならない!と気づかされます。


「忘れられることが一番怖い」


被災者が書いてきた手紙に散見される言葉だそうです。

被災地の復興はまだまだこれから。多くの経済的・物質的支援とともに「あなたたちのことを思っている」という気持ちを保ち続ける必要があるはずです。

「忘れない」「支援をし続ける」

そのことを、今日はもう一度決意しました。

読むべし。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」ウェブサイト




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2011年08月17日

武道的思考 内田 樹

信用できる友人に勧められた本。

内田氏の本は、すでに「日本辺境論」「下流志向」などを面白く読ませていただいていたので、今回も期待して購入。書店で発見したとき、や、なかなか分厚い本だなと一瞬ひるんだものの、どうやらブログなどを再編集したものらしく、一文一文は短いため楽に読めました。・・楽に読めた、といっても内容の充実ぶりは素晴らしく、ページを繰る手が止まらぬ面白さです。

著者は神戸女学院大学名誉教授。今年大学を定年退職し、まもなくご自分の道場を開かれるとのこと。「武道家」というイカツイイメージをさらっと裏切る独特な文体の軽さが小気味良いです。深刻になりがちなテーマを語っているときでも、ふっとリキミを抜く。
批判や批評を加えるときに、この「緊張感を高めきらずにかわす、そこはかとない軽み」はとても有効だなと感じます。反対意見も衝突を感じずに受けとめやすくなりますね。さすが合気道六段。以下ランダムにメモ。

・・・

・身体能力にリミットをかけているのは大半が脳内ファクター。道場に出ないときにも武道の身体運用について考え続けていると技術は向上する。

・自己利益の追求と同じくらい熱心に公共の福利を考えることのできる「公民」を育成することは共同体にとって死活的に重要で、それこそが教育の意味。

・武術修行を通して開発されるべきは「生きる力」。わずかな予兆から危険を察知して避けることや、他者と共生し同化する・・ひいては集団をまとめる能力。

・ほんとうの身体能力は、ある時間上の点から次の点まで移動するときに、どれだけ細かくその時間を割れるかという事。(管理人:こんなこと武道をやっている人以外に通じるかしら)

・身体で考えることの重要性
近代は自然を都市の外へと排除した。人間に残った自然=身体も排除され、心が主体で肉体は従とされた。近代文学では心の動きや心理の葛藤、愛憎などばかりがクローズアップされた。軍事までもが兵站というリアルを無視して「大和魂」などという精神論に走った。

・葬式の儀礼をなくしたら人間社会ではない
葬儀のような「存在しないものとの対話」を行うのは人間だけ。葬儀だけでなく、例えば音楽も「今、ここ」に存在しないものとの対話。音楽は前の音と今の音と次に来る音が連なっているから音楽になる。つまり、すでにもう今ここにはない音と、今聞こえている音を同時に感じ取れなくては音楽は成立しない。今ではない時間や、ここではない場所をリアルに想像できる能力が大事。

・身体の中でリラックスできている部分が多いほど自由度は高まり、武術における殺傷力も高まる。100%リラックスしている状態が一番強い。相手を不自由な緊張状態に置き、こちらが自由にふるまうのは単なる虐殺。相手の質量も取り込んで相手もリラックスさせたまま一緒に扱えば、さらに大きな運動ができる。(管理人:これ合気道ですね)

・子供を「型」に嵌めることの効用
お遊戯や起立、礼など、定型的な身体運用は必要。他者と同一の動きをまねることにより脳内の「ミラー・ニューロン」が養われる。これを通じて、他者との共鳴や共感が得られるようになり、そのあとで、やっと「他者とは違う自分」という主体がつかめる。
個性尊重とかいって各人勝手なことをさせ、他者との回路を育てないと、「自分」も確立できない。

・近代国民国家というものは人間が勝手につくりあげた想像の共同体であるが、しかしこれを公道とみたててやせ我慢してでも維持する以外に我々の生きる道はない。

・日本人はパイが拡大しているときはナショナリズムを忘れる。パイが縮みはじめると尊王攘夷が出てくる。

・帰属する集団がないものはナショナリストになりやすい。何らかの集団に帰属し、人々と共働し、役に立って必要とされ、敬意と愛情を得ていればパトリオットになる。

・日本にテロを仕掛けることは容易。しかし、もし日本に攻撃を仕掛けた場合、かつての戦争における自暴自棄な戦いぶりからすれば、この国民は一丸となって「復讐国家」となり、憲法を改定し、増税を受け入れ、軍備を増強し、米国でさえ躊躇するような冒険的な行動に出る可能性が高い。そんなことをしても誰も利益を得ない。

・豊臣秀吉の朝鮮侵略は「華夷秩序」コスモロジーで見ないとダメ。当時のアジア世界の常識では、周辺蛮族は地域を平定したら、中央に討って出るのが筋だった。匈奴もモンゴルも満州族もそうした。秀吉も朝鮮を斬り従えて中原に攻めのぼり王朝を立てるつもりだった(が、失敗した)。
日本と朝鮮という関係だけでとらえても判らない。

・安保闘争の時に国民が苛立ったのは、私たちは戦争に負けたのだからアメリカの軍事的属国になる以外の選択肢がないという悲しい現実と恥を受け入れよう、という本当のことを右翼も左翼も言わなかったから。その弱さを認められないほど当時の日本は弱っていた。

・利害対立したときは、実力者が一歩引いて「三方一両損」が最上策。しかし世界一の実力者であるアメリカはこれができない。調停能力に関しては最低で、アメリカが絡んで上手くいった調停はない。

・日本が本当に親米的な国なら、アメリカが世界中で尊敬され敬愛され末永く安泰であり続けるように協力するはず。ところが、そんなことにはこれまで指一本動かさなかった。戦争の後押しをし、「それをするとアメリカの敵が増える」ことは熱心に支持した。特に小泉元首相は積極的にやった。
これは征服された元王家が、仕えた新しい王の没落を願う「従者の復讐」ではないのか?

・・・

話題は武道論にとどまらず、日米安保や核武装にまで及びます。

思いがけない視点や言語化できていなかった実感などが「なるほど」とやってきて実に刺激的です。武道に親しんでいない人にも得るところ多いと思われます。

読むべし!

●ブログ 内田樹の研究室


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2011年08月14日

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 松岡 正剛

日本には日本を論じる書が多い・・と言われますが、一番力が抜けてて包括的に本質を言い当てている一冊ではないかと思います。(良い意味で)脱力系日本論。

著者は、稀代の本読み、あの「千夜千冊」の松岡正剛氏。
さすがに幅広い見識から導き出された論は、武士道とか、禅とか、明治維新とか、日本の歴史文化の特定一部をクローズアップして勇ましくNIPPONを称揚する、よく見かける言説とはレベル違いの豊かさです。

のっけから「最近、日本は自信を失っている。もっと自信を取り戻そう」との言説に対し、「そもそも日本の自信って何?明治維新で得たもの?芭蕉のサビや近松の浄瑠璃?NYにビルを買ったこと?」と問い直し、「日本は、自信や強さにつながるナショナル・アイデンティティなんて確立したことはない」と説きます。

タイトルが本書の主張をすんなりと表しています。日本には「これが日本だ」という主題はなく、多様性を包含する「日本という方法」〜様々な情報を「編集する」手法〜だけがあるのだと。「『無常』や『バサラ』や『侘び』や『伊達』を、また、人麻呂や一休や・・・夢野久作や三島由紀夫やサザン・オールスターズや椎名林檎を、一様なアイデンティカルな文化や様式で説明することは無理ですし、したくもありません」と。

以下メモ。

・・・

●「一途で多様な国」
日本は一途なところがあるが、多重的で多層的。多神多仏。実際は単一民族ではない。違うものが共存する。対比や対立があっても、その一軸だけを選択せず、両方あるいはいくつかの特色を残す。中心がひとつではない。天皇と将軍がいる。関東と関西では文化が違う。和漢が並ぶ。静と動、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)、アマテラスとスサノオ。
普通なら分裂し、弱体化する。なのに統一を保っている。日本を日本ならしめている「方法」がある。

○風土と宗教
砂漠では判断を間違えると全員死ぬため、そこで生まれた一神教では唯一絶対の存在を置き対立意見を認めない。温暖で多様な森林では様々な選択肢があり拙速や浅慮はタブーで意見調整が必要。

●「おもかげ」と「うつろい」
受け入れる、取り込む、換骨奪胎する、オイシイところを抜き取る。「おもかげ」を写し取りながら「うつろい」変化させてゆく。

30年前にはスパゲティといえば真っ赤な「ナポリタン」だったのに、いつの間にか本格的なパスタを食べ、タラコスバゲティまで創作している。その割りに、いくら生活が洋風化しても家に上がるときに靴を脱ぐ習慣は変わらない。

外部から来たものをどんどん取り込み、やがて自分たちに都合のよいように変える。しかし変わらないものは全く変わらない。

●「ウツとウツツ」
中に空洞があるものが「ウツ(虚、空)」そこに何かが宿り、次第に姿を現して「ウツツ(現実)」へと「ウツロイ」ゆく・・・無常観。

●「絶対矛盾的自己同一」
論理で世界を分別しない。一は即ち多であり、逆もまた然り。Aと非Aというように区別しない。二項(多項)は同時に存在する。

●「アワセ、カサネ、キソイ」・・様々な日本的情報編集手法

●すべてを完成させないで想像力で補う。水を感じさせるため庭園から敢えて水を抜く。

・・・

今回は、あまり多くをメモしません。
しようとすれば、ほとんど全ページをメモする事になりそうなくらい、内容が充実しています。手元において何度も読むのが正解です。万葉仮名から徳川社会、日米同盟と憲法九条まで縦横無尽に論じます。読んでもらったほうがよい。価値がある。「編集工学」というものを提唱してきた著者ならではの「情報編集国家ニッポン」論。痛快です。

読むべし読むべし読むべし!




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2011年07月07日

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 水村 美苗

読了してからブログに書くまで時間が掛かってしまった。
あまりに重要な問題が提示されており、その危険性をどう表現したものか今もわからない。

とにかく「本気」の本である。ぜひ読んでもらいたい。読む価値が極めて・・きわめて、高い。そして、この危機感を共有してほしいと、切に願う。

・・・
世界には元来、「普遍語」と「現地語」のふたつしかなかった。

「普遍語」とは学問の言葉(主として書き言葉)であり、国や地域を越えて、科学や芸術などの「叡智」が蓄えられるデータベース。代表的な「普遍語」は、西洋であればラテン語、イスラム世界ではアラビア語、アジアでは漢語。対する「現地語」は、生活のための言語(主に話し言葉)。

「学問をする」「叡智を求める」とは、二重言語者として「普遍語」の知識にアクセスすることだった。かつて日本の知識人は、漢語で書かれた書物を読み、漢文を記した。

近代になって、そのハザマに「国語」が生まれた。
国民国家の成立とともに、国語の整備は盛んになり、本来「現地語」に過ぎなかった言葉で学問をし、科学を学び、文学を顕すことが可能になった。
日本は、いち早く対応した。大学は巨大な翻訳機関となって西洋からの新知識をせっせと日本語の中に取り込み、日本近代文学は世界で「主要な文学のひとつ」と見なされるほどに興隆した。

「国語の祝祭」とも言うべき時代が訪れ、そして終焉した。いまや世界は単一の普遍語である英語と、その他の現地語に収斂しようとしている。「国語」として栄えた言葉たちは、徐々に「現地語」へと押し戻されつつある。

グローバル化とインターネットの普及により、英語=世界普遍語の不動の地位は、ますます加速する。米国が衰退し中国が大国化したとて、世界中の科学・文学が中国語に置き換わる事態は起きない。
今後、主要な科学や文学は英語で表現され、「叡智を求めるものたち」は英語世界に吸収されてゆく。日本においても、減少する人口がこの傾向に拍車をかける。日本語では1億人にしか通じないものを、もし英語で発表できれば数倍〜数十倍のユーザーに届けられる。世界に通じる有為な人材ほどこの傾向に惹き付けられる。
結果、日本語で発表される「書き物」は、相対的にレベルの低いものに落ちぶれてゆく。漢語にアクセスする者が減り、やがて専門家のみが出入りするクモの巣が張った図書館に成り果てたのと同じ。

これまで日本語は、庇護を必要としなかった。日本の国力と人口が、日本語の「国語」としての地位を支えた。しかし、これからは意図的に、(しかも相当な覚悟を持って)日本語を護る、という決意が要る。さもなくば日本語は衰退し、我々の子孫は、近い未来に漱石や鴎外を読めなくなっているだろう。

国益の点からも英語普遍語化への対策は急務。
現下の世界においては英語での情報発信が死活的に重要。日本人の下手糞な英語が、外交・貿易その他の場面でどれほど日本の利益を毀損しているか枚挙に暇がない。

ヨーロッパ語と英語は親戚関係にあるため、西洋諸国人が英語を習得することは我々ほど困難でないが、言語の成り立ちが根本的に違うアジア、特に日本においては戦略が要る。

国民全員バイリンガル戦略は悪しき平等思想であり、幼児からの英語教育には反対。真に必要なのは英語で重要なメッセージを発信できる少数の専門家養成。
むしろ、国語の授業時間を増やし、覚悟を持って日本語を護る気概が必要。

・・・

と、長いスパンで地球に起こっていることを俯瞰させてくれます。

国益とは別に、文化の問題もありそうです。
我々は言語にない概念については思考しにくい。英語に翻訳が困難な、日本語に特有の概念、例えば近年世界的に有名になった「もったいない」などは、日本的な美徳が結集した言葉=概念だと思いますが、日本語が劣化すれば、そういった「日本的なセンス」〜これからの世界に、きっと必要な智慧〜が消えてしまうのではないか?と危惧されます。

生物界では、疫病が流行したときに、多様な種がいれば全滅はしない。どれかが生き伸びてまた繁殖する。多様性がリスクヘッジになっている。
もし世界の言語空間、思考空間が英語という単一種になってしまったとき、地球の文明は弱体化をはじめるのではないでしょうか?そのためにも、我々しか守り手のいない日本語を、なんとしても守らねばなりません。

本書で提起されているのは、経済や戦争、テロや環境汚染といった見えやすい危機ではない。しかし、もしかすると日本と日本人にとって(あるいは世界にとって)遥かに致命的な危機かもしれない

読むべし!





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