2011年08月14日

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 松岡 正剛

日本には日本を論じる書が多い・・と言われますが、一番力が抜けてて包括的に本質を言い当てている一冊ではないかと思います。(良い意味で)脱力系日本論。

著者は、稀代の本読み、あの「千夜千冊」の松岡正剛氏。
さすがに幅広い見識から導き出された論は、武士道とか、禅とか、明治維新とか、日本の歴史文化の特定一部をクローズアップして勇ましくNIPPONを称揚する、よく見かける言説とはレベル違いの豊かさです。

のっけから「最近、日本は自信を失っている。もっと自信を取り戻そう」との言説に対し、「そもそも日本の自信って何?明治維新で得たもの?芭蕉のサビや近松の浄瑠璃?NYにビルを買ったこと?」と問い直し、「日本は、自信や強さにつながるナショナル・アイデンティティなんて確立したことはない」と説きます。

タイトルが本書の主張をすんなりと表しています。日本には「これが日本だ」という主題はなく、多様性を包含する「日本という方法」〜様々な情報を「編集する」手法〜だけがあるのだと。「『無常』や『バサラ』や『侘び』や『伊達』を、また、人麻呂や一休や・・・夢野久作や三島由紀夫やサザン・オールスターズや椎名林檎を、一様なアイデンティカルな文化や様式で説明することは無理ですし、したくもありません」と。

以下メモ。

・・・

●「一途で多様な国」
日本は一途なところがあるが、多重的で多層的。多神多仏。実際は単一民族ではない。違うものが共存する。対比や対立があっても、その一軸だけを選択せず、両方あるいはいくつかの特色を残す。中心がひとつではない。天皇と将軍がいる。関東と関西では文化が違う。和漢が並ぶ。静と動、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)、アマテラスとスサノオ。
普通なら分裂し、弱体化する。なのに統一を保っている。日本を日本ならしめている「方法」がある。

○風土と宗教
砂漠では判断を間違えると全員死ぬため、そこで生まれた一神教では唯一絶対の存在を置き対立意見を認めない。温暖で多様な森林では様々な選択肢があり拙速や浅慮はタブーで意見調整が必要。

●「おもかげ」と「うつろい」
受け入れる、取り込む、換骨奪胎する、オイシイところを抜き取る。「おもかげ」を写し取りながら「うつろい」変化させてゆく。

30年前にはスパゲティといえば真っ赤な「ナポリタン」だったのに、いつの間にか本格的なパスタを食べ、タラコスバゲティまで創作している。その割りに、いくら生活が洋風化しても家に上がるときに靴を脱ぐ習慣は変わらない。

外部から来たものをどんどん取り込み、やがて自分たちに都合のよいように変える。しかし変わらないものは全く変わらない。

●「ウツとウツツ」
中に空洞があるものが「ウツ(虚、空)」そこに何かが宿り、次第に姿を現して「ウツツ(現実)」へと「ウツロイ」ゆく・・・無常観。

●「絶対矛盾的自己同一」
論理で世界を分別しない。一は即ち多であり、逆もまた然り。Aと非Aというように区別しない。二項(多項)は同時に存在する。

●「アワセ、カサネ、キソイ」・・様々な日本的情報編集手法

●すべてを完成させないで想像力で補う。水を感じさせるため庭園から敢えて水を抜く。

・・・

今回は、あまり多くをメモしません。
しようとすれば、ほとんど全ページをメモする事になりそうなくらい、内容が充実しています。手元において何度も読むのが正解です。万葉仮名から徳川社会、日米同盟と憲法九条まで縦横無尽に論じます。読んでもらったほうがよい。価値がある。「編集工学」というものを提唱してきた著者ならではの「情報編集国家ニッポン」論。痛快です。

読むべし読むべし読むべし!






posted by 武道JAPAN at 15:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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