2011年07月07日

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 水村 美苗

読了してからブログに書くまで時間が掛かってしまった。
あまりに重要な問題が提示されており、その危険性をどう表現したものか今もわからない。

とにかく「本気」の本である。ぜひ読んでもらいたい。読む価値が極めて・・きわめて、高い。そして、この危機感を共有してほしいと、切に願う。

・・・
世界には元来、「普遍語」と「現地語」のふたつしかなかった。

「普遍語」とは学問の言葉(主として書き言葉)であり、国や地域を越えて、科学や芸術などの「叡智」が蓄えられるデータベース。代表的な「普遍語」は、西洋であればラテン語、イスラム世界ではアラビア語、アジアでは漢語。対する「現地語」は、生活のための言語(主に話し言葉)。

「学問をする」「叡智を求める」とは、二重言語者として「普遍語」の知識にアクセスすることだった。かつて日本の知識人は、漢語で書かれた書物を読み、漢文を記した。

近代になって、そのハザマに「国語」が生まれた。
国民国家の成立とともに、国語の整備は盛んになり、本来「現地語」に過ぎなかった言葉で学問をし、科学を学び、文学を顕すことが可能になった。
日本は、いち早く対応した。大学は巨大な翻訳機関となって西洋からの新知識をせっせと日本語の中に取り込み、日本近代文学は世界で「主要な文学のひとつ」と見なされるほどに興隆した。

「国語の祝祭」とも言うべき時代が訪れ、そして終焉した。いまや世界は単一の普遍語である英語と、その他の現地語に収斂しようとしている。「国語」として栄えた言葉たちは、徐々に「現地語」へと押し戻されつつある。

グローバル化とインターネットの普及により、英語=世界普遍語の不動の地位は、ますます加速する。米国が衰退し中国が大国化したとて、世界中の科学・文学が中国語に置き換わる事態は起きない。
今後、主要な科学や文学は英語で表現され、「叡智を求めるものたち」は英語世界に吸収されてゆく。日本においても、減少する人口がこの傾向に拍車をかける。日本語では1億人にしか通じないものを、もし英語で発表できれば数倍〜数十倍のユーザーに届けられる。世界に通じる有為な人材ほどこの傾向に惹き付けられる。
結果、日本語で発表される「書き物」は、相対的にレベルの低いものに落ちぶれてゆく。漢語にアクセスする者が減り、やがて専門家のみが出入りするクモの巣が張った図書館に成り果てたのと同じ。

これまで日本語は、庇護を必要としなかった。日本の国力と人口が、日本語の「国語」としての地位を支えた。しかし、これからは意図的に、(しかも相当な覚悟を持って)日本語を護る、という決意が要る。さもなくば日本語は衰退し、我々の子孫は、近い未来に漱石や鴎外を読めなくなっているだろう。

国益の点からも英語普遍語化への対策は急務。
現下の世界においては英語での情報発信が死活的に重要。日本人の下手糞な英語が、外交・貿易その他の場面でどれほど日本の利益を毀損しているか枚挙に暇がない。

ヨーロッパ語と英語は親戚関係にあるため、西洋諸国人が英語を習得することは我々ほど困難でないが、言語の成り立ちが根本的に違うアジア、特に日本においては戦略が要る。

国民全員バイリンガル戦略は悪しき平等思想であり、幼児からの英語教育には反対。真に必要なのは英語で重要なメッセージを発信できる少数の専門家養成。
むしろ、国語の授業時間を増やし、覚悟を持って日本語を護る気概が必要。

・・・

と、長いスパンで地球に起こっていることを俯瞰させてくれます。

国益とは別に、文化の問題もありそうです。
我々は言語にない概念については思考しにくい。英語に翻訳が困難な、日本語に特有の概念、例えば近年世界的に有名になった「もったいない」などは、日本的な美徳が結集した言葉=概念だと思いますが、日本語が劣化すれば、そういった「日本的なセンス」〜これからの世界に、きっと必要な智慧〜が消えてしまうのではないか?と危惧されます。

生物界では、疫病が流行したときに、多様な種がいれば全滅はしない。どれかが生き伸びてまた繁殖する。多様性がリスクヘッジになっている。
もし世界の言語空間、思考空間が英語という単一種になってしまったとき、地球の文明は弱体化をはじめるのではないでしょうか?そのためにも、我々しか守り手のいない日本語を、なんとしても守らねばなりません。

本書で提起されているのは、経済や戦争、テロや環境汚染といった見えやすい危機ではない。しかし、もしかすると日本と日本人にとって(あるいは世界にとって)遥かに致命的な危機かもしれない

読むべし!







posted by 武道JAPAN at 23:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本語、という「言葉」を守りたいなら、外国人の日本語力を認めていけばいいのではないでしょうか?ほかの国で、日本語をまじめに勉強する学習者がたくさんいます。その中で浅い興味しか持たないで挨拶程度しか習得しない人が大半を占めていますが、真剣に勉強して、漱石や鴎外も読めるようになる方もいます。
日本の言葉と文化の継続性を守るか、日本の「純粋さ」を守るかの選択肢だと思います。本当に日本語を守りたいと思うのなら、それが永久不変な日本語ではなく、これからも徐々に変化していく日本語だという風に考えればいいのではないかと思います。
日本語が「日本人しか運用しない言葉」と考えられ続ける限り、日本語の滅亡は当たり前だと思います。
以上、私の個人的な考えです。私は、日本語が大好きな外国人ですので偏見はもちろんありますが。
Posted by S at 2012年04月20日 07:50
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