本書は、大学で哲学の教鞭をとる著者が、仔オオカミを手に入れ、片時も離れず暮らし、やがて死を看取るまでの、およそ10年間の学びを記したものです。
哲学者の書いた本ではありますが、けして難解ではありません。狼のブレニンと過ごした日々の多彩なエピソードを交え、平易な語り口でつづります。ただし内容は深いです。
著者は、「オオカミ」と兄弟のように暮らすうち、対比によって「ニンゲン」とはどのような存在か?を考察する事になります。そして、人間の持つ、ある傾向のメタファーとして「サル」を見出しますが、この「サル」は、まことにもって不愉快な生き物です。以下メモ。
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サルは世界を自分の役に立つものかどうかで測る。世界を資源、つまり自分の目的の為に使うことのできるものの集合とみなす。モノだけでなく他者も、ついには自分自身の価値さえもその尺度で見る。
サルは他者を観察し、利用する機会を狙い、騙し、欺き、弱みを見つけ出して攻撃する。サルには友達はおらず、共謀者がいる。この謀略性ゆえに、サルは高い知能を発達させた。陰謀と騙しは、類人猿やその他のサルが持つ社会的知能の核をなしている。類人猿の王、ホモ・サピエンスにおいて、このような形の知能は最高点に達した。
何らかの理由で、オオカミはこの道を進まなかった。オオカミの群れには陰謀や騙しはほとんどない。人間が狼(野生)に美しさを見出すのは、サルになる以前に持っていた純粋性を垣間見るからではないか。
全ての動物が弱いものを攻撃するが、人間だけが弱さをつくりだす。オオカミをイヌに、バッファローをウシに変える。私たちは物を弱くして、使えるようにする。
オオカミは瞬間という時間を強く捉えるが、サルは瞬間を透かして前後につづく一本の道として時間を見る。私たちが今と見なすものは、すべて過去からの投影と未来への予測からできている。つまり私たちに今という時間はなく、今という瞬間をそれ自体として楽しむ事はない。
人生に意味はないが価値を持つ事はできる。幸せは感情ではなく存在のあり方だ。
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私たちはおそらく、「今」という時間に100%意識をフォーカスできていない、と思います。
いま目の前に見ているものごとも、過去の記憶からの影響を受けた評価や判断が混じっていて、本当にただただ「あるまま」を見てはいない。いま目の前にいる人と、真に人生を分かち合っているという体験は滅多にない。
合気道の昇段審査に、多人数掛けというものがあります。
数人が一人へ掛かるのを次々に投げてゆくのですが、数分もつづければ息も切れ、手足も重く、それでも休みなく掛かってくるのを投げて投げて投げ続けるうち、なにかを突破する瞬間がきます。けして楽しくもなく、幸せな気分でもないのですが、違う時間の中に生きているような、ただ目の前にあることと一体になって生きているような瞬間です。このような特別な時間にのみ、ニンゲンは「今」を100%生きられるのかもしれません。
「私たちの誰もが、オオカミ的というよりサル的であると思う。
サルの知恵はあなたを裏切り、サルの幸運は尽き果てるはずだ。そうなってやっと、人生にとって一番大切なことをあなたは発見するだろう。そしてこれをもたらしたものは、策略や智恵や幸運ではない。」
まさに、「愛・死・幸福についてのレッスン」という副題の意味を考えさせてくれる一文です。
「人生にとって重要なのは、これらがあなたを見捨ててしまった後に残るものなのだ。一番大切なあなたというのは、策略をめぐらせ、自分の狡猾さに喜ぶあなたではなく、策略がうまくいかず、狡猾さがあなたを見捨てた後に残るあなただ。
最も大切なあなたというのは、自分の好運に乗っているときのあなたではなく、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ。」
私たちは、人生の意義を「幸せになること」と考えますが、「幸せ」とは、あたたかで喜ばしい感情や気分とは限らず、「命をどのように使ったか」「人生という時間と、どれほど本当に一緒にいたか」なのかもしれません。
読むべし!