2010年12月11日

猫を抱いて象と泳ぐ 小川 洋子

「ここ10年で最高の小説でした」とプレゼントされ、なんの予備知識もなく読み始めた本。

読後に奥付を見て「博士の愛した数式」の著者だと知ったが、その本は読んでいないし映画も見ていないから、けっきょく本書についても作者についても何も知らない。そのせいか、この作品は自分の中で他の何とも繋がらず独立して浮かんでおり、その「独立して浮かんでいる」状態が最もふさわしいように思う。日常から離れ、繭のように完成した形で浮かんでいる。

小説や映画の楽しみは、日常を離れて旅する感覚にある。よくできた物語は、造作が見事で破綻なく、入りこんでその中を体験しても嘘っぽさや無理を感じない。
しかし、物語の世界が我々の現実に近すぎると、時に息苦しい。悲劇を描いていたりすれば、物語世界がよくできているぶん、現実世界にまでつらい気分を持ち帰るはめになる。かといって、あまり日常と乖離した突飛な舞台では感情移入も難しい。

本書は、この「日常からの乖離感」が絶妙である。
廃バスを改造した家、かつてホテルの地下プールだった秘密クラブ、ロープウェイでしか行き来できない老人ホームなど、微妙に現実ばなれした舞台の上に、ドアを抜けられないほど太った男や、いつも肩に白い鳩を乗せた少女・・といった役者が登場する。
自分の体が僅かに宙に浮いて足を動かさずとも風景が変わってゆくような、温かい海を漂い旅するような感覚があって、ここが寓話の世界だと意識される。だから、悲しい出来事もささやかな喜びも、読者の心に直接攻め入ることをせず、ガラスに反響したオルゴールの音色を聴くように優しく伝わってくる。
先へ先へと、展開を追うストーリーではなく、物語世界に浸り、しばし特別な時間を過ごすための一冊といえる。

つむぎだされた世界の完成度は芸術的である。
物語中でチェスというゲームを、詩であり、彫刻であり、音楽であると表現しているが、この小説こそが隙なく美であり、旋律であり、調和である。一言一句が宝石であり、考え抜かれてそこに置かれた駒の一手である。一章一章が絵画であり、名勝負を記録した美しい棋譜のようだ。
晴れた冬の明るい日差しの中で小宇宙につつまれた読書体験を、この先長く忘れる事はないと思う。

11歳から大きくなる事をやめて短い生涯の大半を狭い箱の中で過ごしたチェスの天才、リトル・アリョーヒン。世間的な成功や冨や名誉とは縁のなかった彼の人生が、しかし祝福されているように見えるのはなぜだろう。今回は、あらすじや内容の解説は書かない。読んだほうがよい。

幸せな人生にどうしても必要なものは、好きなものや好きな人たちと一緒に居られる時間だけなのかもしれない。

最上級の物語世界を堪能させてくれる一冊。

読むべし!





posted by 武道JAPAN at 16:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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