2010年08月15日

妖星伝 半村良

今日は、昔々に読んだ本をご紹介する。
桁外れに面白いため、入手可能なうちに伝えておいたほうが良いと思うからだ。

小説が好きな方で、まだ本書を読んだことがない方は、今すぐ書店に走って行って全巻購入し、手近な喫茶店に飛び込んで読みましょう。
小説が特に好きではなく、普段は学術書やビジネス書を読んでいる方は、今すぐアマゾンで全巻注文して、届き次第読みましょう。
読書にトンと縁がない・・という方は、これを機会に全巻入手して、読書の楽しみにハマりましょう。

古い本である。

講談社から単行本第一巻「鬼道の巻」が出たのが1975年。順調に巻を重ね、第六巻「人道の巻」が1980年に出たあと、第七巻「魔道の巻」が出るまでなぜか13年もかかって1993年に完結した。実際、自分など第六巻で終わったものと思っていたのである。

この本は、もの凄い。

何が物凄いかというと、ひとつは本の美術的価値である。なんと装丁が横尾忠則だ。物語世界の特殊なオドロオドロしさと、哲学的ともいえる宇宙観を「どんぴしゃああっツ!」と表現している。自分には本をコレクションする趣味はないが、本書は「所有する喜び」を感じる、ほぼ唯一の本である。
(ただし、現在入手可能な祥伝社ノン・ポシェット文庫版は別物である。本書は講談社(単行本)→講談社文庫→祥伝社ノン・ポシェット文庫と変遷しながら出版されており、講談社で文庫化された時点までは、かろうじて横尾忠則のデザインだった。可能であれば古書を求めて揃えられたし。)→横尾忠則装丁「妖星伝」

そして当然のことながら、物語がすごい。物凄い。ものものものすごい。

どれほど物凄いかというと、奇想天外さ、スケールのでかさ、物語の先の読めなさ、全体像が見えてくるにしたがって際限も無く膨らんでゆく面白さと引き返し不可能性(そんな言葉あるか?)、多彩な登場人物たちの個性的な描きわけ、読後感の比類なさ・・まだまだ書けそうだがもうやめておく・・の全てにおいて、驚くべき高みを達成しているのである。時代劇と活劇アクションと稀有壮大なSFと人間ドラマが全部てんこ盛りに入っていて、しかも調和している。文字で著された一大交響曲である。

Amazonで[妖星伝]を検索すると、数多のカスタマーレビューが、ひとつ残らず星5つ「★★★★★」だ。曰く、

・日本で最も面白い小説
・一読して驚愕する内容。日本を代表する名作
・こんな空想力が日本にもあった!
・最高峰 たぶん、映画化なんて無理
・人生観を変えてくれた一冊
・本でしか味わえない楽しみを満喫できる麻薬のような作品

などなど。。すべて「そのとおおぉり!」である。

舞台は江戸時代の日本である。いきなり16歳未満にはお薦めできないようなシーンから始まる。(ちなみに自分はもっと若くして読んでしまったのであるが、まあそれはこの際関係ない。)当面の主人公(達)は、山田風太郎作品に登場する忍者も真っ青の超常能力を持つ特殊な集団「鬼道衆」。血と淫にまみれた邪宗を奉じ、世に悪と惨劇のみをもたらす彼らは、盟主たる「外道皇帝」の復活を待っている。
そんな彼らの前に、追っ手を逃れて地球に墜落した異星人が現れる(異星人は霊的生命体のため、条件の合致した地球人の肉体を借りている)。その異性人たちが、まさに外道皇帝と同じ特徴を備えていた事から、目が眩むほどの長い過去より仕掛けられてきた、この星と宇宙の謎を解き明かす一大スペクタクルが幕を開ける。
江戸時代から始まって、最後はどこまで連れて行かれちゃうのわたし?という物語である。種明かしは控えるが、「とーーーーーんでもないところまで」連れて行かれてしまう。

そして、宇宙の果てまで旅した後に、第六巻「人道の巻」の最後・・このセリフを読んで、人の一生の、はかなさと切なさと愛おしさに号泣するのである。

「好きだ この、星が・・・ ・・・やはり」

読むべし!読むべし!読むべし!読むべし!読むべし!





posted by 武道JAPAN at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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