2010年06月19日

日韓がタブーにする半島の歴史 室谷克実

著者は、時事通信社の政治部・ソウル特派員・「時事評論」編集長などを務めた元記者。

本書では、朝鮮半島に残る最古の史書「三国史記」や、中国の「魏志」など、当時の半島・大陸国が正史として編纂した歴史書を丹念に読むという、もっとも正統的な取組みによって古代の半島と列島の姿を見てゆきます。すると、次々と一般常識がひっくり返ります。

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●多くの日本人は、何となく次のように思っているのではないでしょうか?

・稲作を始めとする大陸の文化は、朝鮮を経由して日本に来た
・古代より日本人(倭人)は列島に・朝鮮人は半島に分かれて住んでいた
・皇室のルーツは朝鮮半島だ

これらは全て間違いです。

・稲作が伝わったのは雲南省あたりから海路で九州。朝鮮半島に存在しないDNAの稲が日本だけにある。

・新羅も百済も倭国のことを文化大国として敬仰していた。半島初の統一国家である新羅の基礎づくりを指導したのは、列島から渡ってきた倭種だった。
→「第四代新羅王の解脱(タレ)は、倭の東北一千里にある多婆那国の生れ」(三国史記 新羅本記)=多婆那(タバナ)国は、丹波、あるいは但馬と考えられている。

・倭国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていた。鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にあり、そこから南が倭国と認識されていた。
→「韓は帯方郡(=魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」)

・倭は半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには大陸と直接交流していた。


●また、次のような事実と異なる流言も、原典をきちんと読むことで否定してゆきます。

・朝鮮に伝わる「檀君神話」は天孫降臨の日本神話と似ている。→ 共通点は無い。似ているとされる点も原典を読むと違っている。
・「日本」の国名は新羅が与えた。→「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」(新羅本紀)→日本が「自ら言う」と書いてあり、それ以外の記述はどこにも無い。


●そして、正史をそのまま読むという当たり前の方法が取られず、事実が捻じ曲げられてきた経緯も明かされます。

・戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が列島の出身者である事など常識であった。
・戦後の左傾化により、少しでも皇国史観に染まっていると看做されたものは激しく排斥された。朝鮮半島研究においても、「半島に倭の拠点があった」などという事は言えない空気に包まれた。
・半島古史研究で基本資料とされる「三国史記4」(東洋文庫 1988年)に全文間違いの訳注がある。新羅16代の王のうち半数が倭種であるところ、倭種は4代目のみとされている。訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗。

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半島と列島は海を挟んでいるものの、意外なほど柔軟に人々が行き来していた事や、半島南端には倭人・朝鮮人・大陸人が入り混じって混乱も争いもなく暮らしていた様子が描き出されています。

自分は「嫌韓流」ではなく、韓国料理の美味しさや李朝家具の美しさに素直に感動し、個人的に知り合った何人かの韓国人に親しみを感じる「好韓」派なので、ネット上に良く見る(感情に傾いた)韓国・朝鮮批判の類は好みません。
かと言って、列島と半島における不幸な過去から妙な贖罪意識を背負い込んだ挙句、事実を捻じ曲げてしまう学者や文化人や某公共放送局の態度は明らかにおかしい。そんな中で、本書の取る「原典を素直に読む」というスタンスには、非常に感心しました。

政治的な策動や民族感情によって正史を捻じ曲げれば、学問としての歴史は成り立たなくなる。そして、2国間の真の理解は永遠に得られない。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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