小説にも、そんな種類の作品がある。
出会ったことを後悔していないし、むしろ感謝しているが、誰にでも気軽に推薦する事はできず語ろうとすると戸惑って口を閉じ、少し俯いてしまうような本だ。最近では、重松清の「疾走」や桜庭一樹「私の男」が挙げられるが、自分の中で筆頭は天童荒太の「永遠の仔」である。
「永遠の仔」は読了後すでに何年も経っている。だが、今でも何か書こうと思えない。自分にとってこの世で最も許せない出来事・・子どもへの虐待・・というテーマを扱っているし、作者が数年越しで命を削るように作り上げた物語の重さがズッシリと心に残っていて、とても自分の文章力で何かを表せるとは思えないからだ。
天童荒太という作家との出会いはそれほど重いものを残したため、その後は、たまたま友人に借りた「包帯クラブ」を読んだ以外は他の著作に手が出ず、昨年「悼む人」が直木賞を取った時も、気にはなっても読むのを先延ばししていた。表紙に「永遠の仔」と同じ、舟越桂さんの彫刻が使われているのも躊躇いを助長したと思う。
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本書は、人が生きる、そのことに対する慈しみを描いた作品だ。
主人公、坂築静人(さかつきしずと)は、日本中の死者を悼む旅を続けている。何か特別な能力を持っているわけではない。宗教的なバックボーンを持って「冥福を祈る」のでもない。あくまで「悼む」のである。それは、死者の人生を可能な限り胸に納め、忘れないでおく行為である。
人が生きている。苦しんだり悲しんだり、憎んだりしながら。それら全てを一言で救済する答えなどない。ただ、その人が生きていた、その人なりの人生を、可能な限り胸にすくい取って「悼む」。そういう旅を続けている。
静人は、死者を悼む時に次の質問をする。
「その人は、誰に愛されていたでしょうか。誰を愛していたでしょう。どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか。」
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旅から戻らぬ主人公を待つ家族・いつしか彼の旅に同行する女性・抵抗しながらも人生の立ち位置を変えてゆく雑誌記者・・3つのストーリーが寄り合わされた先には、人生 〜 生と死 〜 を象徴する完璧なラストシーンが待っている。
何も特別に素晴らしいことがなくても、ただ平和に今日という一日があるなら、我々は既に祝福の中にいるに違いない。
読むべし!(泣)