リーマンショック以降、各国は緊急避難的に大規模な財政政策を打った。
借金をしてバラ撒いたマネーは、いつか返さなくてはならない。その為には緊縮財政か増税(税収増)、あるいはこの両方が必要になる。
増税を可能にするためには経済の成長が必要である。成長なき増税は、国民の生活を押し潰すからだ。成長余力が潤沢にある新興国と違い、日本のような先進国では総力を挙げた知恵と努力が試される。また、緊縮財政という長くつらい道程に耐えるためには、国民の理解と合意が必要である。
一方、口先では「保護主義反対」を唱えながらも、危機水準が臨界に達すれば各国はなりふり構わず国益優先主義に転身するであろう。既にその萌芽はある。
つまり、現下の世界情勢において国家と国民は生き残りを掛けて力を結集しなくてはならない。
ロシアや中国は、自由主義的な経済を内包しつつも実態的には少数の独裁者による専制という政治体制を取っており、国家が生き残りを掛けてぶつかりあう新たな帝国主義の世界においては非常に効率的である。この状況で、米国がバラク・オバマのようなカリスマ性のある指導者を迎えた事にはアメリカの底力を感じるし、日本が社会主義的志向を持つ民主党に政権を移したことにも意味があるかもしれない。しかし日本国民を真に統合できる権威主体は、政治家ではない気がする。
さて、そんな状況で我々は何を求めるべきか?
本書では、同様の危機にあった1938年に文部省から出版され戦後占領軍によって禁書とされた書物「国体の本義」を読み解く事で、日本の指針を示そうとする。
「国体の本義」は、右傾化した国粋主義者のテキストではない。その目的は、1930年代当時・・第一次大戦の後〜第二次大戦を迎える前の不安定化する世界情勢の中・・で、共産主義やファシズムが日本に流入する事を防ぐと共に、日本の国力を強化して生き残りの方策を探る事にあった。(当時の)日本の危機的状況は、明治維新以来急激な西洋文明の流入に伴い、日本本来の文化・文明・国柄を見失って社会の力が弱まったことが原因と考え、「日本とは、そもそもどのような国か」を明らかにしようとした。
それを踏まえ、同様の危機的状況にある21世紀日本において再び本書の意図に注目すべきであるとする。
日本政府が世界で存在感を示せないのも、北方領土・北朝鮮による拉致・尖閣諸島などの諸問題を解決できないのも、それを担うべき政治家や官僚に国体観が欠如していることが原因であり、「国体の本義」で試みられたアプローチ〜我々に共通の神話と国体の再発見〜が急務であると説く。
元外交官・佐藤優氏の著作は、いつも刺激的(「テロリズムの罠 忍び寄るファシズムの魅力」)だが、これまた。。
以下メモ。
・・・
「親米保守」というのはおかしい。正しいあり方は「親日保守」である。
愛国心を法律に書いても愛国心が育まれるものではない。国家と歴史に対する正しい認識が必要である。
正しい国体観を持たずに改憲論議をしても無意味。
・・・
新しい日本の建設のためには「欧米文化の摂取・醇化が必要」。つまり、西欧で発達した新しい科学や技術をわが国の文化に同化して取り込むべし。そのためには、下地となる「わが国の文化」を明確化することが必要。
西洋に発した自由主義・資本主義的世界の行き詰まりの原因は、その文明の根底にある個人主義的世界観にある。
西洋文明では、まず個人があり、社会は個人を原子(アトム)として構成されると考えるが、わが国の国柄は天皇を中心とした一大家族国家であり、「和」と「まこと」を基本とする共同体が中心にあり個人主義とは相容れない。
各民族に固有の神話があり、神話はその民族の世界観を設定している。
日本においては高天原よりの天孫降臨神話と、そこから続く皇統(天皇家)が実在する事により、天と地、神々と人間は連続した関係にある。
日本は君民共治の社会。天皇自らが専制的に政治を執り行った時期は歴史の中で例外。バラバラの原子(アトム)である個人が集まり、何らかの約束事に基づいて国家を形成したという西欧の「社会契約説」神話は日本に馴染まない。高天原よりの天孫降臨以来、天と地・神と人とは不可分に結びついており、神の末裔たる天皇と、その子たる国民とは一体であるとする世界観で日本が成立している。
天皇制は、西欧にみられるような「個人と国家の契約」や「国家元首の専横を抑えるためのシステム」ではない。人間が作った「制度」ではないため、法律によって立てたり廃止したりできるものではない。
・・・
小泉純一郎と竹中平蔵は、新自由主義を日本に導入しようとしたが定着しなかった。土地バブルには踊った国民が、なぜ金融ゲームには乗らなかったのか?これは日本が農本主義であり、生産を基盤に置く国柄である事と関係する。
神話の世界で神々は機を織って労働し、天皇は自ら田植えや稲刈りの儀式を実践する。日本では、労働は尊い行為であり、働いて生産する事を国の基本に据えている。そのため、生産と結びつく土地には明確な価値を見出すが、現実に存在しない金融派生商品等にはのめり込まない。
戦後、日本人は米や野菜を育てるのと同じ意識で「丹精こめて」自動車や冷蔵庫を作った。この日本人の特異なものづくり意識は神話に源を発している。
米国で支配的であった新自由主義の、個々人の自由で平等な競争が社会のダイナミズムを生むとする考えはまやかしである。資本や地位を持つものには圧倒的に優位な情報が集まるため、平等な競争などあり得ない。
「金がすべて」「個人がすべて」の新自由主義に日本の社会が崩されている。そのため社会の力が弱まっている。この場合、個人を強くしても弱肉強食を助長するだけでダメ。個人の力を他人のため社会のためにも使おうと考える人々が必要であり、そのためには我々を結びつける共通の神話を再発見する必要がある。
社会契約説も左翼的理性万能思想も、キリスト教の天地創造も日本神話の天地開闢も、いずれも「神話」である。現実を説明するものではなく、多くの人々が信ずることによって成立する原理のひとつである。そして、どのような神話も実際にそれを信じて行動する一定以上の人々が存在すると社会への影響力を持ち始める。
・・・
・・と、内容が濃いため、メモがランダムになってしまいましたが、本書で書かれた日本の危機的状況の捉え方と、それに対する小手先でない処方箋は、こちらも本気になって受け止める価値があると思いました。
わが国の国体を見直し復古による社会の強化を訴える著者の提案が、一人でも多くの心ある人々に届いて貰いたいと願います。
武道でも「迷ったら古流に学べ」とか「基本の型に奥義がある」といいますぞ。
読むべし!読むべし!!読むべし!!!