明治25年(1892年)に初来日し、その後、昭和初期まで何度も日本を訪れ、日露戦争にも従軍して写真を残している。
本書では、明治から昭和にかけての日本各地の風物が記録されており、被写体は、自然、都会、男衆、おんな、子供、寺社仏閣など、多岐に渡る。鎌倉や横浜、東京近郊にとどまらず出雲や伊香保など遠方地へも足を伸ばしている。
写真には一切キャプションがなく、いつどういう経緯で撮られたものかほとんど判らない。写真講演家として「語り」を主体に表現していたために、出版する事などは考えていなかったのか?
ともあれ、100年前の日本を目で見る事ができるのは貴重な体験である。
一目見て感心するのは、日本の風景が実に整然と美しい事である。
田舎であれ大都会であれ、道には塵ひとつ落ちておらず、雑多な道具や、不要物がそこらへんに放置されている様子が一切無い。まるで撮影のために掃き清めて片付けたかのようであるが、無論そんな事はあるまい。
当時の日本が貧しく質素で、そもそも「余分なもの」がない、という現実もあるのだろうが、それよりも、日本人のケガレを嫌う清潔好きな心がこの風景を現出させているように思う。
【参考】こちらは、古い時代の日本の写真が見られるサイト
http://www.geocities.jp/web_ukiyoe/
http://poirot2.hp.infoseek.co.jp/omokage.html
「自然を愛でる心は日本人の見事な特性で、これが好ましい習慣を作る。・・・名所絶景を見に旅行する余裕が無くても、近在の景色を眺めに行く事は忘れない。・・・明媚な風光を数多く見ないうちは、己の素養が満足なものにならないと日本人は考える。事実、そうした名所が無数にある・・・」(バートン)
楽しいのは子供達の姿である。
大人の顔つきや風体は、現代日本人とは懸け離れ、今の我々からは「外国人」のようにも思えるが、子供達の様子は変わらない。いや、今よりも優れているように見える。
「日本くらい子供の数が多いにも関わらず幸せでいられる国を知らない。・・・日本の赤ん坊は泣かないと言われる。・・・思うに、両親がいつも穏やかで、気ぜわしくする事もないからだろう・・・もうひとつの理由は、赤ん坊がひとりにして置かれない事だろう。母親なり、兄なり姉なり、時には父親までもが子供を背負う。・・・口がきける年齢になると、祖母が御伽噺や昔話を語って聞かせるのだ。」(バートン)
鉢巻をして袴をはいた10歳くらいの子供達が、腰に木刀を差して「気をつけ」をしている写真がある。力んでいないが身体に筋が通っていて重心が程よい位置に来ており見事である。
小学校の掲示板に「克己忍耐」「義勇奉公」などの習字が貼ってある。見事な筆跡である。
当時の初等教育は、身体・教養両面で現代よりも遥かに高い水準だったように見受けられるのである。
1974年出版の為、現在では古書のみで入手可。横尾忠則の独特なデザインが美しい。