2011年09月04日

最終講義−生き延びるための六講 内田樹

本を開いた瞬間に、あ、ちょっと失敗したかな、と思った。
著者は今春、20年勤めた神戸女学院大学を退任されたばかりなので、「最終講義」というタイトルにもっとこう「20年の集大成」的な重厚な内容を期待して買ってきたのだけれど、実は講義・講演録でした。まあ中身をよく検めなかった自分の責任ですね。

したがって、話し言葉で書かれているため読みやすい、という良い点と、その分、じっくりと煮詰めた濃密な文章になっておらず薄味・・という残念な点があります。まあ、そう理解して読むならそれはそれでよいです。

学びの本質について語る「ミッションスクールのミッション」では「下流志向」で展開された「市場の論理が教育現場に持ち込まれている弊害」など、内田氏の著作やブログの読者にとっては既知の内容も多いです。それでもやはり新しい視点がどんと降ってきて開眼の瞬間が多々あります。
以下メモ。

・・・
●北方領土問題が解決しないのは、現状維持を命じる勢力があるから
北方領土の不法占拠を問題にすれば、南方領土も問題になる。つまり沖縄に基地がある米国の立場が難しくなる。よって、北方領土については米国と米国に追従する政治家・官僚が強硬に4島一括返還にこだわり、事態を膠着させて現状維持が図られている。EUは2005年にロシアの北方領土占拠を不法とし、日本へと返還を求める決議をしたが日本のマスコミはどこも報道しなかった。

●日本が変わらない事から受益するのは誰かを考えよ
アメリカ・霞ヶ関・マスメディアである

●自民党vs民主党は(まだ)真の2大政党ではない
自民党内の福田派・田中派の2大派閥が2政党に変わっただけ。
福田派 都市層中心 アメリカ寄り 自由競争 ケ小平的
田中派 農村重視 冨を分配 対米従属脱却 毛沢東的

●ヴォーリズ建築の妙
明治38年に来日したウィリアム・ヴォーリズは、全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼる建物を設計した。神戸女学院の学舎もヴォーリズによるが、この建物は各階が同じデザインではなく、隠し部屋や廊下、思いがけない場所に明媚な風光を楽しめる窓などがある。これは、「好奇心をもって自ら多くの扉を開けた者だけに見える風景がある」という「学び」の本質を具現化している。

●教育の基本「六芸」−礼楽射御書数
礼(礼儀、祭礼、儀式、死者や人を超えたものとの対話)
楽(音楽、今ここに無い時間との対話)
射(武芸とくに弓、己の肉体〜強ばりや無理、力み、と精神との対話)
御(騎馬、人間以外とのコミュニケーション)
書(よみかき)
数(そろばん)
「礼」が最初にきて読み書きそろばんが後。なのに現代の学校では最後のふたつしか教えない。

●自身の利益を超えたもののために自己を投じるような人でないと突出した業績は見込めない
明治期の学者たちは「日本の知力を底上げする」という使命を負って勉強した。最近の(人文系の)学者は自分の能力をアピールして良いポジションを得るような事しか考えていない人が多くつまらない。

●日ユ同祖論の正体
日本人はユダヤの失われた士族・・というまことしやかな嘘が度々現れる背景には、欧米文明に圧倒された劣等感の補償を、宗教的・霊的に欧米文明を睥睨できるポジションにあるユダヤに自分を重ねたいという欲望ではないだろうか。

●社会が豊かになると競争が起こる
社会全体が底上げされ、敗者でも死ぬことは無い、生きてゆけるようになると、より良い条件を求めて競争が起こる。社会が貧しくなり、本気で戦ったら敗者は生きのびられない・・となってくると、競争をやめ共生的になる。
日本は右肩下がりに貧しくなりつつあり、若い女性がもっとも鋭敏にこの傾向を察知し変わりつつある。20年前はキャリアウーマンを目指し、10年前には結婚志向となり、現在は「農業をやりたい」と普通に言う。

・・・

この国には資本も、技術も、インフラも、優秀な国民も、何もかも揃っているのに希望だけがない、と言われます。なぜかといえば、耐用年数の過ぎた古いやり方、古いシステムを、変えたくない、温存したい・・という勢力が居て、若い世代の希望を摘むからです。

いま日本に必要なのは21世紀に向けたビジョンだ、とも言われます。でも「今のままが良い」「変えたくない」「俺の人生が終わるまでは、このままで逃げ切りたい」とひそかに思っている人がたくさん居る。原発の問題にも、官僚機構にも、大企業にも、至る所に事例があります。社会が高齢化してくればこの傾向は強まる一方でしょう。

しかし、変革すべき潮目で守旧派が勝つと、その国家は衰退します。企業でも同じです。
失われた20年を過ぎて、なおデフレに苦しむニッポン。いまが変革の必要な時期だ・・というのは誰しも判っているでしょう。だからこそ、先の衆議院選では民主党に「変化」を期待した。(見事に裏切られましたが)

それでも、日本人が、あるとき極端にドラスティックな変化を引き起こすことは歴史が証明しています。いまはまだ爆発的な変化の過程だと思われます。

本書に「自民党vs民主党は、自民党内の福田派・田中派の2大派閥が2政党に変わっただけ」という指摘があります。おそらく日本は、真の民主主義国への過程にあるのでしょう。真の民主主義国とは、2つ以上の政党が互いに政策(マニフェスト)を提示して選挙で国民の信を問い、国民の負託を受けて選ばれた方が政治を行う・・という仕組みです。官僚組織はその手足となって働く。

自民党時代には、そうではありませんでした。対立する政党がなく、政策も総理大臣も自民党内部の勢力争いによって決定されましたから、国民には国家のリーダーを自分達が選挙で選んでいる意識がなかったはずです。その間に、肥大した官僚機構が内閣に代わって政策を立案するようになりました。国の方針や仕組みを、国民が選んだ政治家ではなく、公務員試験に合格した役人が動かすようになったのです。政治家も怠慢で、法案や政策の組み立てを官僚任せにし、大臣の椅子に座って「センセイ」と呼ばれておれば事足れりとしたわけです。まあ右肩上がりで順調な時代はそれでも良かった。
しかし、旧来のやり方が通用しなくなったら、官僚ではどうにもなりません。ヤクショというところは縦割り組織ですから、自分の管轄する役所の外に出て国家全体の趨勢をカジ取りする・・などという視点はありませんし、そんな権限もありません。

いまほど、国家の大計を持って横断的なリーダーシップが政治家に求められている時はないのですが、新しい野田内閣は、総理自らが官僚組織の操り人形にしか見えません。
2大政党制から真の国民主権による民主主義国へ・・という道筋は、真の国民主権を望まない守旧派によって阻まれつつあります。(※日本が変わらない事から受益するのは誰かを考えよ。アメリカ・霞ヶ関・マスメディアである)

しかし、年寄りにも、原子力ムラにも、官僚機構にも、大企業にも、「このままではダメだ!変えよう」という志のある人は居るはずです。改革派官僚として知られる、古賀茂明さんの「日本中枢の崩壊」がベストセラーになるくらいですから間違いない。
そういう人たちがいる限りチャンスはあります。明治維新だって、ごく少数の志士達が立ち上がって引き起こしたのですから。

しかもインターネットを中心に、マスメディアに流れない正しい情報が流通し始めています。我々が置かれた状況を正しく認識し正しく行動できる人が増えれば、さらにチャンスは増大します(微力ながら、本ブログもそのために書かれています)。

示唆に富む一冊。

読むべし!





posted by 武道JAPAN at 13:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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