2011年08月23日

人質の朗読会 小川 洋子

最近はあまり小説を読まないのだけれど、「猫を抱いて象と泳ぐ」が、あまりにも良かったため、本作を書店で見かけたとき速攻で購入してしまった。そしてまた、期待を裏切らないクオリティをしみじみと堪能したのでありました。
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地球の裏側で反政府ゲリラの人質になった8人の日本人旅行客。100日を超える拘束期間の果てに、救出作戦は失敗し全員が爆死する。
それから2年後、遺族に録音テープが届けられた。記録されていたのは、8人の人質による朗読会。ゲリラの基地を盗聴していた特殊部隊によって録音されたものだった。

という舞台設定の上で、9つの物語が展開される。朗読されるのは、人質一人一人が書きしるした、それぞれの人生の「断片」とでもいうべきストーリー。それは囚われの日々の退屈と不安をまぎらわせるためのちょっとした遊びで、けして遺言のような悲愴なメッセージではない。各々の物語は、華やかでもスペクタクルでもなく、むしろささやかな、あるいは淡々とした、ほんのちょっとした日常を描き出してゆく。

異国でゲリラに拉致される、という極端に非日常的な設定と、その中で紡ぎだされた、ささやかで日常的な物語・・しかも読者は、その語り手たちがすでに死んだことを知っている。だから一遍一遍の物語が、黒い背景に置かれた真珠のように静かに輝きます。

端的に言えば9編からなる短編集なわけですが、「死んだ人質たちの、誰に届けられる予定もなかった物語」という糸で”ひとつらなり”にされ、一粒一粒の真珠が首飾りに完成するような、見事な全体像を創り出します。

素晴らしいのは、それだけではありません。人質は8人なのに、物語は9つあり、最後の物語が、それまでの8編を上手にひきとっています。
9編目の物語には、葉っぱを運ぶ昆虫の話が出てきます。自分の体より大きな緑の葉っぱを抱え、列をなしてせっせと運ぶ様子は、森を流れる小さな川のようです。その姿が、8編のストーリーを語る8人に重なってきます。

特別な栄誉も名声もないけれど、ひとりひとり、ひとりぶんの人生を、せいいっぱいに抱えて黙々と歩いていた人たち。そして、思いもかけぬ展開で突然この世からいなくなってしまった人たち。それは、この8人に限らず、我々を含めたすべての人間たちが「生きる」ということ、そのもののように見えます。

一日一日を生きてゆく、祈りにも似たその営みを神の目から優しく見下ろしたら、こんな物語が書けるのでしょうか。

特別な時間を過ごせる、と保証します。

読んでください。





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2011年08月20日

われ日本海の橋とならん 加藤 嘉一

著者は、英フィナンシャルタイムズ中国版コラムニスト、北京大学研究員、慶応義塾大学SFC研究所上席所員、香港フェニックステレビコメンテーター。

少年の頃から「日本を飛び出したい」と英語を猛勉強していた彼だったが、とある縁で北京大学に招かれる。19歳で単身中国に渡った彼は、大学在学中に反日暴動を目撃。それがきっかけでTV番組に出演しインタビューを受けたことから取材が殺到し、中国に「加藤現象」を巻き起こした。いまや年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書き、ブログやツイッターで多くの読者を持つ「中国でもっとも有名な日本人」。

「内から見た中国、外から見た日本」という副題がついていますが、現地に入り込んで現地の言葉で実際に生活してみないと分からない中国の姿を紹介。「中国に自由はあるのか?」「人々は民主化を求めているのか?」など、日本人が持つ数多くの疑問に答えます。また180度視点を変え、外に出てみて初めて明確になる日本の姿も描きます。以下面白かった点をメモ。

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・中国人は民主化を求めているか?
今のままで続けられるとは、上も下も思っていない。ただ、自分や自分の家族が豊かで幸せでありさえすれば他のことはどうでも良い、という実利的な傾向が強く、それを邪魔されない(サポートしてくれる)なら、政治体制がどうでもこだわらない。

・意外に言論の自由はある
「天安門」などのタブーワードに触れない限り、言論は自由。人々の政治意識は高く、学生でもタクシー運転手でも、驚くほどさかんに政治や外交について議論する。
むしろ日本のほうが「空気」としてのタブーが多く、言論空間が狭いのではないか?日本では政治を熱く語る学生などは「ウザい」と敬遠される。
インターネットは普及しており、カフェで無料のネット接続は当たり前。日本より便利。学生や農民工も、TVは持たずともPCは保有し、食いつくように最新情報を集めるのに必死。

・中国政府の最重要懸案事項は、「統一の維持・分裂の回避」
尖閣諸島などで対外的に強硬に出る動機も、多くはこれ。13億人の巨大国家を統治するのは至難の業。歴史的にも「分裂・戦乱」と「皇帝による一極統治」の繰り返し。今は皇帝ではなく共産党が何とか統治しているが、常に分裂の危険と隣り合わせ。

・日本だけがもつチャイナリスク「反日感情」
中国共産党の建国神話として、軍国日本と戦い人民を解放した・・というストーリーがあるため、ことさら「反日」を強調せず愛国教育を志向しても、容易に反日と結びついてしまう。日本だけが抱えるチャイナリスク。

・反日はじつは「反・自分」
うまくいかない事が多いと、反日デモに名を借りた「反・自分」行動が出る。これはすぐ反体制、反政府に転化するため、中国政府が最も警戒する。日本にとってのチャイナリスクは、中国政府にとってのジャパンリスクで、これは表裏一体。
日本が中国に対して強硬に出ると、中国国内の不安定化を促すことになる。ここの理解は重要。時には外交カードに切ってもよい。

・日中の利害は一致する
今後のアジアにおいて、中国とは付き合わないでおこう・・という選択肢はあり得ない。中国から見ても、日本と敵対して良いことなど一つもない。実は両国の利害は一致している。

「東アジアの将来の平和と幸福は、日中両国が共に生き、共に進む道を見つける事に掛かっている。」(→文明の衝突と21世紀の日本/サミュエル・ハンチントン

「日本と中国は、しばしば永遠の敵対関係と見られがちだが実際にはアジアの政治経済にとって車の両輪である。」
(→「三つの帝国」の時代―アメリカ・EU・中国のどこが世界を制覇するか/パラグ・カンナ

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その他、著者独自の視点として、ほとんど仕事をしないで昼間から公園で将棋などをしている「暇人」に注目しています。これはよく取り上げられる「農民工」とは違い、出稼ぎでない労働者(半失業者?)ですが、筆者の推計ではおよそ3億人。中国世論を動かす陰の存在と見ています。
また、貨幣のように流通する「面子」の話など、中国人理解に参考になる情報が詰まっています。

「中国でもっとも有名な日本人」を目指したわけではないはずの彼が、時代に選ばれて時代を駆け抜けている疾走感が伝わってきて心地よいです。1984年生まれというから、まだ27歳だ。素晴らしい!龍馬が脱藩したのも27歳だった。関係ないけど。

最終章では、同年代の日本の若者に、日本を飛び出し世界を見よ!と熱いエールを投げています。いま日本は大胆に変化すべき時。日本は震災で時計の針が10年進んだ。猶予はない、と。

読むべし!読むべし!




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2011年08月17日

武道的思考 内田 樹

信用できる友人に勧められた本。

内田氏の本は、すでに「日本辺境論」「下流志向」などを面白く読ませていただいていたので、今回も期待して購入。書店で発見したとき、や、なかなか分厚い本だなと一瞬ひるんだものの、どうやらブログなどを再編集したものらしく、一文一文は短いため楽に読めました。・・楽に読めた、といっても内容の充実ぶりは素晴らしく、ページを繰る手が止まらぬ面白さです。

著者は神戸女学院大学名誉教授。今年大学を定年退職し、まもなくご自分の道場を開かれるとのこと。「武道家」というイカツイイメージをさらっと裏切る独特な文体の軽さが小気味良いです。深刻になりがちなテーマを語っているときでも、ふっとリキミを抜く。
批判や批評を加えるときに、この「緊張感を高めきらずにかわす、そこはかとない軽み」はとても有効だなと感じます。反対意見も衝突を感じずに受けとめやすくなりますね。さすが合気道六段。以下ランダムにメモ。

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・身体能力にリミットをかけているのは大半が脳内ファクター。道場に出ないときにも武道の身体運用について考え続けていると技術は向上する。

・自己利益の追求と同じくらい熱心に公共の福利を考えることのできる「公民」を育成することは共同体にとって死活的に重要で、それこそが教育の意味。

・武術修行を通して開発されるべきは「生きる力」。わずかな予兆から危険を察知して避けることや、他者と共生し同化する・・ひいては集団をまとめる能力。

・ほんとうの身体能力は、ある時間上の点から次の点まで移動するときに、どれだけ細かくその時間を割れるかという事。(管理人:こんなこと武道をやっている人以外に通じるかしら)

・身体で考えることの重要性
近代は自然を都市の外へと排除した。人間に残った自然=身体も排除され、心が主体で肉体は従とされた。近代文学では心の動きや心理の葛藤、愛憎などばかりがクローズアップされた。軍事までもが兵站というリアルを無視して「大和魂」などという精神論に走った。

・葬式の儀礼をなくしたら人間社会ではない
葬儀のような「存在しないものとの対話」を行うのは人間だけ。葬儀だけでなく、例えば音楽も「今、ここ」に存在しないものとの対話。音楽は前の音と今の音と次に来る音が連なっているから音楽になる。つまり、すでにもう今ここにはない音と、今聞こえている音を同時に感じ取れなくては音楽は成立しない。今ではない時間や、ここではない場所をリアルに想像できる能力が大事。

・身体の中でリラックスできている部分が多いほど自由度は高まり、武術における殺傷力も高まる。100%リラックスしている状態が一番強い。相手を不自由な緊張状態に置き、こちらが自由にふるまうのは単なる虐殺。相手の質量も取り込んで相手もリラックスさせたまま一緒に扱えば、さらに大きな運動ができる。(管理人:これ合気道ですね)

・子供を「型」に嵌めることの効用
お遊戯や起立、礼など、定型的な身体運用は必要。他者と同一の動きをまねることにより脳内の「ミラー・ニューロン」が養われる。これを通じて、他者との共鳴や共感が得られるようになり、そのあとで、やっと「他者とは違う自分」という主体がつかめる。
個性尊重とかいって各人勝手なことをさせ、他者との回路を育てないと、「自分」も確立できない。

・近代国民国家というものは人間が勝手につくりあげた想像の共同体であるが、しかしこれを公道とみたててやせ我慢してでも維持する以外に我々の生きる道はない。

・日本人はパイが拡大しているときはナショナリズムを忘れる。パイが縮みはじめると尊王攘夷が出てくる。

・帰属する集団がないものはナショナリストになりやすい。何らかの集団に帰属し、人々と共働し、役に立って必要とされ、敬意と愛情を得ていればパトリオットになる。

・日本にテロを仕掛けることは容易。しかし、もし日本に攻撃を仕掛けた場合、かつての戦争における自暴自棄な戦いぶりからすれば、この国民は一丸となって「復讐国家」となり、憲法を改定し、増税を受け入れ、軍備を増強し、米国でさえ躊躇するような冒険的な行動に出る可能性が高い。そんなことをしても誰も利益を得ない。

・豊臣秀吉の朝鮮侵略は「華夷秩序」コスモロジーで見ないとダメ。当時のアジア世界の常識では、周辺蛮族は地域を平定したら、中央に討って出るのが筋だった。匈奴もモンゴルも満州族もそうした。秀吉も朝鮮を斬り従えて中原に攻めのぼり王朝を立てるつもりだった(が、失敗した)。
日本と朝鮮という関係だけでとらえても判らない。

・安保闘争の時に国民が苛立ったのは、私たちは戦争に負けたのだからアメリカの軍事的属国になる以外の選択肢がないという悲しい現実と恥を受け入れよう、という本当のことを右翼も左翼も言わなかったから。その弱さを認められないほど当時の日本は弱っていた。

・利害対立したときは、実力者が一歩引いて「三方一両損」が最上策。しかし世界一の実力者であるアメリカはこれができない。調停能力に関しては最低で、アメリカが絡んで上手くいった調停はない。

・日本が本当に親米的な国なら、アメリカが世界中で尊敬され敬愛され末永く安泰であり続けるように協力するはず。ところが、そんなことにはこれまで指一本動かさなかった。戦争の後押しをし、「それをするとアメリカの敵が増える」ことは熱心に支持した。特に小泉元首相は積極的にやった。
これは征服された元王家が、仕えた新しい王の没落を願う「従者の復讐」ではないのか?

・・・

話題は武道論にとどまらず、日米安保や核武装にまで及びます。

思いがけない視点や言語化できていなかった実感などが「なるほど」とやってきて実に刺激的です。武道に親しんでいない人にも得るところ多いと思われます。

読むべし!

●ブログ 内田樹の研究室


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2011年08月14日

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 松岡 正剛

日本には日本を論じる書が多い・・と言われますが、一番力が抜けてて包括的に本質を言い当てている一冊ではないかと思います。(良い意味で)脱力系日本論。

著者は、稀代の本読み、あの「千夜千冊」の松岡正剛氏。
さすがに幅広い見識から導き出された論は、武士道とか、禅とか、明治維新とか、日本の歴史文化の特定一部をクローズアップして勇ましくNIPPONを称揚する、よく見かける言説とはレベル違いの豊かさです。

のっけから「最近、日本は自信を失っている。もっと自信を取り戻そう」との言説に対し、「そもそも日本の自信って何?明治維新で得たもの?芭蕉のサビや近松の浄瑠璃?NYにビルを買ったこと?」と問い直し、「日本は、自信や強さにつながるナショナル・アイデンティティなんて確立したことはない」と説きます。

タイトルが本書の主張をすんなりと表しています。日本には「これが日本だ」という主題はなく、多様性を包含する「日本という方法」〜様々な情報を「編集する」手法〜だけがあるのだと。「『無常』や『バサラ』や『侘び』や『伊達』を、また、人麻呂や一休や・・・夢野久作や三島由紀夫やサザン・オールスターズや椎名林檎を、一様なアイデンティカルな文化や様式で説明することは無理ですし、したくもありません」と。

以下メモ。

・・・

●「一途で多様な国」
日本は一途なところがあるが、多重的で多層的。多神多仏。実際は単一民族ではない。違うものが共存する。対比や対立があっても、その一軸だけを選択せず、両方あるいはいくつかの特色を残す。中心がひとつではない。天皇と将軍がいる。関東と関西では文化が違う。和漢が並ぶ。静と動、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)、アマテラスとスサノオ。
普通なら分裂し、弱体化する。なのに統一を保っている。日本を日本ならしめている「方法」がある。

○風土と宗教
砂漠では判断を間違えると全員死ぬため、そこで生まれた一神教では唯一絶対の存在を置き対立意見を認めない。温暖で多様な森林では様々な選択肢があり拙速や浅慮はタブーで意見調整が必要。

●「おもかげ」と「うつろい」
受け入れる、取り込む、換骨奪胎する、オイシイところを抜き取る。「おもかげ」を写し取りながら「うつろい」変化させてゆく。

30年前にはスパゲティといえば真っ赤な「ナポリタン」だったのに、いつの間にか本格的なパスタを食べ、タラコスバゲティまで創作している。その割りに、いくら生活が洋風化しても家に上がるときに靴を脱ぐ習慣は変わらない。

外部から来たものをどんどん取り込み、やがて自分たちに都合のよいように変える。しかし変わらないものは全く変わらない。

●「ウツとウツツ」
中に空洞があるものが「ウツ(虚、空)」そこに何かが宿り、次第に姿を現して「ウツツ(現実)」へと「ウツロイ」ゆく・・・無常観。

●「絶対矛盾的自己同一」
論理で世界を分別しない。一は即ち多であり、逆もまた然り。Aと非Aというように区別しない。二項(多項)は同時に存在する。

●「アワセ、カサネ、キソイ」・・様々な日本的情報編集手法

●すべてを完成させないで想像力で補う。水を感じさせるため庭園から敢えて水を抜く。

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今回は、あまり多くをメモしません。
しようとすれば、ほとんど全ページをメモする事になりそうなくらい、内容が充実しています。手元において何度も読むのが正解です。万葉仮名から徳川社会、日米同盟と憲法九条まで縦横無尽に論じます。読んでもらったほうがよい。価値がある。「編集工学」というものを提唱してきた著者ならではの「情報編集国家ニッポン」論。痛快です。

読むべし読むべし読むべし!




posted by 武道JAPAN at 15:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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