2010年12月25日

貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告 阿古智子

前回のエントリーで古きよき上海の百年を見たので、今回は現代中国を。本書の著者は、早稲田大学国際教養学部准教授。現代中国の社会変動が主な研究テーマ。ジャーナリストではなく研究者です。

中国と日本は、歴史上、多大な影響を与え合ってきましたが、日本から見れば中華文明は、西洋文明・イスラム文明などと同じくらい別種の文明です。(→ハンチントン「文明の衝突」
おそらく世界中の多くの国々から見ても中国は理解しにくいでしょうが、我々にとっては文化が似ているという幻想があるため余計に戸惑いが多いようです。

そのためか、巷には漠然とした中国脅威論から(時に嫌中感情を込めた)中国崩壊論まで両極端があって評価が一定しません。しかし、日本にとって中国は、増長しても迷惑だし、崩壊しても困る相手です。実態を冷静に見なくてはなりません。

また、単純に「中国」と、ひとくくりに捉えるのも考えものです。地域によって置かれた状況は多様ですし、共産党政府と中国民衆は分けて考える必要があります。いや、その共産党だって一枚岩ではありません。以下メモ。

●差別的な戸籍制度

中国は建国後、まずソ連式の重工業を発展させる政策をとり、外貨獲得のため農産物の輸出を計った。また、中国には「民以食為天」(為政者は、まず人民を食べさせる事に腐心すべし)という考えがある。世界の穀物の5分の1を消費する中国では、安全保障上からも巨大な人口の食糧確保を優先する必要があった。しかし、中国の農業は大規模化が難しく、効率が悪い。国土は広大でも耕作に適した土地が少なく分散している。

そこで、農民を農業に縛り付けておくため都市戸籍と農村戸籍を分断した。農村出身者は都市への移住ができず、住んでも医療や教育などのサービスは受けられない。やがて沿海都市部の発展を優先するケ小平の「先富論」もあって都市住民は豊かになったが、農村の貧困は改善されないまま残った。

農村の状況を改善するため、灌漑設備の導入や農地の共同購入等の施策を講じようとしても、コミュニティー内部に信頼がなく、誰もが自分の権利に固執するため協力関係が築けず、農民同士の利害調整ができない。

豊かになった都市住民は、自らの既得権益を守ろうと農村からの流入者を差別する。地域間、都市と農村の格差は、修復不能なレベルに達している。

●土地制度の問題

土地の私有は認められていないが、都市部では70年という長期の借地権があり、かなり自由に貸与や売買もできる。農村部では30年が限度であり、農民個人ではなく「集体」と呼ばれる組合や経済団体に貸与される。耕作しても自分のものにはならず、いつ取り上げられるか分らないため農民のモチベーションはあがらない。実際、地方政府が農地を騙し取った例さえある。

土地の私有を認め、農民の権利を守るべきであるが、充分な教育を受けておらず、情報も不足している農民に私有させれば、法の抜け道に長けた者や、強権を振りかざす役人に収奪されるおそれが大きい。土地問題も簡単には解決しない。

●信頼と公平さ〜市場経済が機能する土壌がない

中国には、日本のような献血制度がないため、貧困農民に売血が横行した。政府が主導して血液を買い上げたが、器具を充分に消毒しなかったため、村中にエイズが蔓延してしまった。しかし、政府は何の補償も与えず、被害者は近隣住民から差別を受けている。

また、追加費用を払えば希望の学校に入学できる「択校」という制度があり(政府も公認している!)、親たちは必死に金策する。これを見ている子供たちに掛かるプレッシャーは凄まじく、慢性的な疲労や睡眠不足、自殺が多発している。19〜34歳の青少年における死因の第一位は自殺である。(中国での自殺は年間10万人中23人で日本とほぼ同じ。国際平均の2.3倍。)

上記の例の通り、不公正で不明瞭な法の運用がまかり通っている。市場経済が機能するためには、公平で公正なルールが基盤条件であるのに、政府が自ら不公正をつくりだし、恣意的な運用をするため、社会全体に信頼が存在せず、疑心暗鬼の中で資本主義以上の過酷な競争社会になっている。

・・・

「信頼」も「公平」も存在せず、それを期待する事もできない。誰もが相手を出し抜こうと狙っており、自分が少しでも優位に立つために必死な社会。なんというストレスフルな環境でしょうか。

人間が基本的に正直で騙しあう事がなく、社会全体が概ねバランスよく豊かになった日本と違い、一部のものだけが豊かになり、取り残された膨大な農民達は永遠に農業に縛り付けられる。。これでは、まるで中世ヨーロッパや帝政ロシアの農奴ではないか?
そして、その経済格差は、今や巨大すぎて解消不能・・と、まさに強者が貧者を喰らう構図が見てとれます。

さらに、グローバル資本主義の洗礼を受け、急速に恋愛・結婚観や、家族・地域との関わりが変貌しているようです。詳しくは本書を読んでいただきたいですが、戦後の焼け野原から高度成長期を経てバブル・・と、日本が長い時間を掛けて体験した社会の変化を、2倍速・4倍速で突き進んでいるようです。巨大なものが不安定なまま加速している様には、正直言って不安を感じます。しかし、我々はこの隣人の姿を注視しておかなくてはなりません。

著者自ら、中国の農村部に入り込み、現地の人々と生活を共にし、前ぶれもなく警察に拘束されるなどの経験を経てレポートされた本書は、刺激的なタイトルから想像されるような単なる嫌中本ではありません。現代中国の抱える問題点を把握するために、きわめて信頼度の高い一冊です。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 16:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

上海 - 多国籍都市の百年 榎本泰子

アヘン戦争後、南京条約によって開港した上海は、外国人居留地である「租界」を中心に、世界各国から多様な人々を集めて繁栄した。
イギリス人によって基礎が築かれ、アメリカ人によってジャズやダンスホールが持ち込まれ、ロシアやユダヤの難民を受け入れた国際都市、上海。

本書では、当時の日本で「魔都」と呼ばれ、アジア随一の自由都市として栄えた上海の黄金時代を、1843年の開港から1949年共産党軍による「開放」までの約100年間にわたり活写します。

上海で活躍した人々を、一章ごと国別に描くことで、彼らの意図や情熱、成功と敗退を描き出します。丹念な資料収集から組み立てられたものと思いますが、けして堅苦しい文献ではなく、興味深いストーリーとして読むことができます。
当時の様子を記した何枚もの地図や年表、写真が臨場感を添え、特に、上海のバンド(ウォーターフロント)を、ほぼ同じ確度から違う年代に撮影した4枚の写真などは、発展の段階がリアルに見て取れ、一見の価値ありです。

著者は、東大大学院総合文化研究科博士課程修了(比較文学・比較文化専攻)。中央大学文学部教授。著書「楽人の都・上海―近代中国における西洋音楽の受容」でサントリー学芸賞、日本比較文学会賞を受賞。以下メモ。

・・・

・租界の基礎は、イギリス人が作った。
彼らの主要な興味は貿易にあり、中国固有の文化には関心を持たなかった。イギリスの生活スタイルをそのまま持ち込み、自治行政の基本的な仕組みを立ち上げ、競馬場や社交クラブを設立した。

・やや遅れてやってきたアメリカ人は、ホテルやデパートなど斬新なデザインの摩天楼を建設し、ダンスホール、ジャズ音楽など、自由で快活なアメリカ文化を持ち込んだ。
イギリス人と違い、あからさまな人種差別の姿勢を見せず開放的な態度は中国人にも好かれた。戦争の進行で日本軍が進出してくるに従い、駐屯軍を引き揚げた。

・1917年のロシア革命で、国外へ脱出した白系(帝政派)ロシア人たちが艦隊でやってきた。帰る場所のない彼らは難民として租界に流入し、白人であったが支配階級ではなく、中国人と同じ労働者として上海に定着した。

・ナチスの迫害を逃れ難民として入ってきたユダヤ人のうち、財産を持ち出すことに成功したものは米国などに移っていったが、多くは現地で商売を始め、商才を発揮した。

・こうしたロシア人やユダヤ人の中には、才能ある音楽家が多くいたため、次第にオーケストラやバレエなど、文化的な側面から上海に影響を与えた。

・後発の新興国である日本は、蘇州河の北側、紅口地区に日本人街を作って住み、イギリスやアメリカ、フランスの租界が広がる蘇州河以南を「川向こう」と呼んで滅多に足を踏み入れなかった。
・当時、長崎から上海までは船で25〜27時間。「一旗揚げる」気概の日本人が多く移り住んだ。日中戦争〜第2次大戦の進展と共に軍も移民も増え、最盛期には上海に居住する外国人の中で最大派閥になった。

・上海疎開の歴史
1845 - 1860前半 (太平天国の乱終結まで)草創期
1860後半 - 1890前半 (日清戦争まで)発展期
1890後半 - 1918 (第一次大戦終結まで)変動期
1919 - 1937 (日中戦争開始まで)繁栄期
1937 - 1941 (太平洋戦争開始まで)「孤島」期
1941 - 1945 (終戦まで)日本軍占領期

・・・

2010年現在、万博を終え、名実ともに世界有数の大都市となった上海は発展する中国の象徴のように見えますが、その基礎は租界時代に作られたとも言えます。

ジャック・アタリは、富や資本は、人間よりずっと寿命の長い「都市」に蓄積され、世界の覇権は商人や芸術家(クリエイター階級)を集める「中心都市」を軸に回る、と説きますが(→「21世紀の歴史」)、歴史上にも稀有な成り立ちを見せた当時の上海は、まさにひとつの中心都市だったことでしょう。

中国政府の治政を受けずに各国各民族が入り乱れて暮らした100年前の国際自由都市の魅力を読み物として十分に楽しみながら、同時に近現代の歴史が映し出される良書です。

読むべし!


posted by 武道JAPAN at 19:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

猫を抱いて象と泳ぐ 小川 洋子

「ここ10年で最高の小説でした」とプレゼントされ、なんの予備知識もなく読み始めた本。

読後に奥付を見て「博士の愛した数式」の著者だと知ったが、その本は読んでいないし映画も見ていないから、けっきょく本書についても作者についても何も知らない。そのせいか、この作品は自分の中で他の何とも繋がらず独立して浮かんでおり、その「独立して浮かんでいる」状態が最もふさわしいように思う。日常から離れ、繭のように完成した形で浮かんでいる。

小説や映画の楽しみは、日常を離れて旅する感覚にある。よくできた物語は、造作が見事で破綻なく、入りこんでその中を体験しても嘘っぽさや無理を感じない。
しかし、物語の世界が我々の現実に近すぎると、時に息苦しい。悲劇を描いていたりすれば、物語世界がよくできているぶん、現実世界にまでつらい気分を持ち帰るはめになる。かといって、あまり日常と乖離した突飛な舞台では感情移入も難しい。

本書は、この「日常からの乖離感」が絶妙である。
廃バスを改造した家、かつてホテルの地下プールだった秘密クラブ、ロープウェイでしか行き来できない老人ホームなど、微妙に現実ばなれした舞台の上に、ドアを抜けられないほど太った男や、いつも肩に白い鳩を乗せた少女・・といった役者が登場する。
自分の体が僅かに宙に浮いて足を動かさずとも風景が変わってゆくような、温かい海を漂い旅するような感覚があって、ここが寓話の世界だと意識される。だから、悲しい出来事もささやかな喜びも、読者の心に直接攻め入ることをせず、ガラスに反響したオルゴールの音色を聴くように優しく伝わってくる。
先へ先へと、展開を追うストーリーではなく、物語世界に浸り、しばし特別な時間を過ごすための一冊といえる。

つむぎだされた世界の完成度は芸術的である。
物語中でチェスというゲームを、詩であり、彫刻であり、音楽であると表現しているが、この小説こそが隙なく美であり、旋律であり、調和である。一言一句が宝石であり、考え抜かれてそこに置かれた駒の一手である。一章一章が絵画であり、名勝負を記録した美しい棋譜のようだ。
晴れた冬の明るい日差しの中で小宇宙につつまれた読書体験を、この先長く忘れる事はないと思う。

11歳から大きくなる事をやめて短い生涯の大半を狭い箱の中で過ごしたチェスの天才、リトル・アリョーヒン。世間的な成功や冨や名誉とは縁のなかった彼の人生が、しかし祝福されているように見えるのはなぜだろう。今回は、あらすじや内容の解説は書かない。読んだほうがよい。

幸せな人生にどうしても必要なものは、好きなものや好きな人たちと一緒に居られる時間だけなのかもしれない。

最上級の物語世界を堪能させてくれる一冊。

読むべし!



posted by 武道JAPAN at 16:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月05日

不機嫌の時代 不機嫌からの精神史的考察 山崎正和

本日はNHKで「坂の上の雲」第2部が始まります。

物語はいよいよ日露戦争へと突入して行きますが、本書「不機嫌の時代」は、その日露戦争後の明治に活躍した鴎外、漱石、荷風、直哉といった、時代を代表する作家たちの作品に共通に流れる「ある感情」を抽出してゆくことで、日本の近代化が個人の精神生活に何を引き起こしていたのかを見てゆきます。
いわば、文学作品という地層を発掘することで、当時の社会に起こっていた変化をあぶりだすという快作です。

・・・
ここで取り扱われているものは、鮮明な感情でも確固とした意識でもなく、時代の底を流れている、「気分」〜明確な対象を持たない、ある心の状態、思考や感情が働く基礎になるトーン〜としか言い表せないものであり、それを筆者は「不機嫌」と言い当てた。

この時代における一つの変化は家・家庭にあった。
かつて家庭は、なかば公的なものであった。家庭は「公」の中に存在する「私」であったが、その中に別の「公」を内包していた。
例えば、江戸末期の中産知識階級の家は、多数の食客を抱え、人的ネットワークのハブとして機能していた。家庭の経営は小企業や学校を運営するかのごときであり、そこでは一家の主(あるじ)と共に女房も経営に参加していた。
しかし維新後の近代化によって事業と家庭は分断され、女性の役割は私的な人間関係に限定された。様々な人間感情や事件が、公的な幅広い人間関係の中で起こるのではなく、個人間の確執に矮小化された。

西洋の近代化と個人主義は、古い戒律に縛られた教会の権威を否定し、個人が直接神と対話する運動であり、精神の「開放」であった。個人の中に「神」という究極の「公共」シンボルを引き入れたため、個人の中に「公」が内包されている。
日本の近代化の課程では、ほんらい多元的であった公共を国家だけに限定し、様々な「公」と関わりあいながら生きていた個人を儒教的・封建的な枠組みに押し込んだ。

別の言い方をすれば、江戸時代に自然な風俗や感情の下で多元的な「公共」を内包していた社会は、明治になると人工的な制度と法の下での一元的な公共(国家)に統合された
日露戦争に勝利すると、明治国家が国民を動員する当面の目標を失い、その後に、正体不明の「不機嫌」が時代の気分として蔓延した。

筆者は、この「日露戦争後」という時代の気分〜不機嫌〜を、近代以降の実存の不安であると遠望し、同様の事例を、中世という時代の終わりに登場したシェイクスピア作品の中に発見する。
どちらも、ひとつの確固とした時代が終焉し、人々が根底的な存在の不安を感じていた時代に現れた「気分」であり、その背景は次の仕組みによる。

1)一般に、人が日常的な自己を生きているとき、一連の思考や感情からなる私(内面)と、社会的に認知される一定の役割(外面)、の両方から「私」とは確固たるものだと信じている。これが近代的自我であり、いわば「〜である私」である。この中にいる限り、人は安定している。

2)社会構造が大きく変わったり、自分の社会的ポジションが不安定化して、「〜である私」が確固としたものではなくなる(近代的自我の虚妄に気付く)。

「〜である私」が失われ、「私がある」状態に直面する。その「私」とは何であるかの答えを探さなくてはならなくなる。

3)「私とは何か」は深遠な問いであり、追求してゆくと「無」に至る。
実は、存在には意味はなく、生きてゆくという行為は、刻々なにか(思想や目的や役割)を選び取ってゆく営みである。その選択の最初の一歩(理由なき企て)には、常に根拠のなさ・・不安がつきまとう。これが、正体不明の「不機嫌」となる。
・・・

と、文芸評論を通じて「時代の気分」を探求する試みは、最後に実存哲学へとつながってゆき、誠に知的な快楽を味わう結末となります。

社会が大きく変化すれば人間関係も人間の役割も変わる・・そこから、時代への不適合や自己存在への根本的な問いが出てくる・・しかしその正体を明確に意識も言語化もできぬまま、「不機嫌」という気分の蔓延があらわれる・・

原因から結果を言い当てれば、このようになるのでしょうが、本書はまず、著名作家の作品群に共通して現れる「気分」・・つまり結果のほうにスポットを当て、そこから遡及して、原因である実存の不安に至るという構成になっており、上質なミステリーの謎解きに付き合っているような楽しさがあります。

この時代に、社会と人々がいかに激変の波にもまれたのか、完全には理解できませんが、次のような点にも、その一端が窺えて面白いです。

・・・
明治の青年にとって「愛」とは「権利」「義務」と同様な「新知識」の一種であった。神の愛(アガペー)や肉の愛(エロス)とは別の人間の愛を、感情として感じられるようになるには、社会全体が文化的訓練を経る必要があった。
・・・

私とは何かを探求すれば、実は「なにもない」ことに行き着く。
それは虚しいことでも悲しい事でもなく、そこで、どのように生きるかを自ら選択するところにこそ意味がある。その選択の基準・・個人の「底」・・は、生まれながらに持っているものではなく、積極的努力によって構築するものであり、それがその人の「人格」と呼べるものに育つのでしょう。そして、それらが共有された世界観や倫理観が、社会の「底」であるのかもしれません。日本社会の発展を願うなら、ひとりひとりが人格を磨くべし。

日々修行なり。

読むべし!


posted by 武道JAPAN at 17:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。