2010年11月21日

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ 飯尾 潤

著者は政策研究大学院大学副学長・教授で、専門は現代日本政治論。本書は、2007年にサントリー学芸賞(政治経済部門)を、2008年には読売・吉野作造賞を受賞しました。

前2回のエントリーでは官僚改革に焦点を当てた本が続きましたが、そもそも日本の政治・行政は、実際のところどんな構造をしており、どう運用されてきたのでしょう?
「政治とカネ」の問題や、官僚の天下り批判がニュースを騒がすことは多くても、あらためて政治の実態を問わると、これを整然と答えるのは難しいものです。

本書では、歴史の縦軸・国際比較の横軸を使って日本政治の現実を精緻に解説しており、霧が晴れるような爽快さがあります。民主党政権に終末感が漂ってきた現在、統治システムを基本から見直すのに、大変優れた良書といえます。以下メモ。

・・・

議院内閣制より大統領制の方がリーダーシップを発揮しやすいというのは誤解。
たしかに戦前の衆議院は、枢密院や貴族院・軍部を統帥できず、そのため意思決定が遅れ選択肢を失うなかで戦争に突入した。しかし現日本の議院内閣制は、米国の大統領制よりもトップ(総理大臣)に権限が集中可能なシステムとなっている。(日本人が抱く大統領制のイメージは、アメリカよりむしろ韓国のものがそれに近い)

日本の政治がダイナミックに機能しない原因は、制度の問題ではなく次のような要因による。

●官僚内閣制

立法=政治家/行政=官僚の役割・・と考えるのは三権分立への誤解。正しくは、政治家(特に各省庁の長たる大臣)は、内閣の方針に沿って省庁を指揮監督する立場であり、責任範囲は立法だけでなく行政の上部にも及ぶ。

1.jpg これは間違い

2.jpg 本来はこうであるはず

しかし、派閥の論理が働いた自民党時代には大臣職が1年程度の持ち回りとなった。いかに優秀な人材でも1年で実行出来る政策には限界がある。政策立案は官僚頼みとする傾向が生まれた。

官僚機構は中央の霞が関だけでなく、地方に出先機関を持つ。さらに、省庁ごとに関連する業界や団体と双方向に影響しあう。そのなかで様々な社会集団のニーズを汲み上げ政策を立案してきた。

本来は政治家が担うべき立法作業を官僚が肩代わりし、政治家が関係各所の利害調整をして実行・・という役割の逆転が起きている。(これを著者は「官僚内閣制」と呼ぶ)

●省庁代表制

首相は各大臣を任命・罷免する権利を持つことでリーダーシップの源泉とするが、自民党長期政権期間には各派閥から大臣の推薦を受ける慣習が続き、人事権掌握者として首相の存在感が発揮されにくかった。さらに「官僚内閣制」で、大臣が官僚の言い成りになったり、族議員化して特定業界の代理人になったりした。

すると、本来は首相の指導の下に「内閣の一員」として行動すべき大臣が、省庁(や派閥・業界)の代弁者となってしまう。(著者はこれを「省庁代表制」と呼んでいる)

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「内閣の一員」たるべき大臣が「省庁の代表」となってしまい首相は強いリーダーシップを発揮できず、縦割り組織の限界を超えた横断的な決定ができない

・・・

上記構造は、成長が続く時代には、それなりにうまく機能した。

強力なリーダーシップがなくても、暗黙の共通目的に向かって各省庁が社会ニーズをくみ上げ、政策が練られ調整された。閣議では議論をせず、上がってくるものを儀式的に承認するだけだった。

しかし環境が変わり、大胆な方針転換や痛みを伴う取捨選択が必要になると、トップの強い指導力が必要になる。官僚は、仕組みから言っても権限範囲から見ても、縦割りの枠からは出られない。組織横断的な決断が必要なとき、官僚まかせでは限界がある。

また、本来の議院内閣制では選挙によって支持政党と共に首相をも選択する。政党は、選挙前にマニフェストと首相候補を掲げて有権者の判断を問い、時にはダイナミックな政権交代が起こる。

しかし、自民党の長期政権時代には、選挙結果とは関係なく自民党総裁選によって首相が選ばれ、有権者には自らが首相を選んでいる実感はなかった。政権交代も実現しなかった。

この弊を調整するため、自民党は「政府・与党二元体制」を作り出した。派閥間で抗争し、擬似的な首相選択や政権交代を演出した。また、「官僚内閣制」によって政府が十分に官僚をコントロール出来ない分は与党の力を使って統制した。

官僚も、自らが政策を作る非正当性を補完するため審議会制度を発達させた。各界の権威や専門家を集めて意見を集約するなど運用上の工夫をしてきた。

このように、戦後日本の(擬似)議院内閣制は特異な形態ではあるが全体としてうまく機能してきた。90年ごろ限界に達し転換過程に入った。

●改革の道のり

細川内閣での小選挙区制基調への改革により、派閥政治や族議員などの基盤が弱体化された。また、二大政党制を導きやすい環境の下地ができた。
さらに橋本内閣の行政改革により、首相の権限が強化され内閣から法案を提出できるようになった。内閣府の設立や省庁再編も行われた。スキャンダルが発覚して官僚の威信が低下するなどの動きもあった。

小泉内閣が、それまでの成果を十全に活かし官邸主導で自民党と官僚機構を抑える政治を展開した。

官僚内閣制が本来的な議院内閣制へ移行し、今後さらに首相中心の議院内閣制へと移行してゆくことで、日本の将来に必要な強いリーダーシップを備えた総理大臣が誕生する機構が整う。

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内閣が「政策を議論する場」になり、決定されたものは大臣を通じて各行政機関で実行される

●今後、求められる施策

1)政権交代可能な環境が整うこと

首相の権力は選挙による国民の付託を基にする。選挙では、政党・政策(マニフェスト)・首相候補を明確にし、政権交代が起こる=国民が首相を選ぶ、という環境づくりが必要。(管理人注:2007年6月に出版された本のため、この時点では2009年の政権交代はまだ起こっておりません)

2)縦割りを廃し首相への権限集中を進めること

省庁と族議員による縦割りの意思決定構造では大胆な変革や迅速な意思決定はできない。省庁間調整に時間をかけている間に、重要事案が失速してしまう。
内閣官房など首相を補佐する機能を充実させ、与党ではなく内閣主導で決定を可能にすること。(管理人:やっと、国家戦略室の見直しや日本版NSCの動きも出てきました)

3)参議院の役割を見直すこと

両院が拮抗する権力を持っている現在、多数派が衆参で異なる「ねじれ」が起こると運営が著しく困難となる。一院制への動きもあるが、憲法の縛りが強く現実的には難しい。
参議院は、行政監視や決算機能など特定領域に特化するとか、長い議論が必要とされる政策を論ずるなど、自己抑制を働かせ独自性を出すほうが良い。

その他、地方分権や司法の活性化、グローバリゼーションへの対応など。

・・・

こうして見てくると、遅々としているようではありますが、まさに本書で求められたシナリオ通りに日本の政治状況は改善されているようです。

2009年の歴史的な政権交代への期待は裏切られっぱなしですが、長い時間をかけて政権交代可能なシステムが整備され、現実に交代が起こった事自体は良かったと言えるでしょう。今後は、各政党が実力を競い政策論を戦わせて切磋琢磨するべきですし、国民もそれを厳しく判断する力を養うべきです。

日本は90年以降、長い改革の苦しみの中にいますが、それでも正しい方向に向かおうとしているのだ・・と理解できれば、少し勇気がわいてくるのですね。

さらに本書では、変化の加速する国際情勢に対応するためにも機動力を高める必要性や、対外的に見た日本の意思決定過程を透明化することの重要さにふれています。
また、グローバリゼーションの進展に伴い、国民国家の存立そのものへの疑問があることにもふれ、多様な価値観があふれるなか、意思決定は困難になるがそれゆえ磨かれたシステムが必要、と結んでいます。著者の視界の広さに、こちらまで目を開かれる思いです。

まさに読むべき一冊。

読むべし!
読むべし!
読むべし!





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2010年11月13日

さらば厚労省 それでもあなたは役人に生命を預けますか? 村重直子

前回のエントリーで霞が関改革の舞台裏を読みましたが、本書では厚生労働省の堕落ぶりが告発されています。

著者は、東大医学部を卒業後、横須賀米軍病院に勤務し、NYベス・イスラエル・メディカルセンター〜国立がんセンターで臨床医を務めたのちに厚労省医系技官となりました。

やがて舛添要一大臣(当時)の「大臣政策室」政策官から内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)付・・つまり現場の医師 → 医師を監督する官僚 → 官僚機構を改革する側・・と、わが国の医療を全方位から経験して本書を著しました。

その経歴と経験から発せられる言葉には、「国民のため」という使命を忘れて省益追求に走る官僚への、強い怒りが込められています。以下メモ。

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厚労省には、一般の法令官僚の他に「医系技官」がいる。医師免許を保有するが、現場での臨床経験を持たないペーパードクターである。

医系技官が作成する各種省令は、現場の実状を無視し医療を混乱させている。

例えば、2009年の新型インフルエンザ流行時には、防護服を着た医師が空港を走りまわった。しかし水際で感染防止ができないのは世界的な常識。事実、国内初の発症者は渡航歴のない高校生だった。

この発症者を見つけたのも厚労省の対策ではなく現場の医師の機転。
厚労省通達では、新型インフルエンザの判別は「渡航歴と37度以上の発熱」とされていたが、該当しなかった。しかし診断した医師が怪しんで保健所に再検査を要請した結果、感染が見つかった。保健所は最初「通達に反する」として検査を渋った。

そもそも、インフルエンザの場合できるだけ異動を禁じ、症状が出た場合は自宅で静養すべき。「少しでも疑わしい場合はすぐ医療機関に行け」とした厚労省通達は完全な間違い。他の病気で弱っている入院患者を深刻な危険にさらすし、医療従事者が倒れれば本当に治療が必要な人々に対応できない。

また、海外で実績あるワクチンが認可されず、規定量の1250倍ものワクチンを投与したあげく「モルモットが死亡」と、まるで海外製が危険であるかのようなデータを出して国産ワクチン以外認めようとしない。(管理人:国内メーカーとの癒着があるのか?)

インフルエンザ流行時にはワクチンが不足するため、各国は競争して確保に努める。調達の安全性を考えれば、海外を含めた複数メーカーと契約しておくべきだが、国産メーカーにこだわった挙句、流行のピーク時に人口の5%程度しか保有していなかった。

2009年に日本政府が用意したワクチンの人口比
10月 0.9% 11月 3.9% (計4.8%)
同年、カナダ政府が用意したワクチンの人口比
10月 17% 11月 37% (計54%!)


ワクチンは全ての人に効くわけではない。副作用も完全に排除できない。副作用の起訴リスクをおそれて、厚労省は「法定接種」にしない。「法定接種」にすれば、保健所などの行政機関でも接種できるが、それをしないため医療機関だけに接種希望者が殺到する。
追加の事務処理や起訴リスク、大流行時の戦場のような人手不足など、すべてを医療機関に押しつけ、官僚は責任を逃れている

さらに厚労省は、インフルエンザ対策と称して症例の全数報告義務を課した。これには罰則規定もついており、違反すれば医師免許の剥奪や補助金削減などが行われる。(こういった省令は、国会を通すことなく厚労省が自由に発することができる)
このようにして、役人は医療機関の生殺与奪権を握っている。

・・・

さらに、厚労省は診療報酬制度を通じて「カネ」の流れを押さえている。

病院は、点数に応じて支払われる「ホスピタルフィー」から経営に必要なすべての経費を捻出するが、長年の医療費抑制によって経営環境は厳しくなる一方であり、しわ寄せは現場スタッフの過酷な勤務体系に現れている。

医学部を出ても医者のポストがなく、経験を積むため仕方なくタダ働きしたり、アルバイトをしながら日給で働く貧乏な勤務医が増えている。

コメディカル(看護師や臨床検査技師など)も不足しており、激務のあまり離職するケースも多い。看護師の1年目での離職率は9.3%。100床あたり各国の看護師数は以下の通り。

英国 200 米国 141 イタリア 136 ドイツ 75 日本 33.6

患者数に比較して必要な医師の割合は、米国の17分の1しか居ない。また、事務処理等にあたる周辺スタッフがおらず医師が書類作成まで担っている。

このような医療行政を医師に押しつける医系技官の発言:
どうせあいつら、医者以外の仕事はできないんだから無理難題を押しつけたって辞めやしないよ

・・・

夜勤明けのまま連続36時間勤務が常態化している。そんなコンディションで手術する医師もいる。支えているのは、現場スタッフの責任感と努力だけ。日本の医療は崩壊寸前である。

そのような状況であるため、医師には診療以外の活動(最新情報の入手や論文発表など)の時間がない。また、国内に様々なデータがあるのに厚労省が握ってしまい公開されない。

米国では医師が臨床にあたるのは勤務時間の2割程度で、他を研究にあてる。また、各種データベースが一般公開されており、様々な研究者が考察や研究に役立てる。畢竟、最新の研究成果やレポートは英語で発信される。

これらの論文を理解するには日常会話レベルの英語力ではダメで専門家でも数年の訓練を要するが厚労省の医系技官は読んでいない(読めない)。また、厚労省には2年で部門をローテーションするという奇妙な決まりがあるため海外の研究者とネットワークが築けない。

国際会議に参加すると、他国のメンバーは何年も前からの顔見知り同士でランチの合間などに様々なことを決めてしまう。最新の医学情報を読んでおらず、周囲は初対面の人ばかりの医系技官は、話についていけず日本人だけで固まっている。

・・・

医療事故を告発する「事故調査委員会」構想は厚労省の権益拡大策。
2000人規模のポスト創出が狙い。医療事故に医療知識のない警察捜査を持ち込む「犯人探し」。お産を初めとするリスクの高い医療行為をする医師がいなくなってしまう。

この構想に対してはインターネットメディアが動向を報じ、現場から声が上がって役人の暴走を食いとめた。情報が適切に流通し、国民が考える事が正しい行政の実現に必要。

・・・

しかし、日本の大手マスコミは官僚の発表をそのまま報道するだけで独自の取材能力を発揮しているとは言えない。米国の報道機関は、新型インフル発生時にメキシコに医師やリポーターを常駐させて現地から実態を報道し続けた。

・・・

と、まだまだ書ききれないほどの濃密な情報が詰まっています。

厚労省は「兵站」に注力し、非現実的で実行不能な「大本営発表」をやめよ、という村重さんの主張に頷きつつ、官僚が机上で立てた無謀な作戦で負けた先の戦争と似ている。。と考えてしまいました。

このような政策を続けていれば間違いなく医療は崩壊し国民にそのツケが回る。官僚だって無関係ではいられないだろうに、なぜ方針を改めようとしないのか?国民の健康が守られ皆が幸福になって、何か困ることでもあるのでしょうか?それとも官僚は、何があっても攻撃を受けない安全圏にいるつもりでしょうか?

本書では、批判だけではなく、診療報酬を病院単位で支給する現行の「ホスピタルフィー」に加え、医師個人にも仕向ける「ドクターフィー」制度の導入など、事態を打開する様々なアイデアも提言しています。

また、小児医療の崩壊を危惧したお母さん達が、救急車を呼ぶべきガイドラインを自主的に作成した、兵庫県の「小児科医を守る会」の活動などを紹介し、軽症なのにすぐ救急外来に飛びこむコンビニ診療を控える・普段から病院と診療所を上手く使い分ける・ワクチンを接種するリスクとしないリスクを区別する・・など、国民にも判断力を持って欲しいと訴えます。

そして、医療現場が置かれた危機的状況と厚労省の実態を知って、「お上におまかせ」で本当に良いのかを考えてほしい、と問いかけます。

あなたは役人に生命を預けますか?

読むべし!!!



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2010年11月03日

官僚のレトリック ― 霞が関改革はなぜ迷走するのか 原 英史

うう〜む。これは貴重な記録です。

著者は、東大法学部を出て通産省に入り、2007年から安倍・福田内閣で渡辺行政改革担当大臣の補佐官を務めました。つまり行改のインサイダーとして、霞ヶ関との戦いを内部から見てきた人物。
安倍・福田・麻生内閣を経て民主党に政権が移り鳩山内閣に至るまでの霞が関改革が、どのように推移したかがまとめられています。

結論から言えば、「脱官僚」は、納得できる状態まで進んだとは言えません。むしろ、その後の官内閣でおおいに後退し、巻き返されているのが実情です。

しかし、21世紀に日本が繁栄を失わないために、公務員制度改革はどうしても必要です。
→「日本の問題のひとつは官僚周辺の利益を過剰に保護してきたこと」〜21世紀の歴史 ジャック・アタリ

今後、政治状況がどうなるにせよ、霞ヶ関という強固な要塞を攻略するのに、先人達の歴史が得がたい教訓になるのは間違いない。そういう意味で、たいへん貴重な資料といえるでしょう。本書は、言うなれば「霞ヶ関攻防戦」の戦記であり、霞が関修辞学という官僚の手口をあばく告発の書です。以下メモ。

・・・

●霞が関改革の概観

絶大な人気を誇った小泉総理さえ、郵政や道路公団をいじっただけで、霞ヶ関本丸には手を付けられなかった。
公務員制度改革に本気で着手した安倍政権は、公務員の再就職を一元管理する「官民人材交流センター」の創設などで、天下り規制という急所を攻めた。
安倍政権の掲げる「戦後レジュームからの脱却」は、長く維持された統制経済体制からの変革も目指していた。

この戦略は正しかったが、官僚の抵抗は熾烈となり、ついには社会保険庁の自爆テロともいえる「消えた年金問題」で国民の怒りに火がついた。長期安定を期待された安倍政権は短命に倒れてしまった。

しかし、改革の方向性がセットされたことで、次の福田内閣では思わぬ進展が見られ「国家公務員制度改革基本法」が平成20年に成立した。

だが、続く麻生内閣では、総理自ら改革に逆走するような動きを見せた。
せっかく官僚の人事権をおさえる内閣人事局が新設されたのに、麻生首相の裁断で局長ポストが官僚に奪われてしまった。「官僚は使いこなすもの」と言いながら官僚の手に乗せられていた。

民主党政権になってからは、改革は完全に逆行している。
改革の司令塔になるはずだった国家戦略室はまったく機能せず、元大蔵事務次官の斎藤次郎氏を日本郵政社長に据えるなど、民主党自らが「渡り・天下り」の典型のような人事を発動している。

●官僚のレトリック

大臣の演説や答弁は官僚が作る。その中に罠を仕込む。その後、独特な「霞が関修辞学」によって意味が読みかえられる。

限定:「Aをやります」→「A以外はやらない」
延引:「Aだけでは手落ちだ。まずBを、それからCもしなければ」→結局何もできない

などなど・・

天下りの斡旋禁止に「押しつけ的斡旋の」禁止、と付け加える。すると「押しつけ的な斡旋でなければ良い」「これまで押しつけ的な斡旋はなかった」「斡旋を禁止しなくて良い」となる。

●なぜ「脱官僚」は必要か

本来、政策の立案=政治家/それを手足として実行=官僚 という役割であるはず。
ところが、この役割が逆転している。官僚が政策を作り、政治家が利害調整し実行している。

官僚は、政治家が勝手にクビにできないよう身分保障で守られている。これは政治の独走を抑えるために必要な制度であるが、反対に官僚が暴走した場合に抑止力がない。

政治家は選挙という審判を受ける。政策がまずければ次の選挙で国民に拒否される。しかし官僚には、国民も政治家も審判を下せない。なのに政策を立案し、日本を実質的に動かしている。これは倒錯であり、政策立案を政治の手に戻すか、官僚に責任を取らせるシステムに変えないといけない。

もともと官僚組織には、政治家でなく天皇に仕えるという意識が強い。戦後、天皇が政治から退いたのちの官僚機構は、明確な忠誠の対象を失ったまま存続している。組織が組織として生き延びる事が目的になってはいないか?

●どのように「脱官僚」を成し遂げるか

現行の官僚組織は年功序列で一律に昇進する。しかし最終的にトップ(次官)に登りつめるのは一人だけであるため、他は天下りポストが必要になる。この構造を改める。

例えば、年功一律でなく仕事の成果を見て昇進し、上にいけない場合は民間を含めた他に転出するアップ・オア・アウト方式の導入が望まれる。米国はこの方式が普及しており、転出するといっても左遷ではなく、行った先で専門家として成功している。反対に、民から官へ登用する仕組みも、もっと充実させる。

高度経済成長が終わり、外国のマネや後追いではやっていけない時代が来た。日本を繁栄させ続けるためには、既得権益に固執する集団を排し、優秀な頭脳の官〜民流通を容易にして適所で活躍させなくてはならない。

1)使いこなす前にまず人選
新しく赴任した大臣は、人事を掌握し信頼できるチームを見極め再配置すべし。改革に前向きな官僚もたくさん居る。

2)閣議を討議の場にする
大臣が、いつのまにか担当省庁の利害代弁者になってしまう。「内閣の一員」として国家目標に沿った議論をすべし。

3)人事院と身分保障の廃止
官僚は特別な存在であるという意識を排する事。労働基本権も与え、聖域を設けない公務員制度改革が必要。

4)過去の成功・失敗に学べ
改革の全体像をおおまかに示した上で、急所となるポイントに集中せよ。
インターネットなど活用して政策プロセスを公開せよ。国民の目があるところでは官僚も勝手はできない。

5)脱官僚に足る政治家を
官僚頼みになってしまうのは、政治家の質が悪いから。官民だけでなく、政民も人材の交代がおこる仕組みが必要。

・・・

と、具体的な提言がならびます。

これから改革に取り組む挑戦者にとっては、貴重な資料と言えるでしょう。現在の民主党には、まったく期待が持てない状況ですが・・

著者自信も元官僚であり、「高い志を持ち、努力と研鑽を怠らない優秀な官僚もたくさん居る」と書いていますが、それは本当だろうと思います。

問題は、日本の行方を本気で考えて政策を実行できる政治家を国民が待望する事と、その政治家が誰か、を国民が正しく見定めて応援する事でしょう。

官僚組織は自己保身のためなら自爆テロも辞さない。冷静に考えれば「消えた年金」問題は安倍政権の責任ではないのに、本気で制度改革に取り組んだ政治家が、官僚+官僚と結託したマスコミによって倒されてしまったのではないでしょうか?
→「記者は情報を警察や霞が関から得る・・当然、官庁とは”仲良くやる”事になる」〜官僚とメディア 魚住 昭

その文脈で言えば、今後は「みんなの党」あたりに様々なテロが仕掛けられるかもしれません。我々はマスゴミの流言に惑わされないメディアリテラシーを磨きましょう。

読むべし!



posted by 武道JAPAN at 15:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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