2010年09月24日

コミュニティ 安全と自由の戦場 ジグムント・バウマン

著者はポーランド生まれのユダヤ人。イギリス・リーズ大学およびワルシャワ大学名誉教授。社会学者。

タイトルのとおり「コミュニティ」を軸に、我々の社会はどうなっているのか?を考察した一冊です。
「安全と自由の戦場」というモノモノしい副題が付いていますが、コミュニティは安全を提供してくれると同時に自由を制限するものであるから、安全が欲しいなら自由はガマン、自由でいたいなら安全は諦めよ、というトレードオフの関係・・といった意味です。

著者の癖なのか?とても難解な構文で、現時点の「2010年 読みにくかった本 第一位」です。翻訳者も「バウマンの英文には手を焼いた」と書いています。
そんなこんなで薄い本のわりには読み進むのに難渋しましたが、近現代社会の本質的問題をスッキリ理解できたと思います。以下メモ。

-----
●近代社会は3段階を経て現在に至る

1)国民国家の成立期
人々に安心や安全、困った時の助け合いを与えていたローカルコミュニティが消滅し、実体を実感しにくい「国家」が創造された時期。
日本で言えば、明治維新によって藩や村から「日本国」に変わり、人々が「日本国民」になった頃。伝統的コミュニティからの移行期。

2)固体的(ソリッドな)近代
伝統的コミュニティから人間を「引っこ抜いて、植え替えた」時期。
共同体のなかで、それ自体が名誉や貢献や喜びであった「仕事」が、単純で無味乾燥な「労働」に変わった。この新しい社会環境に人々を順化させるため、社会学は新しい概念を啓蒙し、企業経営者は仕事だけでなく従業員の生活全般の面倒を見た。
例えば、高度成長期に地方から上京し、郷里のコミュニティから離れ、終身雇用の職場に新しいコミュニティを見出した頃。人工的コミュニティが形成された時期ともいえる。学者や経営者などの社会エリートが下々のものに「大いなる関与」を与えた時代。

3)液状的(リキッドな)現代
エリートが「大いなる関与」を放棄し、「撤退」を始めた。「固体的近代」に見られたパノプティコン(刑務所などにある展望監視台)式の管理はなくなり、蜂をコントロールするのに花の植え方を工夫するような遠隔管理に変わった。
自由な競争が奨励され、人々は(クビにならないように常に自分の能力をアピールするような)自発的な動機付けによって自らを拘束する。個人間には競争原理が働き、連帯する風土はなくなり、バラバラで孤立した個人に分解される。
自己責任が問われ、会社や社会をあてにせず自分の能力と根気を頼りにせよ、と突き放される。にも関わらず、安全や安心は常に保証されていない。コミュニティが消滅した時代。

-----
●グローバルズとローカルズ

世界は、グローバルに活動できる一部のエリート(グローバルズ)と、取り残されどこへも行けない人々(ローカルズ)あるいは生きのびるために国境を越える下層市民に分離しつつある。
エリートは、安全と安心を確保するためゲーテッドシティ(警備員に守られ部外者立入り禁止の区域)に住み、最下層市民はゲットー(はきだめ)に追いやられる。どちらにも、安心や安全を保証してくれる「コミュニティ」は存在しない。

※バウマンが念頭に置いているのは、主に欧米の移民がたくさんいる環境だと思います。日本は、まだここまで悲惨な状況に到達していませんが、中国からの3K移民流入を野放しにすると同じ事になるでしょう。

-----
●多文化主義批判

様々なエスニック・マイノリティに、それぞれの文化(差異)があるのを、あるがままに認めましょう・・という、なんとなく耳障りの良い「多文化主義」の本音は、「差異は埋まらないし、特定の人々が貧しい境遇にいるのも仕方ないよね」という、責任放棄と無関心である。

※新自由主義的な「自己責任論」もそうですが、一見もっともらしい言説の背後に、強者に都合の良いロジックが埋め込まれている場合が多いので、注意しなくてはなりません。

-----
●コミュニタリアリズム批判

(自由の極大化を是とするリバタリアニズムは論外として)共同体に特有の価値観を大切にしようとするコミュニタリアリズム=共同体主義(※以前のブログ「これからの正義の話をしよう − いまを生き延びるための哲学」で書いたマイケル・サンデルなどはこの立場)を次の2点で批判する。

1)社会が抱える問題の本質「原子化」から目をそらす
2)コミュニティを取り戻そうとする努力は実らず、より原子化圧力を増す

※なぜ努力は実らないと言い切るのかは、何度読んでも了解できませんでした。コミュニティの境界線に線引きするのを止めて、より進化し統合された世界を目指せという主張のようですが、それでは鳩山元首相の「友愛」みたいな絵空事にしか聞こえませんし、いまのところバウマンにも「策なし」なのかも?
それよりも、ここで重要な概念は「原子化(atomization)」です。

-----

おさらいすると、

・伝統的コミュニティの中では、人は安心や安全、困窮した場合の支援をあてにできた。ただし安全と自由はトレードオフなので、コミュニティ内の人間関係は窮屈でもある。(例:田舎の村コミュニティ)

・近代産業社会は伝統的コミュニティを破壊し、人造コミュニティに作り替えたが、別種の安心や安全、社会保障などが整備され「まだマシ」だった。(例:終身雇用制度)

・グローバリズムの進展で(経済・政治を司る)エリートはコミュニティの維持に関心を無くして「撤退」戦略にむかい、社会にはバラバラに孤立した個人が寄る辺の無い不安な人生の中に残された=これが原子化(atomization)。今はココです。

「テロリズムの罠<左巻>新自由主義社会の行方」で、佐藤優がこのような主張をしています。

「グローバリズムでは、一部の経済エリートと、それに結びついた政治エリートのみが肥え、バラバラな原子(アトム)に分断された一般市民は、冨を搾り出す原材料として使役される。」

たぶん、バウマンが見ているものと同じでしょう。

-----

我々は、一人で対処できない問題に対して助け合い、安全と安心を期待できる共同体を必要とします。なのに、グローバリズムの進展は、共に生きるものの紐帯を切り、共に働くものの連帯を壊します。

ジャック・アタリは、資本主義の野放図な拡大が、国家というコミュニティすら凌駕する可能性を、「超帝国の出現」として予言しています。(→「21世紀の歴史―未来の人類から見た世界」

今後は、世界各国で「市場(資本)の力」と「国家の統治力」が攻防を激しくするのではないでしょうか?
(例:オバマは、金融規制法案を成立させて、リーマンショックを引き起こしたモラルなき投資銀行の暴走を押さえ込もうとしている)

-----

さて、とはいえ。

国民国家は生き残るのか、巨大な世界企業や財閥が勝つのか、それとも共存するのか?一般市民は体内にチップを埋め込まれて一部エリートに支配されるディストピアが来るのか、資本市場が世界を覆った結果として戦争のない世界が出現するのか?・・は判りませんし、どうなるにしても数十年単位の先の事でしょう。

我々が影響を及ぼせるのは、そこに至るまでの現在〜近い未来にかけてです。

現下、現実的に市民の生活に影響を与えうる共同体は「国家」ですし、米国の一極支配が終焉し中国の台頭を迎える世界においては、国家同士はまさに「しのぎを削る」状況に向かっています。

この状況下では、我々は政治力・経済力・軍事力・文化力を結集し、我々が運命を託している「日本という国家の力」を強化しなくてはなりません。

前にも書いたのですが、ロシアや中国は、自由主義的な経済を内包しつつも実態的には少数の独裁者による専制という「中央集権的資本主義」というか「国家主導型市場経済」というか、(けして褒められたものではないにしても)効率はよくて競争に有利な形態を取っています。米国も、産業界と政治の間でさかんに人材の交流が行われています。
日本も、「官民一体」とか「護送船団方式」と呼ばれた国家(国家とは抽象概念ではなく、政府+霞ヶ関に代表される行政機関、という実体である)と企業のガッツリな連係プレーが、今後再び必要になるでしょう。実際、海外に鉄道や原発を売ろうというなら、企業任せでなく政府がサポートしなくては難しいですからね。

というわけで、日本の力を弱める反日的な日本人や、個人の自由ばかり主張して伝統的な価値観をないがしろにする人間は、今後の世界において真剣に国家の敵です。チーム対抗総当たり戦が始まっている世界で、チームの利益に反するからです。

我々は、新たな共同体意識を呼び覚まし、コミュニティの力を強化する良い影響を、自分の身の回りに拡げてゆきましょう。日本のために!

読むべし!





posted by 武道JAPAN at 18:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

虐殺器官 伊藤計劃

こんな小説を読んでしまうと、次に何を読めばいいのだ俺は・・

途方に暮れます。
そのくらい重量級の作品です。

読みながら何度も思いました。

「これが処女作・・だと?」

筆者の伊藤計劃氏は、本書を処女作とする計3作を発表し、わずか34歳で早世しました。が、そういう話題性を抜きにしても、本書が抜きん出た作品であることに間違いありません。いや、「抜きん出た」などという生易しい表現では、はるかに足らぬ。事件?金字塔?
・・適切な形容が見つからぬほどに屹立した作品です。1ページ目からぶっ飛ばされて、あとはもうアカン読むしかない。

・・・
9.11以降の近未来、サラエボで核兵器が使用され、印パ間には核戦争が勃発した。先進国ではテロへの恐怖から極度の監視社会が進行し、途上国では、なぜか内戦や民族虐殺が頻発する。
主人公は、米軍の特殊部隊に所属し、世界中の紛争地域に飛んで首謀者の暗殺を担うが、やがて紛争の背後に、いつも謎の米国人ジョン・ポールがいることを知る。。彼は、どのようにして虐殺を引き起こしているのか??一体なんのために??
・・・

スリリングでミステリアスで骨太なストーリーなのに繊細な心理描写の伴奏があり、奔流のように読ませますが映画を見ているように鮮明なビジュアルが浮かびます。

ジャンルはSFですが、テロリストへの核拡散/戦争を請け負う企業/先進国の支配と這い上がれない途上国の構図・・など、”いま現在”の世界が抱える問題を的確に突いています。
感情をコントロールするために脳の一部をマスキングする技術や、マネーの電子化で全ての個人生活が追跡可能になっている社会・・など、あとほんの少しで実現しそうです。いやもう実は実現しているのかな?

キレイゴトですまない現実をガッシリ掴んだ延長上に未来を描き出しているために、物語世界のゆるぎなさが半端ではない。本書の魅力の土台は、筆者の世界を洞察する目線だとも言えます。グローバリズムという、強者にのみ有利な競争のもたらすものや、資本の力が国家を超えてゆく予兆などを、どのような気持ちで見据えていたのでしょうか?

恐るべき才能。

読むべし!



posted by 武道JAPAN at 08:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

国家の気概 北野 幸伯

著者の北野さんはモスクワ国際関係大学卒業でロシア在住。愛読している殿堂入りメルマガ「ロシア政経ジャーナル」の発行人。
本書は電子書籍なので、携帯かパソコンにダウンロードして読みます。

北野さんの本やメルマガでは、「国家のライフサイクル」理論が有名ですが、本書ではさらにスケールを拡げ、歴史を貫く大潮流を見据えています。
いつもの事ながら、キレイゴトや特定の立場に偏った解釈はせず、「事実として」起こっている事と、近現代〜近未来の国際情勢を見事に分析しており、歴史と世界情勢の流れが「流れ」としてキレイに頭に入ってきます。中高生にも読んで欲しいくらい判りやすいです。以下メモ。

---
●歴史の向かうところ

世界は「自由」「平等」「統合」に向かっており、この潮流を推し進めたいくつかの「選ばれし国」がある。ただし「選ばれし国」=「善なる国」ではなく、ダークサイドも有る。

ポルトガルやスペインが航海に乗り出した事で世界は統合に進んだが、アステカ文明は大虐殺にあって滅亡した。米国の独立宣言によって世界は自由に一歩進んだが、北米原住民は殺され、黒人は奴隷にされた。

日本は非白人国家が近代化できる事を証明し植民地化されていた各国に平等の希望を与えたが、自らも周辺国を植民地化した。(西郷隆盛は江華島事件を「天理に恥ずべき行為」と嘆いた)

このように、歴史上に大きな動きをした国は、負の側面も残しつつ、結果的に「自由」「平等」「統合」を進めている。

日本は、第2次大戦に敗れたが、結果的に欧米列強の植民地を解体させて「自由」を推し進めたし、戦後の驚異的な復興により世界経済の中心を欧米中心からアジアにも引き寄せて「平等」を進めた。

ドラッカーはこう言っている。
「しかし、結局のところ、最後に勝ったのは、日本だった。日本のとった道、つまり自らの主権のもとに、近代化すなわち西洋化をはかるという道が、結局西洋を打ち負かした。日本は、西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。軍事的には、日本は第二次大戦において、歴史上もっとも決定的な敗北を喫した。
自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは、西洋だった。
日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。
その結果西洋は、アジア、ついてアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなかった」(P・F・ドラッカー著『新しい現実』)

---
●中国の「小日本省」

米国べったりの自民党が政権交代し、「これで日本も自立した国家に?」と期待されたが、民主党政権は新しい依存先を中国に求め、「日本の小日本省化」を進めている。

日本が「中国の小日本省」になれば、人民解放軍が駐留し、標準語は北京語となり、日本独立を訴える者は投獄処刑され、天皇陛下は米国に亡命する事になる。

(管理人注:昨日発表された新内閣では、対米追従派の前原誠司が外相になりましたので、現時点では中国→米国へのゆり戻しがあるように見えます。ただし、これは日本の自立を促す動きではなく、あくまで「対米追従」でしょう)

---
●ライフサイクルから見る近未来

世界の主要国でライフサイクルが成長期にあるのは中国だけ。これが現在一人勝ちの理由。2020年頃までは成長が続く。

しかし、ライフサイクルを超える力(=歴史の大潮流「自由・平等・統合」へ向かう流れ)には逆らえない。政治は独裁で経済は資本主義という矛盾を抱えたままでの未来は不可能。今後、中国が辿るシナリオは以下3つ。

1.民主主義に代わる新しい体制を発明する。が、かなり難しいので、持ち出すとしたら中華思想になる。しかしこれでは、アーリア人優越を主張したナチスと同じなので、世界中から反発を受ける。

2.自主的に民主化する。これは可能性が有る。そうなると「日本唯一の仮想敵」がいなくなって万々歳。

3.慢心し、独善的になる。この場合、欧米諸国は封じ込めに入る。露を誘い、インドを引き入れて包囲網を作る。

日本は「アメリカから離れて中国につこう!」と軽挙せず、この大潮流を見て進路を違えないようにすべし。

---

「国家のライフサイクル」から見ると、世界で起こっている出来事が本当に手に取るように理解できます。冷戦後のアメリカ一極世界の舞台裏で起こっていた世界の動きも完全に理解できますし、これから起こる出来事も見通せますから、投資や経営をする方にはぜひとも読んで欲しい内容です。

「なんとなくアメリカも弱ってきたし、これからは中国かな。経済も中国が頼りだし・・」という考えの人も多いかもしれませんが、本書では、忘れてならない中国のダークサイドをしっかりと紹介しています。
それを踏まえ、短期的(国家の趨勢なので10年〜単位ですが)な勝ち組に見える中国に乗って良いのか、よく考えて欲しいと思います。

日本がかつて世界と戦ったとき、

・日英同盟を背景に日露戦争(勝利)
・英米側に立って第一次大戦(勝利)
・日英同盟破棄、国際連盟脱退して日独伊で第二次大戦(大敗北)
・日米同盟(冷戦下西側)で戦後の経済復興(勝利)

と考えると、「勝ち組」側にいることがいかに重要か、また、頼りになる同盟をいかに大事にしなければならないか・・が判るでしょう。

日本は「国家のライフサイクル」から言えば衰退期ですが、案ずる事はありません。ペリーが来た頃も衰退期で「究極の平和ボケ」だったのに、一部の気概を持つ志士達が立ち上がり奇跡の歴史を作りました。(=全日本人が目覚める必要はない)
衰退期の後には、混乱を経て再び成長が始まります。我々も、変化を怖れず立ち向かいましょう!

勇気がもりもり湧いてくる一冊です。

読むべし!!!

→ ロシア政治経済ジャーナル

→ 国家の気概【完全版】


posted by 武道JAPAN at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月12日

自由と民主主義をもうやめる 佐伯 啓思

著者は京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専攻は社会経済学・経済思想史。

タイトルから想像できたのですが、前2つのブログで取り上げた書物と同様の趣旨が語られています。自由や個人主義に代わる、我々の社会に相応しい価値観は何か?です。エドマンド・パーク(英:18世紀の政治家)の言を引き、社会と切り離された抽象的で自由な「個人」など存在しないと説きます。

戦前戦後の歴史と社会の意味づけや思想の変遷など、とても判りやすくまとまっています。このあたりの流れをスッキリ理解したい人や、そもそも保守って何よ?左翼って何よ?という人に、まず最初に読んでもらうと良い一冊です。以下メモ。

・・・

近代思想が生まれたのは欧州であるが、その欧州は米国と違い、意外に「近代」や「進歩」を軽信しない。フランスもイギリスも、層の厚い「伝統」の方を信頼しており、社会を根底から丸ごと変えてしまうような変革には批判的。

欧州と米国では「保守」が違う。欧州の保守は分厚い伝統の上に乗っているが、米国の保守(建国の理念)は、欧州的抑圧から逃れて新大陸をめざしたのが原点であり、本来は「革新」である。

●左翼(革新)
人間の理性や合理性を信じ、社会科学の進歩によって理想の社会が実現できると考える。

●右翼(保守)
人間は完全に理性的で合理的ではないと考える。非合理に見えても、社会が保持してきた文化や価値観には一定の意味があると考え、伝統を重視する。

●自由
自由が大切であることは当然。しかし自由になって何をするのかが肝要。節度なく身勝手に何でもしても良いはずはない。
一概に、社会が豊かになって安定すると、その社会を創り出した先人の苦労を知らず豊かさを当然と考える人間が増える。社会の不具合を正すために闘う必要もなく、それ以上の高貴な目的に向かう意思も持たずに個人の欲望や情緒で物事を判断するようになる。

●民主主義
民衆は常に正しいか?多数決は少数者の正しい意見をどのように汲み上げる事が可能か?
民主主義が正しく機能するためには、自分達の国にとって何が大事な価値か?という、国民のしっかりとした意思が必要。

●戦争の意味
(福沢諭吉の言を引き)「あの戦争」について様々な反省や論点は成り立つが、根本的には「必然」であった、と解釈する。
世界に最初のグローバリゼーションが起こったとき、日本は賢明にも鎖国した。そして2度目には、独立を保つため止むなく打って出た。諭吉は、帝国主義の世界へ参入した以上は、いずれ自分達が植民地を支配する側に・力づくで他国と権益のぶつかる側に立つと予言した。昭和が失敗したのではなく、明治からこの流れは決まっていた。

米国は「自由と民主主義を守る」という価値観・歴史観を持って対日戦に臨んだ。米国にとっては、ファシズムという「道徳的に間違った」国に対する戦争であり、戦後も、この文脈に沿って日本を断罪した。大戦後、日本はサンフランシスコ条約で世界に復帰したが、この際に米国の価値観・歴史観まで鵜呑みにしてしまった。
戦争に負けたことは受け入れても、道徳的に間違っていたという解釈まで受け入れる必要はないのに、その後、これを正していない。

●21世紀の世界と日本
日本の問題は、自国の守るべき文化や、大切にすべき価値観を喪失していること。21世紀は新しい帝国主義の時代になる。前世紀のような大戦はなくても、資源や経済をめぐって様々な軋轢が起こり、国家は力を競いあう。
国力は政治・軍事・経済・文化(価値観)で決まる。日本が政治や軍事で抜きん出るのは難しいし、経済力も落ちてゆく。文化、価値観を掲げるべき。
そのためには、日本人自身が納得できる価値観の定義が必要。しかし、日本的な価値観には、道義・調和・節度・無私・ことわり・・など、外国語への翻訳が不能な概念が多く、分が悪い。

・・・

日本で「正しい保守」の立場を取る事の難しさや、キリスト教的価値観と仏教や神道をベースにした価値観の違い、グローバリズムが米国内問題の産物であることなど、様々に勉強になります。

戦後、米国一辺倒で来た日本ですが、上手に「アメリカ離れ」をすべき時が来たのでしょう。(「上手に」です。「あんたとは別れたい」と正面切って言うのは馬鹿げています。無論、米国と手を切って中国にべったり寄りそうなど論外ですし、日米同盟はまだまだ当分の間は堅持すべきです。)

しかし、欧州の伝統から飛び出して新国家を創った経緯をあらためて見てみると、米国は極めて人工的な国家です。社会の持つ伝統の厚みという点から日本は欧州に近いし、その欧州では「近代」や「進歩」を警戒し、社会制度を根底から変えるようなやり方には慎重、との事。何でもアメリカの言いなりで良いか?を、この辺りから考え始めてみるべきでしょう。

少なくとも、先の大戦で日本は道徳的に間違っていたから、立派な米国から懲らしめられた・・というような歴史観は、もう捨てるべきです。米国の「自由と民主主義を守る」という価値観だってフィクションですからね。(理由をねつ造してイラクを攻めたり、中東の非民主国家とうまくやっている)

佐藤優の「日本国家の真髄」でも、現下日本が様々な問題を解決できないのは、政治家も官僚も正しい「国体観」を持っていないためであり、我々に急務なのは「国体」の再発見である、と主張されていますが、まさにその通りでしょう。

目先の経済動向に対処するのはもちろん必要ですが、もっと根本的な問題は、我々日本人が何を望み、どこへ行こうと欲するのか、日本とはどういう国でありたいのか・・の国民的な意思が統一されてゆく事だと思います。
そういえば、私はそのために「武道JAPAN」を作ったのですな。

読むべし!




posted by 武道JAPAN at 16:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

戦う者たちへ 荒谷 卓

う〜〜〜ん・・凄い本だった・・。

すべからく表現というものは、書や絵画や舞踊や演奏や(あるいは仕事ぶりや飲みっぷりでも)その人の「人となり」が出るものだと思っていますが、武術鍛錬の成果が文章の見事さに出ているような本です。
振武舘の黒田鉄山氏(一部マニアしか知らないか?)の文章を「秘伝」誌で読んだ時にも感じましたが、すぐれた武人の文章は美しい。無用な装飾を排した簡素さと、無理のないリズムがあります。かの宮本武蔵も、見事な書画や彫刻を残していますが、道を極めてゆくと「ある境地」に達するのでしょうか、見習いたいものです。

著者は、陸上自衛隊特殊作戦群初代群長。
自衛隊初の特殊部隊創設を任命された著者は、「武士道を体現した兵士を養成すれば、世界最強の特殊部隊ができる」と考え、技術とともに精神面も精強な部隊を創りあげ、イラク派遣では共存共栄を旨とする日本的手法が高く評価され「おまえにはイラク人の血が流れているはずだ」と言わしめた、という。2008年に退官し、明治神宮武道場「至誠館」館長に就任。

非常に感心したのは、現下日本の位置関係を、軍事情勢だけでなく、政治経済の大きな流れの中で的確に捉えていることでした。

偶然ですが、ひとつ前のブログに書いた「これからの正義の話しをしよう」の趣旨も、要約すると、

〜「個人」「自由」を価値の根幹に据えた社会は、欲望のまま利益を極大化するグローバリズムのような弊害を齎している。これからの社会は「美徳」や「共同体にとっての最善」を基準に考えるべきだ〜

というものでした。そして、本書でも、ほとんど同様の主張がなされています。

「個人の権利」「個人の自由」より「公共の利益」。

元陸上自衛隊の武人と、ハーバードで哲学を教える学者が、ほとんど同じ結論に到達しているというのは注目すべきことと思います。 以下メモ。

・・・

●世界情勢

戦後、日本を解体する意向であった米国は、冷戦の勃発によって突如日本を復興させる必要に転換した。巨大な官僚組織や護送船団方式のニッポン株式会社も米国の主導によって作られた。

冷戦後の国際社会は、秩序ある市民社会には程遠い「自然状態」。
各国は独立した主体として、新たな秩序と自己の立場を確立すべく、国家戦略や同盟などに最大限の知恵を働かせなければならない。

米ソは、政治的だけでなく経済的にも関わりを持たず対立していたが、米中は互いの経済システムに入り込んでいるため、冷戦時の米ソのような対立構造を取る可能性は低い。米国は日本の味方で中国の敵・・とは限らない。

同盟関係も永遠不変ではない。戦前、アジアにおける米国のパートナーは蒋介石の中国であったし、対日戦においては毛沢東の共産党とも手を組んだ。対ソ戦のために戦後は日本をパートナーに選んだが、冷戦終結と共にその役目は一時代を終えている。

冷戦下、対ソ戦略の必要性から発生した自衛隊も、存在意義を見直すべき。今後は、国同士の総力戦は考えにくく、例えば経済を目的にした限定戦争となる。
自衛隊は、軍以外の国際組織とも連携し、破壊を目的とした武力ではなく、国際貢献など国家としてのソフトパワーを拡大する全体戦略に組み入れるべきである。


●日本

天皇制が維持されたことをもって国体が護持されたと考えるのは甘い。国家のかたちは憲法が規定し、国の未来は教育によって成り立つのに、憲法・教育基本法・皇室典範は変えられたままである。日本は国体の崩壊に向かっている。

敵意のあるものに対して一方が「戦わない」と宣言したからと言って平穏ではいられない。いじめっ子に、無抵抗でいたらどうなるか予想がつくはず。
憲法9条によって日本人が放棄したのは、戦争ではなく「戦うことも辞さない正義心を持った生き方」ではないか?「正しいと信ずる事を貫く為には、自分の肉体の生死など気にかけない」という武士道の美徳は、憲法の敵として追い詰められてきた。

専守防衛は機能しない。敵の本拠地(作戦継続能力の供給元)を叩けないまま防戦を続ければ、いずれ敵部隊が上陸し、本土決戦となる。この時点で、民間人の犠牲なしには済まない事態となるが、現在の政府と国民に防衛戦を遂行する意志があるだろうか?


●武士道

日本の武士道では、戦闘者がたんに戦闘技能を有する武者であるにとどまらず、道理を探求し実践する。精神を主に置き、正しい目的のために肉体を使い切るという生き方が武士道。

「正義・倫理・道徳」が荒廃し、社会が乱れている。これは一時期、一地域の問題でなく世界的傾向であるが、近代以降の文明をリードしてきた西欧世界に解決の糸口が見つけられない。

西欧では、キリスト教の支配と啓蒙思想の普及によって、各国各民族が保持していた精神性や道徳律が歴史の彼方に失われた。ペルシャの軍勢にたった300人で戦いを挑んだスパルタ軍も、圧倒的なローマ軍に立ち向かったゲルマンの戦士たちも、民族の価値観を守り通すために命を賭けるという崇高な美徳を持っていたが、その精神がいかにして涵養されたかの手掛かりは消えてしまった。
海外から日本に訪れる多くの武道家が、この答えを日本の武士道に見つけられるのではないかと期待している。日本には、古代からの歴史と伝統が奇跡的に保持されている部分がある。

本書のタイトル「戦うもの」は、武器を取って戦う人だけでなく大義に向かって行動する全ての日本人の事。
特に自衛官や警察官は「何のために人を殺してまで行動するのか」という精神的支柱が必要。政治・宗教テロリストは精神面も武装して挑んでくる。「自分のため」「組織(自衛隊や警察)のため」を超えた大義が要る。
日本の武人であれば、本来の目的は「日本の歴史・文化・伝統を守る」ことである。


●グローバリズム

グローバル資本主義は、個人の人権や自由で表層を装飾されているが、本質は全ての価値観をマネーで評価し、個人の冨の獲得を最優先にする。

資本主義と民主主義が国内にバランスよく共存していれば、資本の活動は民主主義によって適切に抑制されるが、グローバル資本主義では、資本が国家を超えて活動するため、「公共の利益」を考える民主主義的コントロールが効かない。
その状況で、自由な競争が野放しに奨励されれば、大多数の市民に失敗のリスクが負わされる反面、ごく少数者に極端な富の集中が起こる。「自由」が人間に与えられた絶対的な権利なのかを疑うべき。

個人の欲望を成長のエンジンにする社会から、集団の幸福を追求する社会へ/個人の権利を追求する戦いから、公共の正義を守る戦いへ/の転換が必要。

・・・

後半は、特に「戦うもの」への心構えや鍛錬法などの記述が多くなり、「至誠館」館長らしく、道着を着て合気や剣術の理合を解説する写真なども掲載されています。私としては大いに興味深いですが、一般の方は前半だけ読んでもよいでしょう。

内容も素晴らしいし、文体がまた素晴らしい。私の拙いメモだけでなく、ぜひ原書をお読みください。力付けられること間違いなしです。

読むべし!


posted by 武道JAPAN at 23:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。