2010年08月28日

これからの「正義」の話をしよう − いまを生き延びるための哲学 マイケル・サンデル

本書の下敷きになったのは、年間千人が受講するというハーバード大学の超人気講義。
あまりの評判に公開授業の様子がTV番組化され、日本でもNHKが「ハーバード白熱教室」というタイトルで放送したらしい(残念ながら見ていない)。

講義を受け持つマイケル・サンデル教授は、米国の政治哲学者。
「哲学」というと抽象的で難解な議論を想像します。たしかに本書にも、アリストテレスやカントなどが登場しますが、講義は極めて具体的な事例から出発し、そこに含まれる「正義」の本質を抽出してゆきます。例えばこんな風に。

・・・

あなたの運転する電車のブレーキが壊れた。
前方に5人、支線に1人の作業員。さてどちらにハンドルを切るべきか?

大多数の人は、1人を犠牲にして5人を助ける道を選ぶだろう。これは、より多数の幸福を求める「功利主義」の考えで、何となく正しい原則のような気がする。

では次に、あなたは橋の上から同じ状況を把握している。今度は支線はない。目の前に太った男。彼を突き落とせば列車は止まり、5人は助かる。(あなたは小柄すぎて、自ら飛び込んでもダメ)この時、突き落とすか?

大多数の人が、「それはいけない」と感じるだろう。でも、それは何故か?功利主義の原則(少ない犠牲で多数を助ける)はどこへ行った?

・・・ここで初めて、功利主義が人の命や行為の「質」といった、計数化できないものを捨象してしまっている事に気づいてくる・・といった仕掛けだ。とても面白い。人気講座の理由が垣間見えるのである。

本書には、「正義」の基準として、3つの立場が紹介される。

1)「功利」
最大多数の最大幸福。福祉を主眼にする。
より多数の幸福が、より少数の不幸を上回るべきと考える。

2)「尊厳と自由」
個々人の自由な選択は何者にも侵されたり、強制されるべきではないと考える。
ロックやカントに由来する古典的な自由主義/現代の所謂「リベラル」の基礎とも言えるジョン・ロールズの自由主義/そして小さな政府や、経済の新自由主義の考えに繋がる「自由至上主義(リバタリアニズム)」など。人間の理性に立脚した、中立的で普遍的な原理を求める。

3)「美徳」
人間は所属するコミュニティと無関係に存在しておらず、個人のアイデンティティは共同体の持つ伝統的な物語と密接に関わっている。誰しもどこかの国民であり、家族であり、その立場を無視した善は選び得ない。よって、コニュニティの持つ価値基準や道徳を、政治上の判断にも取り入れるべきと考える。著者の立場はこれで、「コミュニタリアニズム(共同体主義)」と呼ばれる。

「功利」や「自由」、リベラルには大きな欠陥がある、というのがサンデルの主張だ。人間の社会を計数で割り切り、質的な違いを切り捨てて単一の価値を当て嵌めフラット化してしまうからだ。そこに美徳が涵養される豊かな社会があるとは考えられない。
(実際、個人の自由や権利ばかりを主張し、公共の道徳が忘れ去られた現代日本を、誰も「豊かな社会」とは思えないでしょう)

伝統や道徳と聞くと、日本では保守が喜びそうな論に聞こえるが、サンデルの思考は先を目指す。無色な「リベラル」を否定し、血の通った共同体の正義=共通善を探しだそうとしている。回帰ではなく「これからの正義の話をしよう」なのだ。ただし、間違っても全体主義への道を開くような議論ではない。

とはいえ、サンデル教授も「共通善」とは何かについて明確な答えは用意していない。

それはそうだ。ちょっと想像すれば判ることだが、多様な価値観を持つ人々が入り交じって暮らす現代社会を、「ズバッと」一刀両断する答えなど簡単に導き出せない。だから、「これからの正義はこれだ!」と断ずる答えが欲しくて本書を読んでも無駄であるし、「結論が無いじゃないか」と批判するのは的外れだろう。

サンデルは、安易な功利主義や、「個人の自由でしょ!」などという主張に屈せず、我々にとって「共通の最善」を生む社会を求め議論し考え続けろ、と言っているように思える。

(日本だって他人事ではない。歴史の経緯から見れば明らかに日本からの働きかけの結果として、現在も多数の朝鮮半島出身者と、その子孫が日本に暮らしている。その全ての「われわれ」にとっての共通善とは何だろうか?)

これに関連した問題提起もある。
国家は過去の過ちを謝罪すべきか?」だ。

人は属するコミュニティと無関係に存在していないとするサンデルの考えに依れば、我々は過去の罪を謝罪すべきである。先祖からの名誉ある伝統も恥ずべき罪も、共に背負ってこそ共同体の一員と言える。(日本の過去の行為が罪かどうかの議論は、ここでは置く)

しかしそれでもなお、「ときには、公式謝罪や補償の試みが有害無益となることもある。昔の敵意を呼びさまし、歴史的な憎しみを増大させ、・・・反感を呼び起こす」とし、「謝罪や弁償という行為が政治共同体を修復するか傷つけるかは、政治判断を要する複雑な問題なのだ。答えは場合によって異なる。」としている。(戦略も無く恒例行事の様に謝罪する首相には、もう少し知性を働かせてもらいたい。)

・・・

す〜ご〜〜い〜〜〜 ・・・面白いです!

哲学的な思考経路に慣れていないため、読み進めるのに時間がかかりましたが、報酬はでかい!隘路に行き詰まっているかのように見える日本社会というコミュニティの今後を考える上でも、大変に参考になりました。

様々な刺激を受けたのですが、やはり印象に残ったのは、サンデル教授の「豊かな社会とは何かを考え続けろ」というメッセージでした。

山本七平さんも指摘していることですが、日本人は異民族との擦り合わせ(ラクダで行き来して交易するとか、異民族が攻めてきて蹂躙されるとか)の経験が薄いため、根本的に考え方・感じ方の違う人々と出会うと、自分を主張するのが下手です。同じ民族だけで暮らし、習慣に従っていれば大体の事はうまく行き、以心伝心で気持ちも通じてしまい、「これってなぜだっけ?」と本質を掘り下げて考える必要が無い。結果、突き詰めて議論せずKYで動く民族が出来上がっています。そんな日本人は国際舞台で存在が弱い。(→比較文化論の試み 山本七平

しかし、変貌する21世紀に向かい、「我々にとって最も素晴らしい社会は、どんなルールを基盤にすべきか?」を考えざるを得ない局面に来ているのではないか?少なくとも、「世界第2位の経済大国」を中国に渡したというのに、ほとんど話題にならないところを見ると、どうやら日本人は経済的繁栄が次の答えではない、と知っているようです。

しかもどうやら、「次のモデル」を指し示してくれる外国のお手本は無さそうです。日本人は、自ら深く考えて、進路を選び取らなければなりません。日本人全体で。
その過程で、「日本という共同体」を、再び結び直す・・という重要な作業を経る事になるでしょう。

読むべし!読むべし!そして考えるべし!




posted by 武道JAPAN at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書記録(社会歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

妖星伝 半村良

今日は、昔々に読んだ本をご紹介する。
桁外れに面白いため、入手可能なうちに伝えておいたほうが良いと思うからだ。

小説が好きな方で、まだ本書を読んだことがない方は、今すぐ書店に走って行って全巻購入し、手近な喫茶店に飛び込んで読みましょう。
小説が特に好きではなく、普段は学術書やビジネス書を読んでいる方は、今すぐアマゾンで全巻注文して、届き次第読みましょう。
読書にトンと縁がない・・という方は、これを機会に全巻入手して、読書の楽しみにハマりましょう。

古い本である。

講談社から単行本第一巻「鬼道の巻」が出たのが1975年。順調に巻を重ね、第六巻「人道の巻」が1980年に出たあと、第七巻「魔道の巻」が出るまでなぜか13年もかかって1993年に完結した。実際、自分など第六巻で終わったものと思っていたのである。

この本は、もの凄い。

何が物凄いかというと、ひとつは本の美術的価値である。なんと装丁が横尾忠則だ。物語世界の特殊なオドロオドロしさと、哲学的ともいえる宇宙観を「どんぴしゃああっツ!」と表現している。自分には本をコレクションする趣味はないが、本書は「所有する喜び」を感じる、ほぼ唯一の本である。
(ただし、現在入手可能な祥伝社ノン・ポシェット文庫版は別物である。本書は講談社(単行本)→講談社文庫→祥伝社ノン・ポシェット文庫と変遷しながら出版されており、講談社で文庫化された時点までは、かろうじて横尾忠則のデザインだった。可能であれば古書を求めて揃えられたし。)→横尾忠則装丁「妖星伝」

そして当然のことながら、物語がすごい。物凄い。ものものものすごい。

どれほど物凄いかというと、奇想天外さ、スケールのでかさ、物語の先の読めなさ、全体像が見えてくるにしたがって際限も無く膨らんでゆく面白さと引き返し不可能性(そんな言葉あるか?)、多彩な登場人物たちの個性的な描きわけ、読後感の比類なさ・・まだまだ書けそうだがもうやめておく・・の全てにおいて、驚くべき高みを達成しているのである。時代劇と活劇アクションと稀有壮大なSFと人間ドラマが全部てんこ盛りに入っていて、しかも調和している。文字で著された一大交響曲である。

Amazonで[妖星伝]を検索すると、数多のカスタマーレビューが、ひとつ残らず星5つ「★★★★★」だ。曰く、

・日本で最も面白い小説
・一読して驚愕する内容。日本を代表する名作
・こんな空想力が日本にもあった!
・最高峰 たぶん、映画化なんて無理
・人生観を変えてくれた一冊
・本でしか味わえない楽しみを満喫できる麻薬のような作品

などなど。。すべて「そのとおおぉり!」である。

舞台は江戸時代の日本である。いきなり16歳未満にはお薦めできないようなシーンから始まる。(ちなみに自分はもっと若くして読んでしまったのであるが、まあそれはこの際関係ない。)当面の主人公(達)は、山田風太郎作品に登場する忍者も真っ青の超常能力を持つ特殊な集団「鬼道衆」。血と淫にまみれた邪宗を奉じ、世に悪と惨劇のみをもたらす彼らは、盟主たる「外道皇帝」の復活を待っている。
そんな彼らの前に、追っ手を逃れて地球に墜落した異星人が現れる(異星人は霊的生命体のため、条件の合致した地球人の肉体を借りている)。その異性人たちが、まさに外道皇帝と同じ特徴を備えていた事から、目が眩むほどの長い過去より仕掛けられてきた、この星と宇宙の謎を解き明かす一大スペクタクルが幕を開ける。
江戸時代から始まって、最後はどこまで連れて行かれちゃうのわたし?という物語である。種明かしは控えるが、「とーーーーーんでもないところまで」連れて行かれてしまう。

そして、宇宙の果てまで旅した後に、第六巻「人道の巻」の最後・・このセリフを読んで、人の一生の、はかなさと切なさと愛おしさに号泣するのである。

「好きだ この、星が・・・ ・・・やはり」

読むべし!読むべし!読むべし!読むべし!読むべし!



posted by 武道JAPAN at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 浅川 芳裕

「わが国の農業は衰退しており、日本は世界最大の食糧輸入国。若い後継者がなく農村は高齢化し破綻は時間の問題。いったん荒廃した田畑は簡単に戻らない。食料自給率を高めなければ、万一の時に国民が飢える。よって、我々は農業を保護しなければならない。」

本書によれば、これらは全て「大嘘」だそうです。

著者は月刊誌「農業経営者」副編集長。
本書は、その連載記事を単行本化したものですが、国益より省益を優先する農水省の陰謀を糾弾し、集票目当ての民主党の戸別補償政策を愚策として切り捨て、日本の農業は世界に飛躍できる可能性を持った強い産業であるとして、優秀な農業経営者が自由にビジネス展開できるよう支援すべきと説きます。

特に農水省については、90年代に米が不足して緊急輸入した時、あえて長粒米を輸入して外国産米のイメージを悪化させたり、バターの輸入を独立行政法人に独占させ、利益を天下り法人の人件費に充てている実体などが暴露され、不要(あるいは有害)な利権団体として手厳しく告発しています。

全体として目からウロコの良書ですが、一部注意して読まないといけない部分もあります。以下メモ。

・・・

●カロリーベース食料自給率の無意味さ

世界中どこにもカロリーベースで自給率を計測している国はない。「先進国中最低」と言われる根拠は、日本の農水省が世界各国のデータを手間隙かけて「カロリーベース」に計算しなおして作ったもの。

スーパーに行けば国産の野菜や肉が豊富に並んでいるが、カロリーの低い野菜は「カロリーベース」では小さく見積もられ、肉も外国産飼料を使っていると除外されてしまう。これは日本の自給率をことさら低く見せ、対策予算を獲得するための農水省の情報操作。
農水省の仕事は減っており、窮乏する農家、飢える国民・・のイメージを作り出さないと、存続自体が危うい。今や国民の食を守るという使命を忘れ、天下り先の利益を確保するためだけに働いている。

食料安全保障を考えるなら、不作や自然災害、病気の蔓延や国際紛争など、多様なリスク管理の視点で扱うべき。例えば石油が入ってこなくなったら農機は動かず、生産地から都市まで作物は流通しない。自給率向上ばかりでなく、緊急時に輸入できる仕組みを確保しておく事も重要。

●民主党個別所得保障政策の愚

日本の農家には、本業として取り組んでいるプロと、「週末だけ農家」のような似非農業者(数だけで言えばこちらが圧倒的多数)がいる。

民主党が推進する戸別補償のようなバラマキ政策は、圧倒的多数の似非農家から票を獲得するための選挙対策。似非農家が「どうせ赤字は税金で補填されるから」と作物を安売りすれば、腰をすえて取り組んでいるプロ農家の収入を圧迫し、日本農業を衰退させる。

●農業は成長産業

農業人口は減っているが、どこの先進国も同じ。農業人口の減少を補ってあまるほど生産効率は上がっている。
現在も生き残っている本業農家は、知恵を絞って生産性を高め、付加価値の高い産品を生み出せるようになったプロであり、税金を投入して保護しなくてはならない「弱者」ではない。地域ごとの農協ではなく、生産物ごとの全国組織(例:全米ポテト協会)を作ってマーケティングのプロを雇い、海外進出も視野に入れよ。

・・・と、常識がくつがえる情報が満載です。ただし、次のような納得できない点も見受けられます。

●著者は、カロリーではなく生産額ベースで自給率を見るべきであるとし、生産額では日本は世界5位の農業大国であると主張する。しかし、本当の自給率を見るためには、この数値もおかしいと思う。

著者自身が主張するように、日本の農産物は大半が国内で消費されている。関税障壁を高くした豊かな経済大国向けに消費されれば生産「額」が大きくなるのは当然だろう。
物価調整済みの購買力平価とかで比較すればもっと正確に判断できると思うが、なぜかそういったデータは掲載されていない。

●また、フランスやドイツが日本よりも多く輸入しているデータを示し、「日本は世界最大の輸入国ではない」と主張するが、それらの国は輸出額も巨大である。翻って日本は、ほとんど輸出をしていない。
この「輸出入の差し引き」を見ないと、「外から入って来なくなった場合」の危険度は見えないのではないか?

●さらに、世界の食料供給量が人口増加ペースより高い水準で増えている点を挙げて「食糧危機はまず起こらないだろう」としているが、これは無責任に聞こえる。今後の人口増加ペースを鑑みれば、将来にわたって危機が起こらない保証にはならない。
極端な気候変動が起こって自国民の食料さえ危うくなった場合に、安い価格で他国に輸出してくれる国はない。食料に関しては、他の製品と同等にビジネスの観念だけで取り扱ってはならないはずである。(これを書いている途中で、干ばつによる不作を理由にロシアが小麦の輸出を禁止する、というニュースも入ってきた)

●日本農業は強い・・と主張されているが、関税を撤廃し、補助金を取り去っても本当に強いのか疑問。EUでは、自国の農業を保護する為に莫大な予算を割いていると聞く。
さらに、研修生という名目で低賃金の外国人を雇ってようやく成り立っている農業法人の実態はどうなのだろう?

・・・

どうも、農水省解体の大筋合意がどこかであるらしく、本書はそのための世論形成に一役買う役回りらしい。鵜呑みにしないで読む態度が必要でしょう。

とはいえ、一方的な農水省の「食料自給率向上キャンペーン」から抜けだして、新しい議論の視点を提示した役割は大きい。一読の価値はあります。

読むべし!



posted by 武道JAPAN at 19:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録(政治経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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